城南中学校卒業50周年記念同窓会 11年目の帰郷 2013.02.09 リワキーノ
卒業した中学校の卒業50周年記念同窓会が2月9日に開催されるので福岡に帰りました。
前に福岡を訪れたのは一貴山の住人、興平殿が2001年12月に経営する「なべ吉」を閉店するに際し
てCapt.Senohが開催した「最後の晩餐」に参加した時以来であり、まさに11年ぶりの帰郷でした。
2月9日(土)
新大阪発9:29の「のぞみ7号」に乗ろうとしたらICカードが改札口で拒否され、調べてもらうとJ-West
での予約が出来てなかったことが判明。
そのまま当日券を買って乗ったら割引が無いので私はiPhoneで急ぎ予約を取りましたが(iPhone持っ
てて良かったぁ!)、連休の初日で全席満席。
博多駅まで立ったまま。(11年ぶりの帰郷なのに・・・トホホ)
博多駅にはハレルヤチョウのCho君が車で迎えに来てくれました。
なにしろ、4日間の滞在中、9日は同窓会、10、11日は親戚との会食で夜は全部予定が詰まっている
ので11年間会っていない彼に会えるのはこの日の昼間のみ。
西新の姉(k.mitikoさん)宅まで家の鍵を預かりに行く(この日、同窓会を終えて姉宅に着くのが深夜に
なることが予測されるので)のを送ってくれて福岡城近くの「青山」というレストランで昼食。
途中、天神から福岡城前、唐人町、地行、西新と11年ぶりの福岡の街の景色を見ましたが、福岡城近
辺のみが昔のままの風景で、他はもうまるで別の都会みたい。
「青山」で1時間ほど会食をしながら様々なことを語り合い、その後、彼のお店に行ってまたここで語
り合いました。
彼の店のホームページを作成したスタッフの松岡さんとは電話で何度も話しておりましたが会うのは
始めて。とても感じのよい青年でした。
午後3時半ころ、車で福岡中央区役所前の「珈琲舎のだ」という店まで送ってくれました。
ここで城南中同窓生で2年のときに仲が良かった4人と同窓会の始まる前に会う約束をしていたの
です。
左からエシタ君、サヨコさん、トモコさん、ナオヒロ君
みんな若いけれど、エシタ君が全然変わっていないのにはビックリ!
ナオヒロ君はエシタ君より痩せていたのに雪山も目指す登山家になったのでこんなにがっしりとした
体格に。
同窓会会場は「珈琲舎のだ」からすぐ近くの「稚加榮」
11年ぶりに参加する城南中学校同窓会です。
最初に中村先生の挨拶。
恩師の出席は中村先生のみで2年、3年と私の担任だった西田先生は酸素吸入器が欠かせぬご体調
で欠席。
名簿で大部校長、用田(もちだ)先生、村田先生、中野先生たちが既に鬼籍に入られているのを知り、
何とも言えぬ寂寥感に陥りました。
用田先生は早くになくなられていたのでその心構えはありましたが、他の3人の恩師の訃報は今回初
めて知ったので、西田先生もお元気なときに、そして村田先生や中野先生が生きておられるときに
なぜ、同窓会に行かなかったかと悔やまれました。
音楽のコノミ先生はかなり高齢でしたので、同窓会のことを知ったら絶対に行くと言って聞かないだろ
うから本人には知らせてないし、また知らせないで欲しいとご家族が言われたそうで、懐かしいコノミ
先生にお会いできないのが残念で仕方なかったです。
私は福岡不在があまりにも長すぎたことを今回痛感しました。
前列左から二人目が村田先生、中村先生、西田先生、大部校長先生、二人置いて中野先生、用田先生。
村田先生のすぐ後ろがコノミ先生。
マンモス校の城西中学校から分校して城南中ができたとき、私たちの学年は2年生でしたが、城南中
に赴任された先生方はもの凄い情熱と気迫で私たちの成績向上にむけて導いて下さったのです。
ある実力テストが終わったあと、体育館代わりのプレハブ教室に2年生が全員集められ、厳しい顔つ
きをした西田先生が、今回の実力テストで城南中が城西中に大きく水を開けられたことを伝え、「あの
若い中村先生が夏休みを全部返上して君たちのために問題集のプリント作成や特別指導をしてきた
のに、なんですか?この英語の成績は!」とほとぼしるような声で訴え、「先生は情けなくて情けなくて
・・・」と腕を目に当てられて号泣されたのです。プレハブ教室中の全生徒が声もなく静まりかえっている
中に響いた西田先生の号泣は今もありありと思い出します。
そのころ、やんちゃで鳴らしたサエキ君があとで「俺は西田先生を尊敬したなぁ」と私に言うくらい、この
先生の号泣は生徒の心に響いたのでした。
私たちの在学中は体育館もまだ出来てなく、第一回目の卒業式(私たちの1年先輩)はグランドで行わ
れ、私たちのときは各教室に別れて校内放送を通じて卒業式が行われました。
卒業後、修猷館高校に進学した仲間たちで、定期考査の期間中、修猷館高校の図書館が勉強する学
生で溢れていたので、私は母校、城南中の放課後に教室で勉強させてもらうわけにはいかないかと思
い、城南中学校の西田先生に電話しました。
先生は学校に掛け合ってくださったのですが、規則上、それは難しいということで私にそれを伝える時、
「モリワキ、ごめんなぁ。せっかく母校を頼ってきてくれたのにそれに応じることができなくて、本当に申し
訳ない」と辛そうに言われたのです。私は安易にそんなことを頼んだことを後悔したのですが同時に、頼
ってきた教え子に応えることのできなかったことに深い胸の痛みを感じられたであろう西田先生の切な
そうなお声に教師の教え子に対するひたむきな愛情というものをひしひしと感じたものでした。
大部勝利校長
大部校長先生は全生徒をに対する集会のおりにはいつも「燕雀安くんぞ知らんや、鴻鵠の志を」の中国
の格言を述べられていましたが、私が大人となってその政治的主義思想が右翼と人から弾劾されたとき、
いつもこの格言に心を安んじられる思いでした。
大部校長先生と用田先生が廊下で用談されていたときにそばを通った私を校長先生はいきなり、がしっ
と私を捉え、「こんな頼もしい生徒が我が校にはいたのだな」と言われたのです。
私は当時から身長172センチ、体重65キロというでかい体格でした。
そして「この子はなかなかにしっかりした将来有望な生徒です」と用田先生が言われたこと。
このお二人の恩師の会話が私にはその後の人生で、お二人の期待を裏切ってはいけないという思いで
精進する原動力になったと今、思ってます。
鬼籍に入られたこれら恩師の先生方と盃を酌み交わしながらその後の私の人生のご報告ができたらどん
なに私は満たされる想いになることだろうと思いました。
以下、スナップ写真で同窓会の様子をご紹介します。
女性の名前は旧姓で()内の数字は卒業時のクラスです。
インターネットにアップするので名前はすべてカタカナ表記とさせてもらいました。
左からアイカワ君、中村先生
ヨシムラさん(5)、モリナガ君(5)
左からホッタさん(7)、マエダさん(7)
イデグチさん(2)、エシタ君(7)、幹事世話役のエガミさん(6)
エガミさんはモリノ君と共に長い年月、学年同窓会の世話役をされてこられ、案内状の発送など、多
大な労力を尽くしてくださった人です。
左からイシカワさん(5)、アリトメ(サヨコ)さん(2年の時に転校)、ナルヤマさん(5)、イソモトさん(5)
アリトメさんは2年生で転校していったので卒業生名簿には無いのですが、大変な人気者だったので卒
業後もみんなが彼女を誘い、常に城南中の同窓会には出席しています。
シモガマ君(7)、イシカワさん(5)
ヤヒロさん(3)、フジヨシ君(1)、コンドウ・ヤス君(1)
サトウさん(3)、ヤヒロさん(3)、フジヨシ君(1)
オカダ(トモコ)さん(4)、コウヤマ君(4)、フクナガさん(3)
コウヤマ君とは大阪の北浜で彼の豪勢な接待を受けて以来、30年ぶりの再会ではないでしょうか。
某製紙会社の接待課長として当時、北浜の顔でしたからね、彼は。
よいよい会仲間のphotonさんとは中央高校での仲良しだったとか。
「photonさんからの便りでモリワキ君が彼女と親交があることを知った時は驚いたよ!」と言います。
くれぐれもphotonさんによろしく、という彼の伝言を随分遅くなったこの時期にお伝えします。
ミスミ・ヒロシ君(4)とヤマシタさん(7)
このお二人も全然、中学生時のイメージが変わっていません。
サカイ君(6) しぶくてダンディな雰囲気を漂わせているのに魅せられて単独ショットを撮りました。
渋いと言えば、彼も渋い。ミスミ・ユウジ君(5)
彼、見かけによらず相撲が強かったのですよね。城南中で無敵を誇った私がおっつけの強さで唯一、
苦杯を味わった相手でした。
トウエ君(3)
何か懐かしい記憶がある人だなと思ったらトウエという名を聞き、一変に思い出しまし
た。彼は何十年ぶりの同窓会参加とのこと。
コガ君(2)、オオハラ君(2)
オオハラ君は私やCapt.Senohやセンコー(もりぞのとしこさんのご亭主)と大変親しかったマツオ君の
親戚なので、彼の消息を尋ねたところ、不明とのこと。
ウチコシ君(1)、タジリ君(1)
タジリ君は鹿児島から駆けつけてくれました。
オカダさん(4)、サエキ君(1)、幹事世話役のモリノ君(7)
久しぶりの出席で、これが最後になるかも知れないと思ったオカダさんはあちこちの席に積極的にお
酌に行って会話に加わったのですが、「なんだ、随分品性が落ちたのと違うか?」とサエキ君に言わ
れたとのこと。
同級だった2年生(西田先生クラス)のときの毅然とした姿を見ていただけに、いつまでもマドンナ然と
していて欲しかった、というサエキ君の願望のなせるセリフでしょう。
この3人、まったく風貌が変わらないのには驚きました。
イシカワさん、フジムラ君(1)、アリトメさん
「イシカワさんとアリトメさんに会うのが夢だった」とこの御仁は言ったのでしょうか。
過去(18年ほど前)にオカダさんと大阪で会った時、同じセリフを吐いたのです。
「オカダさんに会うのが夢だった」と。
奥様に言いつけてやろうかな・・・(私は彼が関西にいるとき、ピアノ教師である彼の奥様とは仕事で懇
意にしておりました)
しかし私も40代のときに初めて同窓会に出席してアリトメさんに再会したときは本当に心がときめいたも
のでした。
私、モリワキ(4)も2年生のときの懐かしいクラスメートだったヤマシタさん、ヤヒロさんの二人と一緒
に撮影してもらいました。
半世紀経っても、お二人とも中学生のときのままのイメージを残されているのですから、感動しました。
ハヤシさん(5)
彼女のスナップも撮ったはずなのになぜか残っていなかったので集合写真から取ってきました。
(ハヤシさん、申し訳なし!)
彼女も2年生のときのクラスメートで、「随分色っぽくなったね」と言うと、「どこでそんな軟弱なセリフを
覚えてきたと?」と突っ込まれました。
同級生の中にも何人も既にこの世を去った人たちがいましたが、2年生のときのクラスメートだったキ
タハラ君の訃報は心に染みました。
彼は裏社会、つまり任侠道の世界に生きた男で、20年ほど前の同窓会にやってきたことがありました。
その世界に生きる男らしく随分派手な格好でやってきましたが、風貌は少しも荒んでなく、中学生時
代のままのしゃべり方、表情をするのです。
アイカワ君が高校時代に不良グループにからまれたとき、彼が「俺のダチや」とかばってくれたとか。
大阪にも行くことがあるというので、来阪時には店に訪ねてきてくれと言うと「俺は一人では行動でき
ず、常に配下の連中が一緒やから、お店に行ったらまずいんだ」と言います。
その後、同窓会に来なくなったので電話したら、「俺が行くとみんなに迷惑をかけるみたいやから」と
言うのです。
「そんなの関係ないだろう。同窓会は社会での立場とかそんなもの乗り越えた間柄の集まりなんだ。
西田先生もアイカワ君もエガミさんも会いたがっていた。今度は絶対に来いよ」と言うと「涙が出てくる
ようなことを言ってくれる」と彼は言ったのです。
それが彼との最後のやりとりでした。
抗争事件で亡くなったのかと思ったら肝臓を患って病死とのこと。
冥福を祈ります。
しかし、こうして今回会って特に懐かしく、親しみを覚える同窓生は全部、2年生のときの西田先生クラ
スの同級生ばかりであることに気付き、如何に熱血教師だった西田先生のおかげでクラスの皆が強い
絆で結ばれていたことを実感します。
ここからはそれぞれ盛り上がったメンバーのスナップです。
いやぁ〜、実に申し訳ない。
私の女性とのツーショットばかりで。
集合写真です。
二次会がモリノ君の経営するお店で行われましたがこれがまた本当に楽しかった。
右端は本編では写真を取り損なったナカムラタカヨシ君(7)です。卒業以来の参加とか。
大変な男前なのに正面からの写真が無し。(申し訳なし!)
誰か彼のスナップを所蔵の方は是非、私までお知らせください。
以下の記述は2014/08/22に記すものです。
上記の写真説明文に記した、
「大変な男前なのに正面からの写真が無し。(申し訳なし!)
誰か彼のスナップを所蔵の方は是非、私までお知らせください」
という私の願いが、1年半も経ってからやっと叶えられました。
ただし、それは悲しい出来事を知るきっかけにもなったのでした。
なかむらたかよし君の左隣の江上さんが2014年8月4日に亡くなったのです。
(詳しいことはこのレポートの終わりの方で記させてもらいます)
ナカムラ君から送ってきたオカダトモコさんとのツーショットです。
そしてこれはナカムラタカヨシ君、26歳のときのもの。
男前ですなぁ・・・(今はイケメンというらしいですが)
う〜む・・・ これって、どう見ても恩師と二人の教え子という感じではないですか?
エシタ君は異常に若すぎる!同窓会ルールの歳相応の風貌違反であり、以後、同窓会には出入り
禁止にすべきです。
大酒飲みのご亭主のことを心配してエシタ君の奥様が迎えに来られたので、是非、宴会に加わるよう
私が強制したため、エシタ夫人にもお会いすることができました。
素敵なご婦人でした。
「とにかく明るい人なのです」のエシタ君の言葉に彼を愛する同窓生仲間はみんな深い感銘を受けま
した。
このお二人とはまた大阪で再会することになります。
素晴らしい同窓会でした。
訃報
2013年6月6日に私の2年、3年の担任をしてくださった西田豊先生が永眠されました。
オカダトモコさんが電話で訃報を伝えてきてくれたとき、私の怠慢でこの同窓会レポー
トのプリントアウトしたものを西田先生にお送りする前に亡くなられたことに激しい衝撃
を受けました。
酸素吸入器のお世話になっているということを知っていて、何でもっと早くにレポートを
送らなかったのか。
西田先生への感謝の想いを記したこの私のレポートは先生に読まれることなく先生は
世を去られた。
もう取り返しのつかない大失態を犯したという痛恨の思いで、私はオカダさんの電話で
嗚咽しました。
魂の不滅というものが本当にあるのなら、西田豊先生の御霊が私のレポートをご覧に
なってくださることを願い、ご冥福をお祈りするばかりです。
2014年8月4日に福岡市立城南中学校第二期生卒業の同窓会幹事を永年勤めて
くださった江上(新姓・田崎)美智子さんが亡くなられました。
写真右側
彼女の訃報を知った経緯は下記のとおりです。
2013年2月9日に行われた城南中学同窓会に50年ぶりに出席した神戸市のナカムラ
タカヨシ君が、2014年の8月8日に偶然にも私の掲載した城南中同窓会のレポートを
目にしたのです。
驚いた彼はすぐさま、メールのやりとりをときたましている江上さんに「モリワキの同窓
会レポートがネットに出ているのを知っているか?」というメールを送ったのです。
そしたらその日のうちに江上さんのご主人が電話してきて、美智子さんが4日前に亡
くなったことをナカムラ君に伝えたのです。
ナカムラ君の話によると2013年の同窓会で再会したとき、江上さんは過去に罹ったガ
ンが再発し、あまり余命はないことを彼に漏らしていたそうです。
衝撃を受けたナカムラ君が、私に江上さんの死を伝えるため電話してきたことで、彼
のツーショットの写真や若き日の写真を私が入手することとなりました。
案内状の発送、会場の予約、名簿の作成など、実務的なことはすべてこなしてきた江
上美智子さんのおかげで城南中第二期生卒の同窓会は何十年も継続して来ることが
できました。
彼女への尽きぬ感謝の想いをこめてご冥福をお祈りいたします。