ニシモト君のお父様の話

ニシモト君が修行を終えて福岡へ帰ってきたら、実家でゆっくりする暇も与えず、お父様はどこそこ
の楽器店で働くようと言って布団を持たせて彼は赴任地におもむき、そこである程度働いてきて戻っ
てきたら、これまたゆっくりする暇も与えずに今度はどこそこの町の楽器店に行けとまた布団袋と一緒
に息子を追い立てるのです。
そんな状態が何年も続くので「親父は僕が可愛くないっちゃろうか」と 真剣に悩んだこともあったとか。
お父様からすれば九州支店長の息子ということで最初から福岡支店勤務をさせるのは本人の身のため
にならず、若い内は他人の釜の飯をたっぷり味わってこい、という意味でニシモト君にドサまわりを
させたのでしょうが、ニシモト君もお母様もさぞかし辛かったことだろうと思いました。

そしてニシモト君がお父様の偉大さを実感するのがお父様が亡くなられてからでした。
九州支店勤務となった彼は、地方の店に出張に行くたびに、ニシモト支店長の息子ということで楽器
店のオーナーたちに大変大事にされ、親切にされるのです。

「ニシモト支店長には本当にお世話になった」
「店が苦しい時、何度も支店長は無理を聞いてくれた」
「今、この店があるのはあなたのお父様のおかげです」

の感謝の言葉を九州各地の楽器店で彼は受けたのです。
ニシモト君が九州支店の意向を受けて、頼みにくいことを楽器店にお願いに行ったときも「ニシモト
支店長の息子さんの依頼とあっては聞かないわけにはいきません」と皆、協力してくれたそうです。

お父様は仕事上のお客さんを喫茶店やランチ等に誘うとき、領収書というものを一切店からもらわな
かったそうです。
そんなはした金を仕事経費として落とすことに抵抗感を持つ人柄だったのでしょうね。
私も高校生になってギターを買ったとき、お父様のお世話で割安で手に入れることができたのでした
が、そのときがニシモト君のお父様とのたった一度の出会いでした。眼鏡をかけた温厚そうなお父様
の風貌と物静かな話し方が印象深く残っています。

「親父は金銭的財産はほとんど残してくれなかったけれど、九州の各地に僕のためにたくさんの無形
の財産を置いていってくれた」とニシモト君は言うのです。
そして驚くべき事は死後何十年も経った今もお父様の無形の財産はニシモト君の仕事を助けているの
です。
今、彼が営業の仕事をしている顧客たちの幼稚園や保育園の園長や理事たちは皆、若き日にニシモト
支店長の世話になった人ばかりで、父親を深く尊敬し信頼するからその息子も同じように信頼してく
れるのです。
各幼稚園、保育園で使う教育楽器だけでなく、マリンバやビブラホーンのような高価な楽器類が競争
することなく、ニシモト君は自社から納入できるのです。