舞鶴幼稚園ミニ同窓会 11年ぶりの帰郷  2013.02.11

今回の帰郷で大きな目的だった舞鶴幼稚園時代の恩師、尾崎恵子先生との再会を果たしました。
場所は室見の料亭「三四郎」。
幼稚園時代の同窓生ではないのですが、「音楽を楽しむ会」で知り合った尾崎先生の西南大学時代
の教え子であるフジモトさんもたまたま帰郷していたので一緒に会うことになったのです。


Capt.Senohは外国に出かけており、某眼科医とコッツウォルズ氏は予定がつかず、駆けつけてくれた
同期の同窓生はハナパパこと、カズキ君(左から2番目)と二十数年ぶりの再会であるマサヒデ君(右
端)だけでした。


幼稚園の正式な名称は西南学院舞鶴幼稚園で、今年創立100周年を迎えます。
秋に記念式典があります。(詳細は文末をご参照ください)

60年前に私たちを担任して下さった先生方。
後列左から佐々木先生、明石先生、尾崎恵子先生、坂口先生、福永さやか先生。
前列左から水町先生、稲石先生。
(さやか先生と稲石先生は亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします)

幼い私の魂のなかに根付いたクラシック音楽への愛好の中でもピアノに対して抱いた特別な憧憬は
これらの先生方の薫陶の影響も大きかったように思います。
何しろ、毎日ピアノの演奏で舞鶴幼稚園の一日は始まり、一日は終わったのです。
若い先生方は「エリーゼのために」やモーツアルトの「トルコマーチ」、「乙女の祈り」などもよく弾いて
おられたのですから。
私がピアノ調律師になったきっかけはこのときか既に萌芽していたのかも知れません。

幼稚園を卒業したあとも私は鳥飼バプテスト教会に通いましたので、そこの教会のオルガニストを勤
めてこられた尾崎先生とはずっと交流があり、私の結婚のときは渡辺禎雄の版画を贈って下さいまし
た。幼子に接するキリストの抽象的版画は私のお気に入りでして、我が家のピアノの上に41年間掲
げられ続けております。



作者の渡辺禎雄については下記のサイトに詳細が載っています。
http://www.philia-museum.jp/kikaku/2011/watanabe_sadao2011-2012.html

尾崎先生ご自身が画家でもあるのです。絵画、絵本の挿し絵など沢山の作品を作ってこられています。
今、私の手もとにあるもので先生の作品を見ることのできるのは下記のテレホンカードのみ。

誰もが知っている高名な画家であり、絵本作家でもある人の画風が好みではない、ということで尾崎
先生と私の意見が一致したときは嬉しかったですね。

幼稚園時代のマサヒデ君(彼の家で)
彼の家は敷地が広く、家屋の回りを一周でき、庭には大きな庭石や大木があり、かくれんぼや鬼ごっ
こには格好の遊び場所で、何度遊びに行ったことでしょうか。

高校卒業の年(舞鶴幼稚園で)

Capt.Senoh宅で。真ん中のマツオ君は消息不明。


高校を卒業して皆、福岡を離れて行くので記念撮影をしたのだろうと思いますが、この3人は幼稚園
時代からの幼な馴染みです。


それぞれ浜松、東京と別れたその年のうちに3人は鎌倉で会いました。(鶴岡八幡宮)


マサヒデ君に比べて、ハナパパこと、カズキ君の写真は極端に少ないのですが、極めつきの格好い
い写真があります。
高校時代なんですよね、これが。


これは40代前後のときでしょうか。(ハレルヤチョウの店で)
右側の女性は私の知己ですが、カズキ君とは何の関係も無い人でたまたま一緒になっただけです。


「次回はセノオ君にも是非、会いたい」と言うマサヒデ君の要望を実現するためにもまたの再会を
誓ってお開きです。
それにしても八十数才の尾崎先生の素敵なお召し物とご風貌には強く感銘を受けました。



尾崎先生についてはかつての教え子である方のブログが先生の近況を伝えております。
http://blog.livedoor.jp/poplar_green/archives/51844524.html

舞鶴幼稚園創立100周年記念式典
2013年11月9日(土)
・記念式典 西南学院大学チャペルにて 10:00〜11:00
・祝賀パーティー 西南学院クロスプラザにて 11:30〜13:30


同幼稚園ホームページで沢山の人の参加を呼びかけています。