『恐怖の谷・沢遡行失敗記』(大峯山系・上多古谷) 昭和62年9月3日

※添付画像はネットから借用したものです。

上多古谷は、女人禁制で有名な山上ヶ岳の北東に面した谷で、大峯のおびただ しい数の谷
の中でも古くから岳人たちが沢遡行に利用してきたポピュラーな谷である。
 大峯の尾根歩きは何十回と経験してきても沢歩きに関してはまったくの初心者である私
や長田正さんだが、今年の5月にモジキ谷で初めて沢遡行にアタックし、たいへん充実し
た沢歩きができたことに自信をつけ、今回、有名な上多古谷を選んだ次第である。
 朝6時45分、林道終点を出発する。前日の夜にこの林道詰めまで車で来てテント泊り
をするからこのように早朝に山の中に入って行くことができるのである。
 大峯山系の山は日帰り山行の難しい山が多く、長田さんと私は週末、あるいは日曜だけ
の山行のときもほとんどの場合、前日、仕事を終えた夕刻に大阪市近郊の地下鉄駅で待ち
合わせ、そのまま大峯の山のふもとまで車を走らせて翌日すぐに山を目指せるようにする
のが常であった。ただ、自宅で服を着替えてそのまま車で地下鉄駅まで行く私はよいが、
長田さんの場合、朝出勤のときから登山に必要なもの一切を持って出かけなければならず、
朝のラッシュ時にターミナル駅を大きなザックを背負って歩くスーツ姿は通行人には相当
奇妙なものに映ることで、これが長田さんの悩みの種であるが、今のところこれといった
解決方法は見つからないでいる。
 7時45分、ブナ又出合に着く。出合とは山中で二つの大きな谷が合流する地点のこと
を言い、たいてい「ブナ又出合」というように名前がついている場合が多い。岸辺に若い
細木のブナが繁るところをなだらかな二つの清流が合流する広々とした明るいたいへん雰
囲気の良いところである。

 ここでワラジに地下足袋という沢歩きの足まわりに履きかえて沢を歩いていく。沢登り
をする場合、通常の登山と違ってコースの大半が谷のなかを行くので、大きな岩が累積す
る川原を縫っていくとき、あるいは渓流に濡れて苔むした飛び石を伝って渡渉するときに
登山靴ではすべって歩きにくいために、濡れたり苔むしたりした岩に抜群のホールド力を
持つワラジを着用するのである。ただ現代人の軟弱な足の皮膚は長時間のワラジの使用に
は耐えられず、足の皮膚を保護するために地下足袋の上に履くのであるが、地下足袋は乾
いた表面のなめらかな岩の上を歩くときはワラジよりもはるかに強力なホールド力を持つ
ので、大岩で埋めつくされたような谷を行くときはワラジを脱いで地下足袋のみで行く。
このようなわけで沢登りをするときはコースの形態によってその都度ワラジ、地下足袋、
登山靴と履きかえなければならず、これが通常の登山よりも時間のかかる原因となってい
る。もっともこういったわずらわしい手順を踏むことが登山の歩行形態を変化のあるもの
にし、沢登りの一つの魅力にもなっているのである。


 

滝の水流が二つに分かれて落下する双竜の滝から左に高巻いていく。高巻きとは、高い
滝や崖、あるいは両岸の垂直にそそりたつ深い淵など通過の困難なところを手前から左右
いずれかの山腹の斜面を登って迂回することを言い、悪場が小規模なところだったらわず
かな回り道ですむが、断崖絶壁の深い峡谷がつづく場合はかなりの高度を登ったり降りた
りしなければならず、そうとうな労力を強いられるときもある。
 すぐに前方に上多古川随一の名瀑、洞門の滝が見えてくる。落差43メートルの水量豊
富な滝が湾曲したせまい谷にドドーと注ぎこむさまは息を呑むような壮観なものである。

ここで沢に降りて滝の前のリッジ状(刃先のように鋭く痩せた形状)の岩をつたって沢を
渡り、右岸の斜面を登り、チムニー状(樋のように溝になった形状)の岩場を登って、落
ち口(滝が落下する地点)に出る。ここから沢を行き、すぐに幸次郎窟と呼ばれるS字状
に谷がえぐられたゴルジェ(両側の岩壁がせばまって人間の喉元のような形状を成す谷)
の入り口に着く。渇水状態で砂州が露出しているので中に入っていったが、両側の絶壁は
オーバーハングして険しくそそりたっており、奥のほうでは砂州がなくなってしかも出口
は滝となっており通過は不可能だった。

ここは引き返して幸次郎窟入り口の左を高巻きし、
滑滝(なめたき・沢床が一枚岩のようになってゆるく傾斜していてその上を水が滑るよう
に流れていくところで、水流に研磨された岩床の表面がなめらかになっていて見た目がた
いへん優美に見える)の先から沢に降りる。すぐに右岸高巻き。巻き道の踏みあとが出た
り消えたりの連続で、予想外にはかどらないトラバース(本来は岩壁を横ぎることを意味
したが、山の斜面や雪面を横に捲くようにしていく場合にも使われる)が続く。
 次に沢を横切る目安となる煙突の滝がなかなか現われない。沢を遡行するとき、谷には
数多くの枝谷があって、なかにはどちらが本谷か判別できないようなときがしばしばあり、
登山者は先人達の書き残してくれた沢遡行図というものを見ながら登っていくのだが、こ
の遡行図には淵やゴルジェや一メートル以上の滝がその高さを表示して記入されており、
それぞれが地図上に記入されている位置関係から現在位置を割り出し、分岐ではどちらの
谷を行くのか、あるいは高い滝の前ではどちら側の山腹を高巻くのかを決めていくのであ
る。とくに規模の大きな滝や形状のユニークな滝は固有名が遡行図に記入されており、長
い沢遡行で現在地点を判断する重要なポイントとなっている。
 煙突の滝も、長い左岸の高巻きから右岸に移る重要な目印となるところなのだが、結局、
この滝は確認できないまま進んでいくことになり、以後、結果的には現在位置が解らない
状態のまま多治良淵(たじらふち)まで行くことになった。

 大岩の間から落下する滝が現われ、これが煙突の滝ではないかと長田さんが言った。煙
突の名からチムニー状の形を想像していたのだが、該当する滝がいっこうに現われないた
めに、大岩の中を文字どうり煙突のような管を作って流れる滝、と解釈を変えたようであ
る。20メートルと解説書に記されているが、岩の内部の分を加えてもせいぜい5〜6メ
ートルの滝なので、半信半疑ながらもこの滝、と言うよりも大岩の上に降りる。時刻はす
でに12時半を過ぎており、ここで昼食をとる。
 午後1時過ぎ、いよいよ、ここを出発して右岸の急斜面を登っていく。「いよいよ」と、
ことさらに記すのは、実はこの先で今までに経験したこともないような危険な悪場を通過
することになり、まさに波乱に富んだ山行となるからである。そして、そのときの極度の
緊張のあまり、危険な悪場を通過する前後のことが記憶に定かでなくなり、この山行記録
も記述が飛び飛びになってしまうのである。
 最悪の岩場を越える前に、長田さんが空身(ザックなどを背負わない状態)で岩場の斜
面をよじ登り、二つのザックをザイルで引き上げたこと、そのとき、ザイルを二重にする
と届かず一重で吊り上げたこと、足場が不安定なために両手で引っ張ることができず、片
手でザイルを操作したため、長田さんの片腕がなまってしまったこと、途中の張りだした
岩にザックがひっかかって、枯れ木で下からつっついてザックを左右に振ってやっとの思
いで吊り上げたこと等を覚えている。そして、もしこの急斜面を降りなければならなくな
ったときは、長さが足りないために二重まわしができないザイルは回収不能のため放置し
なければならず、以後、ザイル無しでこの谷を引き返すという危険なことになり、このこ
とが次の悪場で危険を侵して前進せざるをえなくなった大きな要因となる。
 問題の最悪の岩場は、二段階の急峻な崖となっており、二人が共に立ったせまい棚の左
手、目の高さの位置に残置ハーケンが2本岩に打ち込まれていて、テープ状の捨て縄(利
用したあとに多くの場合回収不能のためにそのまま放置される短いロープやザイル)がつ
いており、そこから2メートル上の岩にも、同じようなハーケンと捨て縄がついていた。
これらが登るために打ち込まれたのか、それとも撤退のために工作されたのか判断に苦し
むところだが、少なくともこれらを使わなければ登高不能であることは即座に見て取れた。
ハーケンを利用しての岩登りの経験が無い我々は、簡単に後戻りできるのならためらわず
にここで登ることを断念して引き返したことだろう。しかし前述の理由から引き返すこと
のできない我々は前進せざるを得なかった。
 最初の捨て縄にザイルを通して支点としてザイルを私が確保し、長田さんは空身で登っ
ていく。万が一、長田さんが墜落したとき、支えてくれるのはこのいつ打ち込まれたかも
解らない残置ハーケンと捨て縄と私の頼りない腕力だけなのである。最初の足場に登った
長田さんはいったんザイルをはずして、そこに残っている二つめのハーケンのステナワに
ザイルをとおし、これで二ケ所に支点をもつ確保体制にする。ところが次のステップに登
るのに、右横の巾1.8メートルほどの垂直の岩場を横切って上によじ登らなければなら
なのだが、この岩場にはしっかりした足掛かりも手掛かりもなく、右手で精一杯のばして
辛うじて掴むことのできる岩場の向こうがわの残置ハーケンから垂れ下っている赤い布き
れと白い布きれ二つを掴んで、それに全体重を託して登るしか道はなく、長田さんはここ
でずいぶん躊躇するのである。
 そこの岩場の通過の危険そのものもたいへんなプレッシャーだが、何よりも長田さんを
悩ませたのは、たとえここを無事通過して上に這いあがれても、その先に抜けられるルー
トがあるという保証は何も無いことで、もし、この上で行き詰まってしまったら、ここを
降りることは危険どころの騒ぎではなく、崖の途中で立往生してしまうことになりかねな
いためで、あとで「私の半生でこれほど迷ったことはなかった」と言わしめたくらいの追
い詰められた気持ちになったのである。しかし、ここで引き返そうにもこの下の悪場もザ
イルなしでは降りられないところで、しかもザイルの長さが足りないため(10メートル)
一重ばりになる回収のできないザイルを放置していかなければならず(一重の場合は支点
にザイルをくくりつけるため、下に降りた後ではそれをほどくことができない)、以後、
登りよりも危険な谷の下りをザイルなしで降りていくことはこれまた危険きわまりなく、
とうとう一か八か前進することに決めたのである。
 いったん決意すると長田さんは実に果敢であり、精一杯伸ばした右手で赤と白の布きれ
を握り締め、足掛かりとはとても言えぬ岩の壁のふくらみに足を踏張って、岩かどを持っ
ていた左手を離し、赤と白の布きれに文字どおり命を託して体を右横にふったのである。
すぐさま両手で布きれをつかみ、体のゆれを止めて上の岩かどに手をかけ、敏速に岩場を
よじ登り、岩影に姿を消したとき、固唾を飲んで見ていた私は呪縛を解かれたように「安
全地帯ですか?ルートはありそうですか?」と大声で聞いた。しばらくして、「安全そう
なルートがあるようです」と答が返ってきたときには思わず神仏への感謝の言葉を心のな
かで叫んだものである。
 さあ、それから荷あげである。これは登ってから分かったのであるが、岩場を登りきっ
た崖そばにしっかりした樹木が生えていて長田さんはそこにザイルを固定し、その木の根
元にまたがって両手でザイルをひっぱることができたことは我々にとってたいへんな幸運
であった。最初に長田さんのザックを引っ張りあげたが、岩壁を引きずるためなかなか簡
単に引っ張りあげられず、やっとの思いで荷が登ったとき、重たい私のザックは大丈夫だ
ろうかと思っていたら、長田さんが上から、私のザックの中身を二つに分けるようにと指
示してきた。ポリ袋ではやぶれそうなので、シュラフカバーに分けた荷物を入れ、二度に
分けて今度はすんなりと上げることができた。なんでもないことだが、こんな極度の緊張
を強いられる状況下でこういうことを思いつき、すぐさま指示してくる長田さんの冷静さ
には感服させられる。
 さあ、いよいよ私の番である。長田さんがザイルをほどいて下におろすまでの間じっと
待っているとき下を見下ろしてみるとすごい高度感である。転落したらまず命は無いだろ
う。しかし高所恐怖症気味の私だが不思議と平静な気持ちだった。ザイルを腰のベルトに
通してしっかりと結ぶ。長田さんのときと違って身体は岩上の樹木で固定されたザイルで
確保されているため、万が一のときでも安全性は格段に高い。最初の足場のところには簡
単に登れたが、そこに立ってみて初めて次のステップの困難さが下から見ていたときより
もはるかに大きいことを実感した。右に横切る岩場が完全な垂直の壁で、しかもこちらの
立っている足場と向こう側のハーケンから垂れ下っている赤と白の布きれの間にその垂直
の岩壁は少し張りだしているのである。下は何もさえぎるものがなく、さすがに背すじを
寒気が走るのを感じ、私はなんという立場に追い込まれてしまったのだろうと思ってしま
った。よくも長田さんは上からの確保も無しにここを渡る気になったものだとあきれる思
いで、正直言って心底怖いと思ったが、長田さんはもっと危険な状態で渡っているのだと
自分に言いきかせて心を落ち着かせ、いよいよ行動に移る。
 左手で目の前の岩かどをつかみ、長田さんの指示にしたがって右手をいっぱいにのばし
て向こう側の布きれをわしづかみし、思い切って左手を岩かどから離すと、体は振り子の
ように向こう側に振られ、急いで左手を布きれにそえて、必死になって左足の足掛かりを
探して体を安定させる。この間、布きれに全体重がかかっているわけだが、布きれが切れ
るとかハーケンが抜けないかなどといったことは不思議なことにほとんど念頭に浮かばな
かった。あとはどこをつかんではい登ったのか記憶になく、覚えているのは予想したより
スムーズに崖上によじ登ることができたことだけである。長田氏が上からザイルでひっぱ
ってくれるので、いとも簡単にはい上がれたのだろう。安全帯にはいあがったとき、へな
へなとするような脱力感に襲われた。
 「やりましたね!」と長田さんが祝福するように言ったが、私は「ええ」とうなずくの
が精一杯だった。家族や知人に、山登りが大好きだが岩登りや雪山登山のような危険性の
大きい山行はしない主義だと常々言っていたが、私がそのつもりでいても山というところ
は何が起きるか解らないところである。いつ否応なしに岩登りをしなければならない事態
に陥ることもあるだろうと予想はしていたが、こんなひどい岩登りをするとは夢にも思わ
なかった。この岩場のことは決して忘れることはないだろう。
 そこから上は長田さんの言っていたように、安全そうな斜面だったことは覚えているが、
この悪場の緊張感が極度に応えたのか、この悪場近辺の前後の記憶がおぼろげなのである。
このあと最終的に沢遡行を断念した多治良淵のところでは谷の左岸の巻き道にいたので、
途中必ず沢を横切っているはずなのだが、どんなところを通ってきたかさっぱり覚えてい
ないのである。長田さんも同様で、我々は話に聞く記憶喪失にやや近い体験をしたのでは
ないかと語りあったものである。いかにこの悪場での緊張感がすさまじかったかがお解り
いただけよう。ただ、この危険な岩場を私が登りきった直後に小雨が降りだしたことだけ
は印象深く覚えており、今回の困難な山行中何度か経験した幸運の一つであった。登攀中
だったらと思うとゾッとする。
 多治良淵に着いたのが3時半頃だっただろうか。予定ではここから本谷と別れて竹林院
谷を遡行して山上ケ岳に向かうのだが、時間的にも途中で暗くなる可能性が強く、それに
またどんな悪場が待ち受けているやも知れず、夜の谷は危険だし、幸い、ここからカネカ
ケ尾の尾根に至る登路が地図にのっているから、カネカケ尾に登って尾根通しで行こうと
いう長田さんの提案に即座に私も賛成し、上の方に向かっている巻き道といっても踏みあ
と程度のものだが、そこを我々は登っていったのである。あんな恐ろしい思いをしたあと
ではもう沢歩きに未練はなかった。
 途中ピカピカに光る見事なヒメシャラの大木のところでわらじと地下足袋を脱いで登山
靴にはきかえたが、このヒメシャラの木のすぐ上のところで右に行く踏みあとを見つけ、
いっときもはやく尾根に出たかった我々は直登の道を登っていった。
 20分ほど登ったであろうか、突然、「おお、これは!」と叫ぶ長田さんの愕然とした
声に上のほうを見上げると、長田さんが茫然と立ちつくしているではないか。急いでその
地点までたどり着いてみるとそこは斜面が平坦になっており、なんと樹木越しの前方に大
きな岩壁がまるで城塞のように左から右へ視界に入るかぎりはりめぐらされているのが眼
に入ったのである。大峯で随所に見られる岩嵒で、岩の絶壁が山腹の斜面を断ち切るかの
ようにきりたっている山水画のような光景は大峯独特のものである。いかにも山岳修験の
山らしい雰囲気をかもしだしている私の好きな大峯の眺めなのだが、そんな風流なことも
安全な尾根の登山路を歩いているときこそ言えることであって今の我々には風情を面白が
っている余裕はなく、とんでもない物が出現したといった実感で、我々を嘲笑うかのよう
にはりめぐらされた障壁はまことにおぞましいもののように眼に映ったものである。こん
な立派な踏みあとの道があるのだからどこか抜けられるはず、と私は言ったが、それは自
分に言いきかせるような気持ちだった。
 右手の方は見渡すかぎりかなり遠くまで障壁が続いており、ルートがあるとすれば左手
の山腹が切れこんでいるところしかないようで長田さんはそちらの方に登っていくが、や
がて「これは駄目だ、行き止まりになっている」と言い、私も追いついて長田さんのそば
に立つと、山腹が絶壁によって断ち切られたように谷に落ち込んでおり、鳥でもなければ
そこの通過は不可能だった。谷を越えて正面にはここを通過できれば登って行く予定だっ
たカネカケ尾のそそりたつ絶壁尾根が高くそびえており、その尾根の鞍部から滝が流れ落
ちていた。霧雨にもやうその光景はまさに峻厳なる山水画そのままで、そのときの我々の
心理状態がそう感じさせるのか凄味のある美しさで、我々は茫然とそこにたちすくんで前
方の光景に見入ったものである。今こうやってこの手記を書いているときもこのときの光
景はまざまざと思い出される。
 結局、我々はここを引き返すしか仕方なく、この苦労して登ってきた急坂を降りていく。
そんなにひどく落胆はしなかったが、今日中に尾根に出られるのだろうかという不安な気
持ちにはなってきた。そして、こんなことをしていても今夜の夜半頃にはどこか夜営地で
テントの中でぐっすり眠っているのだろうな、とも思ったりしたのである。
引き返していく途中、私は、わらじを登山靴にはきかえたヒメシャラの大木の地点で右
手に行く道があったことを思い出し、長田さんもあるいはその道が突破口につながるの
かも知れぬと考えたようで、再び希望を持って斜面を降りていった。幸いなことに我々
は9時間も山の中を行動してきているのに二人ともさほど疲労しておらず、次への行動
がスムーズにでき、これが以後、我々二人をしてかなり冷静な判断をしからしめること
ができたのである。
 下りは上りよりも東の方にルートをはずしたようで、目標のヒメシャラの大木に出くわ
すことなく、大木のところから別れていった東方向への道に降りたった。踏みあとのしっ
かりした道で、とにかく尾根に出なければならない我々はこれに望みを託してたどってい
く。この道は山腹を巻いていくような感じで、小さな涸沢をわたり、右に大きく曲がって
いく。踏みあとは時々消えかけたりして我々の希望も消えかかりそうになりながら、また
すぐ踏みあとが出てきて希望もまたふくらんでくるといった一喜一憂を繰り返しながら進
んでいく。今回の沢登りの巻き道はこんなのばかりである。
 やがて道は登りとなり、そして再び岩の壁に突き当たるのであるが今度は高さがぐんと
低くなっており、20メートルほど右方に一ヶ所、岩壁がへっこんだように割れて低くな
ったようなところがあり、なんとかここを突破できそうな感じで我々は急斜面を登ってそ
こにたどりつく。大雨などで土砂がここを流れ抜けるためだろうか、そこの近くは斜面が
盛りあがって余計岩場との高度をせばめており、高さは3メートルぐらい、足掛かりもあ
るようでなんとか登れそうである。空身で長田さんが登り、登りきったところにしっかり
した木が生えていてそこにザイルを結びつけ、二つのザックを引きあげ、私もザイルでひ
っぱってもらうのでいともたやすくはいあがる。そこから下を見ると、登ってきた山腹の
斜面は思ったよりも急でけっこう高度感があり、まだまだ気を抜けないと思った。
 ここから上も傾斜が45度以上はあろうかと思われるかなりの急斜面で、右手の草つき
のところを踏みあとらしきものが斜め方向で上に向かっているが、手でつかむものがなに
も無く危険なので左手のスズタケの密生した斜面に直角のルートをとることにする。いつ
ものごとく長田さんが先行し私がつづく。スズタケが密生していたことは幸運であり、こ
のスズタケの束をわしづかみにして登らなければとても登れなかったのではないかと思う
ほどの急斜面だった。そこを登りきると斜面は比較的ゆるやかになり、樹木の繁る中をか
すかな踏みあとをたどって登っていくと大岩のところに出、そこには左右にしっかりした
踏みあとが走っていた。オーバーハングした大岩の下は、幅2メートル足らずほどの道が
広くなっていてよく踏み固められており、野営によい場所だな、と思ったものである。時
刻はすでに4時半、我々は今日中に山上ヶ岳に到達することについてはすでに断念してお
り、とにかく尾根に出て尾根上の適当なところでビバーグすることを決めていた。
 ザックをおろして休憩しているとき、長田さんがちょっと様子を見てくると言って空身
で左の方の道へ向かっていく。しばらくして私もあとを追ったが道はどんどん水平方向に
巻いていっており、はぐれないように先行の長田さんと声をかけあって進んでいく。やが
て長田さんが、道が完全になくなっている、と引き返して来たので、私は途中から上の方
に向かっているかすかな踏みあと程度の道を探ってみることにし、長田さんの了解を得て
斜面を登っていった。5分ほど登ったところで行く手に岩の壁が現われたが、今度のは左
に行くほど低くなっていて左端では山腹に埋もれるようなかっこうで終わっており、あそ
こをまわりこめば登れるなと思って元気づいてそこにたどりついてみるとそこから上の方
にシャクナゲの木が群生しており、なんとその向こうには空が見えるではないか。ついに
尾根にたどりついたのである。そこまで行って確かめようかと思ったが、シャクナゲは岩
場のやせ尾根に群生する特徴があり、尾根であることは間違いないと思い、またやせ尾根
でのビバークは不適なので今夜はあの大岩の下でビバークしたほうが良いと思って大声で
長田さんに尾根に出たことを知らせながら降りていった。
 デポ地(縦走路からはずれた脇道やピークを往復するときザックを置いておく場所)の
大岩のところにもどる道すがら、大岩のところでビバークすることを提案したが、あの大
きくオーバーハングした大岩の下にもぐり込むようにテントを張るのが長田さんには今一
つ気が進まないようであった。たまたま、山陰地方で裏山の大岩がころげ落ちて民家を押
しつぶし、住人が死んだというすこぶる心のはずまないニュースを我々は昨日の新聞で知
ったばかりなのである。
 長田さんはデポ地に着いてから、今度は右の方につづく踏みあとを探りにいってくると
言って出かけていった。そして15メートルほど離れた山陰に姿を隠したと思ったらすぐ
にまた姿を現わし、尾根に出たと言うので急いで私も行ってみると、山陰をまわった急坂
を登るとすぐに潅木の茂る比較的広い尾根に出たのである。先ほど私が見つけたシャクナ
ゲ尾根からここまで急に尾根が落ち込んできているようである。
 長田さんはなんとかしてここでビバークできないものかと思ってずいぶんあたりを物色
したが、ところどころにある潅木中の空間の地面はことごとく傾斜しており、傾斜地で寝
ることの寝心地の悪さについてはバリゴヤの頭でのビバークでこりごりしているので、長
田さんもとうとう大岩のもとでビバークすることに同意した。
 とにかく尾根に至ることができたことで明日はゆっくりと尾根道を通って山上ケ岳まで
行く目安もついたので二人とも一安心して大岩のところにもどり、ビバークの準備にかか
った。長田さんの二人用テントをオーバーハングの岩の内側にぴったりくっつけて張ると
30センチほどの通路もとれ、ちょうどうまい具合におさまった。
 夕食はキャベツを適当にちぎってマグロのシーチキンと一緒にコッヘルで蒸したもので、
これは長田さんに教えてもらった料理法で、素朴だがおいしく簡単につくれるので、長田
さんとの山行はいつもこれで通している。あれだけの緊張した山行の後に飲むビールのな
んとうまいことか。水の残量が明日のことを考えると十分でなく、真空パック米は中身を
出してこのキャベツと汁と一緒に煮て食べることにしたが、意外とほっこらと煮えてしか
もキャベツとシーチキンの汁で味がついてとてもおいしいのである。二人できれいに食べ
てしまった。
 食後、長田さんがゴミや割り箸を燃やそうと言い出し、「ミニたき火でもやりますか」
と私も同調し、一緒になってなんとか火をつけようとするがいっこうに箸は燃え上がらな
いので私はすぐにあきらめてしまった。しかし長田さんも面白い人で、こうなったら意地
でも、と言ってロールペーパーの紙なども動員してやっきとなって火をつけているうちに
やがて箸は燃えだしたのである。やっと焚火らしくなったが文字どおりミニ焚火である。
こうなるとこのままで終らせるのが惜しくなるのは自然の成り行きで、あたりの枯れ木の
小枝を折って火にくべると火はいきおいよく燃えだしたからたまらない。長田さんはそこ
らの枯れ木だけでは足らないとばかり、離れたところまで枯れ枝を探しに出かけ、もうす
っかり暗くなって足元が心もとないだろうに、バキッ、バキッと威勢よく木を折る音が暗
闇のなかに聞こえていると思ったら、太いのも細いのも大小織り混ぜてごっそりと枯れ枝
の束をかかえて戻ってき、次から次へと火にくべると一気に高い炎をあげて燃えだし、山
彦ぐるーぷのにもひけを取らぬ本格的な焚火となったのである。
 大企業向けの特許事務所の経営という精神的重圧の強い仕事に従事する長田さんが、山
のなかではそれらのものをすべて忘れて少年の心に帰っているのだろう。嬉々として喜ん
でいる姿は無邪気なものである。もっとも、億という単位の巨額の利害がからむ特許申請
業務を一任している依頼主の大企業のお偉い方が、こんな危険な暗闇の山中ではしゃぎま
わる長田さんの姿を見たら、今後の契約の更新に検討の余地があることを見出だすのでは
なかろうか。
 おかげで濡れた衣類などを乾かすことができ、実用的にも精神的ないこいにも大きく貢
してくれた焚火で、予期せぬビバークであったが印象深い思い出を残してくれたのであっ
た。
 九時ごろテントのなかに入り、シュラーフにもぐって横になる。横になったまま長田さ
んが、明日は山上ケ岳を目指すのをやめて、尾根を下って出発した林道詰めにもどろうで
はないか、と言った。カネカケ尾根を山上ケ岳の鐘掛岩まで登る尾根上のコースは地図に
はルートが記入されているもの一般道ではないために道は無くなっている可能性が強く、
やぶこぎを強いられての登りは辛く時間もかかるだろうし、山上ケ岳へ出てからも柏木道
にまわって下りてもとの林道詰めまでもどるのはかなりのハードな行程である、と言うの
である。
 長田さんの考えは至極もっともなことで、理性的には即座に長田さんの意見が正しいと
思ったが、初めて登るカネカケ尾根への期待と長いこと歩いていない柏木道のことがなつ
かしく、そして今年はまだ一度も山上詣でをしていないことなど、それらすべての望みを
充たしてくれる登りを放棄することにかなり未練が残ったが、そんな思いは冒険心の強い
長田さんのほうがもっと大きいであろうにあえて慎重を期するのだからここは絶対に引き
返すべきであると感じ、賛成した。これを理性の声に従うと言うのであろう。山登りにお
いては何よりも大切にすべき心がけである。
 翌日は四時半に起床、フランスパンとバターとさんまの缶詰にコーヒーの朝食を取る。
朝になって気がついたのだが、近くに丸太の焦げたのがころがっており、以前にも誰かが
ここでビバークをしたことが推察された。我々と同じように道に迷って苦労してこの地に
たどり着いたのであろうか。奇妙な親愛感をその未知の先人に感じる。
 テントをたたみ、6時に出発する。昨日長田さんが見つけた尾根の地点にあがり、潅木
帯のなかの踏みあとをたどって樹木の密生した尾根通しに降りて行く。こんな踏みあとが
下までずっと続いてくれれば下りは楽で早いだろうなと思ったが、こちらが願うようにそ
う簡単にふもとへ降ろしてくれないのが大峯の山々である。慎重を期していちばん安全な
コースをと思って取ったこの下りだが、きっといろいろな波乱はあるだろうと予感したが、
私のこの予感はこの先かなりあたるのである。
 下りの尾根道は、尾根の名を太尾というが、末端はブナ又出合になっており、地図上の
コースはこの太尾尾根上を東に向かい、尾根が急激に降下するところでコースを北の方角
に転じて山腹を下降し、やがて右にトラバースをしてブナ又出合のところで沢に降りるこ
とになっているが、踏みあとの分岐が不明瞭になっている場合は北に方角を転じて尾根を
離れていく地点を決めるのが難しいだろうと予想される。
 尾根の踏みあとは懸念したとおり随所で消えており、尾根も所々で崖や急坂になってい
るためいったん尾根をはずれ、山腹を捲くところがいくつかあり、そのほとんどが尾根の
右側だったように記憶している。太尾という名のとおりこの尾根はやせていないために尾
根上が広く、尾根の走る方角がわかりにくかったが、尾根上の樹林の中にはツガやモミの
ような太くて高い木が所々にはえていて、これが樹間越しの前方の空間に見えているため
に下っていく尾根の方角が判別でき、有り難い存在であった。こういった勾配の急な尾根
に立つ針葉樹の大木のたたずまいは実にいいものである。
 やがて勝負塚山が左手に見えだしたころからこのピークをコンパスで計りながら北の方
に尾根をはずれていく地点を決めるため、注意深く地形を観察しながら降りていく。そし
て尾根の左手がヒノキの植林帯になっているところに着くのである。山歩きをしていると
き、単調で薄暗い杉やヒノキの植林帯よりも自然の雑木林地帯を歩くほうが私ははるかに
好きであるが、とにかく安全にふもとに降りたい心境のこのときばかりは人里にいたる道
の存在が大いに期待できる植林帯に出くわしたことは気持ちのホッとするものがあり、実
に好ましいものに思われてくるのだから面白いものである。やれやれ一安心とばかりここ
で休憩し、前方に見える勝負塚山の位置をコンパスで計って検討してここが進路を北に転
じるところと決めたのである。
 10分後に出発し、我々は気持ちも明るく意気ようようとヒノキ林の中を降りていった。
しばらく降りて行けば人里にいたるはっきりした道が行く手に現われるはずである。
ところがあてのはずれたことにすぐに植林帯を出てしまい、いばらやタラの木などのと
げを持つ細木の繁茂するヤブの中に突入し(後から考えれば植林帯を突っきらずに林のな
かを右に捲くようにして行けばよかったのかも知れない)、かろうじて人か動物の通った
形跡の見分けられるところをいばらをかきわけながら苦労して降りていくとやがて下に沢
が見えてくるではないか。地図のコースを調べると沢に降りるところは無く、どうも北に
方向を転じるのが早すぎたようである。現在位置の高度(正面に見えている勝負塚山の高
さから判断するにまだまだ相当高いところにいる)を考えるとこんな高さのところから沢
に降りていく気にはとてもなれず、右の方向にやぶや潅木をこいで捲いていく。踏みあと
も無い斜面を手に刺さったら飛び上がるように痛いいばらのとげに触れないように行くの
だから歩きにくいことのすこぶるおびただしい。からだのバランスをくずしてもうかつに
樹木をつかむことができないのだからまったく難儀する。
 やがて踏みあとらしきものが現われ、大きな岩なども露出しているところにやって来た
が、昨日、崖に苦しめられたことに心底こりごりしている我々は、こんな岩場に出くわす
と、また行く先にとんでもない崖が出現して我々の進路を阻むのではないかと暗澹たる気
持ちになってくる。そしてすぐに前方の山腹が急に切れているところに来て、踏みあとは
まっすぐと左手下方に急坂を降りていく方角とに別れているのである。
 長田さんが前方の踏みあとを偵察に行くことになり、ザックを背負ったまま出発してい
く。長田さんの姿が切れこんだ山腹の向こう側に消えてから五分もしただろうか、もし前
方の道が悪場で、万が一長田さんが転落事故でも起こしたとき、現場を確認できなくては
どうしょうもなくなると思い、私もあとを追っかけて行くことにして出発する。山陰をま
わってみると山腹は広い棚のような窪地になっていて、ややオーバーハングした巨大な嵒
がのしかかるようにして壁を造って囲んでいた。樹木が欝蒼として繁っており、薄暗くて
気味の悪いところだが緊急のビバークには良いところだなと思ったもので、まだ朝方だと
いうのにもしかしたらまともにふもとに降りれず、今夜もこの山中ですごすことになるの
ではという思いが心の中をよぎったりするのである。
 長田さんのザックが置いてあり、大声で呼ぶと左手の下方から応答があって、やがても
どってきたが、左手の坂は先で絶壁になっていて降りれないとのことである。右手はオー
バーハングの岩壁だし、左手も絶壁の谷となると残るルートは岩壁の左端になる正面しか
なく、私が立っているところから見るとその向こうも絶壁になっているとしか見えないの
だが、よくよく注意深く観察するとなんとなく踏みあとらしきものが見えるような気がし、
選択の余地の無い我々はなんとかそれがルートであることを祈るような思いでそちらに向
かって行く。
 そしてこれが脱出のルートだったのである。岩壁の左端を捲いて向こう側にまわると、
岩場もせまく急な下降のところも随所においてあるが踏みあとは途切れること無く続き、
何よりも嬉しかったのは、尾根を北に方向を転じて降りてきて以来初めてこの太尾のもう
一つ南側の尾根が姿を現わしたことで、我々は紆余曲折しながらも正しい方角に降りて来
ていることが証拠だてられたと思い、おおいに勇気づけられたのである。つまり、我々は
下降地点の本谷と茶屋谷の合流地点、ブナ又出合に面した尾根の末端に来たと判断したの
である。あとはここを本谷の沢に降りればよいのであり、急だがしっかりした踏みあとの
ある坂を気持ちも明るく降りていく。
 やがて本谷の沢の水の流れが樹間越しの下方に意外と間近に見れるようになり、すぐに
なんの苦労も無く沢に降りたつことができた。ところが降りた沢は往きに通った本谷には
間違い無かったが、なんとそこは、すぐそばの上流がS字状のゴルジェ帯となっている幸
次郎窟のところなのである。幸次郎窟はブナ又出合よりもまだずっと上流で、ブナ又出合
との間には本谷屈指の洞門の滝や双竜の滝があるわけで、我々はずいぶん手前で沢に降り
てしまったようである。しかしここから下はたいした悪場も無いので、我々は無事危険地
帯を脱出したことを喜びあった。
 ここで多めに休憩することにし、沢の砂州でコーヒーを沸かして飲む。インスタントコ
ーヒーだが、艱難辛苦をくぐり抜けてきたあとのコーヒーの味は格別で「おいしいですね
ー」と言いながら顔を見合わせたときの長田さんの表情はゆるみっぱなしで、私も同様の
和やかな表情だったであろう。
 心身ともリフレッシュした休憩のあと、我々は地下足袋とワラジに履きかえ、沢を下っ
ていく。すぐに洞門の滝の落ち口に着き、ここで右岸に渡り、滝横の八メートルのチムニ
ー状(排水溝を縦にしたような形状)の岩場を慎重に降り、洞門の滝を間近に眺めながら
草付き場のゆるやかな坂道を降りていく。滝壷をはさんで中くらいの高さから眺める落差
50メートルの洞門の滝は水しぶきをあびんばかりに近く、すごい迫力である。
 ところが私はこの坂道でスリップをして尻もちをつき、長田さんをひどく驚かせ、「な
んという大胆なことをするのですか」と厳しく叱られるのである。大胆なことをすると言
われても私は何もわざとスリップしたのではないのにと思ったが、長田さんの考えでは、
山ではどこでもスリップをしないように気をつけなければならないが、特に絶対にスリッ
プの許されない場所というところがあり、そんなところでは細心の注意をはらって歩くべ
きなのにそれを怠ったというわけで、私の場合、まさにそのとおりで、ぼんやりと考えご
とをしながら歩いていたのである。この山行の後に弥山川を遡行したとき、一の滝の吊り
橋で先に渡った長田さんが「滑りやすいですよ」と注意してくれたのに「はい、はい」と
返事をしながら長田さんの見ている前でツルッと滑ってしまい、以後スリップについては
長田さんの信用を無くしてしまったものである。長田さんが指摘するようにまだまだ山を
なめているところがあるのだろう。二人とも山登りを始めて似たような年数なのに、すで
に熟練度の差を感じる一方、普段は温厚で物静かな人なのに命にかかわる危険なことがら
については遠慮会釈なく厳しい苦言を呈してくれる優れたパートナーを得られた私の幸運
を改めて感じたことである。
 洞門の滝の下で岩伝いに左岸に渡って左岸の捲き道を行き、双竜の滝を越えてやがてブ
ナ又出合に着く。昨日、林道詰めを出発したおり、このブナ又出合で地下足袋、ワラジに
履きかえ、意気ようようと沢を上っていったのであるが、そのとき前途に二日間にわたっ
てこんな大きな困難が待ち受けていようとは夢に思わなかったのである。よくも無事にも
どれたものだ、と登山靴に履きかえるときに感慨深いものが心のなかに湧いてきた。
 あとは右岸の山腹の捲き道を通り、30分ほどで林道詰めに着く。車のそばに着いてザ
ックを降ろしたとき、長田さんとがっちりと握手する。普通山頂に着いたときにする握手
だが、このときの握手は実に実感のこもったものだった。到着時刻は午前12時半であっ
た。
 林道を走り抜ける車のなかで、「しかし上まで行けなかったのは悔しいな。またいつか
再挑戦したいものだ」と長田さんがつぶやいたが、いかにも長田さんらしいと思った。私
は当分、あの悪夢のような岩場のことを夢に見ることだろう。