第7話『モーツアルト』 (by リワキーノ)

 私は時空を旅する存在である。
 あるときは生命体として、あるときは非生命体としてこの地球上に存在し、様々な人間
の情景を眺めてきたものである。
 私はそのときそれぞれで、外部から客観的に人間を観察し、あるいはその内面の世界
に入りこんでその人間の心理を読み取るだけでなく、その人間の過去と未来をも透視するこ
とができる存在である。
 そしてここに描く人間の情景は、1970年代の日本国、場所は関西の海に隣接するある
町で観察したものである。
 当時、多く存在していたクラシック音楽喫茶店の中で二人の男女の会話を傍観したもので
、男は高校生時代、九州北部のある都会でキリスト教会の聖歌隊に属していたころ、歌唱指
導に来ていた女に深く憧れ、女の方もこの男を弟のように愛したという間柄であった。  
 二人は男の高校卒業と同時に離れ離れとなり、10数年後、郷里から遠く離れた町での音
楽会で偶然にも再会するという状況下であった。

 しばらく沈黙が続いた後に女は男の顔を見つめたまま、「なんて、きれいな曲なんでしょ
う!」とつぶやいた。
それはつい今しがた店の中を流れ出した音楽だった。男はニッコリした。 
「あなた、この曲をご存じなの?」
「ええ、モーツアルトのクラリネット五重奏曲です」
 女は感嘆したような面持ちで男を眺めた。
「あなたって、本当にいろんな曲を知っていらっしゃるのね!」
 そのとき、通路を隔てた隣席の男が振り向いてニヤリとした。齢は40代前半と思われる
その男は彫りの深い風貌をしたなかなかの好男子であったが、その倣岸そうな不躾な眼差し
に男は戸惑いを感じた。
「たまたま、私の好きな曲だったのです」
 女もその気配を察して「気にしないのよ。あの男、いつもいるわ。嫌な感じでしょう?」
と言った。その声は低かったけれども件の男に聞こえぬはずがなかった。その男は鷹のよう
な鋭い目つきで女を凝視したが、女は平気な面持ちでその男を見返し、そして無視するかの
ようにすぐさま対手の男の方に視線をもどした。
「あなた、モーツアルトがお好き?」
「好きですね」
「どのくらい?」
 女の昔からの癖であるその詰問調の問いかけに男は懐かしさを感じながらもすぐに答える
術もなく、「どのくらいと言われても答えようがないなぁ」と、思わず頭をかいてしまった
。そしてこんな会話も、隣席の男は気障な野郎め、と苦りきって隣で聞いているのだろうな
、という想いが頭をかすめた。しかし、女は男の仕草にそらされず、じっと彼の眼を見つめ
たまま言った。
「私が尋ねているのは、どんな風にモーツアルトが好きなのかということよ。たとえば、い
ろんな人がいるでしょう?モーツアルトも好きだ、ワーグナーも好きだ、リストも好きだ、
というふうにどの作曲家も同じように好きという人や、モーツアルトの音楽は明るくて楽天
的であり、聴いていて楽しくなるとか、まあ、私の話を最後まで聞きなさい」
 男が頭を傾げて何か言いたそうになったのを女は急いでさえぎって続けた。
「モーツアルトの旋律の美しさ、微妙な転調や半音階的展開の独創的なこと、モーツアルト
のどの音楽にも潜む悲劇性への深い共感などをあげる人、えへん、なかなか博識でしょう?」 
 男があきれたように眼を見張るのを見て女はおどけて見せ、なおも続けた。
「ただ、モーツアルトの音楽の美しさそのものが理屈抜きで感動させてくれる、といった風
な人、いろいろあるでしょうけれど、あなたの場合はどんな風にってわけよ」
 男は柔和な表情をしながらも真面目な面持ちで答えた。
「強いて言えば、一番最後の例に属するでしょうね」
「理屈抜きに感動させてくれると言うこと?」
「その理屈抜きにっていうのはちょっと正確ではないですね。だって、音楽が好きで単なる
趣味の範囲を超えてのめり込んでいくと、どうしたってそこには純粋なものだけでは済まな
くなる要素がはらまれてくると思います。幼いころにトルコマーチを聴いて心が踊ったこと
と、成人して人生の比較的暗い時代にレクエイムなどを聴いたりして感動するのとではだい
ぶん次元が違うでしょう」
「幼いころの感動は次元が低いと言うわけ?」
「違いますよ、とんでもない!僕の場合に限って、あれは素晴らしい感動でした。トルコマ
ーチを聴いて心が打ち震えたあの感動は理屈抜きだったろうと思うのです。でも、大人にな
ってレクエイムを聞くときは、初めてあの名曲を聞く前からして、すでに理屈抜きでは全然
有り得なかったわけです。いろんな音楽家、評論家、あるいは熱烈なモーツアルティアン達
、つまり音楽の識者とでもいえる人達が「魔笛」と並ぶ音楽史上の傑作として「レクエイム
」を評価しているのをすでに演奏を聞く前から知識として知っているわけですね。そしてい
ざ、レクエイムを聴く段になると、もう無意識のうちにこれは素晴らしい名曲中の名曲なん
だ、という心の構えをしていたと思うのです。そのような状況で、はたして自分が純粋に理
屈抜きで音楽を受け止めているのか、感動しているのかということについては自信が無いと
ころがあるのです」
「なるほどね。解るわ、おっしゃっていることが」
「ただ、レクエイムに関しては正直なところ、私にはそれほどの感動が無かったのです。も
ちろん、まぎれもないモーツアルトの美しい曲だとは思いましたし、私自身、バッハのロ短
調ミサやクリスマスオラトリオなど随分好きで、だから決して宗教音楽というイメージで感
動をぼやかされたというわけではありません。でも、みんなが誉めそやすほどには、いざ聴
いてみると感動させられなかった、評判倒れだったというのが僕の場合の悲しい現実だった
のです」
「でも、レクエイムは素晴らしいわ。私も何度か歌ったことがあるけれどとても好きよ。レ
コードでもモーツアルトの曲の中ではかなり聴いているほうなのよ。私にとっては理屈抜き
に好きな曲と言えるわ」
「そうです。あなたはレクエイムが好きだとおっしゃる。あなたの場合、声楽家として実際
にあの大曲の演奏に携わってこられた。それによってあなたはレクエイムの曲を何度も繰り
返し味わい、曲の隅々まで知るようになってこの曲を本当に理解したのではないでしょうか
。私はあなたほどこの曲を知らないから本当はまだ理解していないのかも知れません。私が
言いたいのは、理屈抜きでなく聴いてみた感じではあまり解らなかったという曲がモーツア
ルトの作品の中にあるということなのです」
 女は不思議そうに男の顔を見つめた。
「あなたのような音楽への感受性豊かな方がレクエイムを理解できなかったって、とても不
思議だわ」
「理解できないというよりも、私の好みに合っていなかったとでも言うべきかもしれません
。もしかしたらいつか好きになるときが来るかもしれませんが、どんな名曲としての素晴ら
しい評価を得ているものでも私の好みに合わないものについては私はそのことを自覚し、そ
の気持ちに正直でありたいと思うのです。理屈抜きで音楽を聴くことは避けられないかもし
れませんが、少なくとも少しでもそのフィルターから逃れたい、というのが私の願いなので
す。それでも私はモーツアルトが好きであると言える自信があるのです」
 女はしばらく考え込むように無言で男を見続けたあと、つぶやくように言った。
「私、モーツアルトの音楽を心から愛してやまない人達にたまらない羨ましさと音楽への造
詣の深さを感じるのよ。それとちょっぴり嫉妬みたいなものもね」
 男は微笑んで言った。
「あなただってモーツアルトへの造詣は深いではありませんか。このクラリネット五重奏曲
はけっこう渋好みの作品です。それに感動を覚えるのなら立派なものです」
「さあ、それはどうかしら。今、あなたとこうやって思い出話を語らいながら過去を懐かし
がって多少おセンチになっている気分のところに、それにぴったりのような音楽が聞こえて
くるから感動するのかも知れないわ」
 それは多分にあるだろうと男も思った。男自身、普段好んでよく聴くこのモーツアルトの
名曲に、その夜はいつになく深く感動していたからである。
「でも、音楽ってそんなものではありませんか?」
「だって、いろいろな人がモーツアルトを賛美する言葉を言っているでしょう?そして、す
ごく哲学的な表現をするじゃない?デーモンの衝動から悪魔に魅入られたような音楽を作っ
たとか、走る悲しみから逃れられなかったモーツアルト、とか」
「借金取りから逃げるのに走り続けたというわけですか?」
「茶化さないでよ!」
 あわてて男は謝りながらも、言った。
「小林秀雄のエセーを読んだのでしょう?」
 女ははにかむようにうなずいた。何と魅力的な表情をこの女性はするのだろう、と男は女
のその輝くような微笑に胸を突かれるようなものを感じた。もう、30代も後半の年齢にな
っているだろうに昔と変わらぬ女のその少女っぽい表情に魅了されながら、そうだ、この女
性の内面における心の躍動がそのまま表情にあらわれるその天真爛漫さに惹かれるからこそ、
自分は永年離れていても常に忘れることのできない彼女への憧れを抱きつづけてきたのだと
男は思い当たるのであった。
 男はチラッと隣席の男を見やった。目を閉じて音楽に没頭しているその男の横顔には何か
孤独感をただよわせるものがあり、それを見たとき、男はもう随分前に女が結婚し、やがて
離婚したことを風の便りに聞いたことを唐突に思い出した。
「それが理屈で音楽を聴くということになるのではないですか?小林秀雄の『モーツアルト
』は確かに名著かも知れませんが小林秀雄個人が感じたことを書いているのであり、いかに
小林秀雄が偉大な文人だったとしても、その感想に縛られることはまったく無用だと思いま
すよ」
「だって、小林秀雄の影響は大きいわ。私の周囲にいるマニアックなモーツアルトファンの
多くが彼のエセーにすごく支配を受けているようなふしを感じるのよ!その人達の話しを聞
いていると、なんだか、自分のモーツアルトへの愛好というものがすごく底の浅いもののよ
うに感じてしまうことがあるの」
「小林秀雄は文芸評論家であり、そのエセーはあくまで文芸作品なのです。彼の感受性が受
けた印象を語っているのであり、音楽そのものを語っているのではありません。音楽に限ら
ず、芸術に能書きは不要だと思います。極端な言い方をすれば、作者その人の創作意図も別
に考慮することはないと思うのです。芸術作品というものは、作られたその瞬間から作者か
ら離れ去っており、後は受け手の感受性の世界にゆだねられるものではないでしょうか。受
け手のセンサーに響き、そこから受け手の感受性の世界に具体的に生じるイマジネーション
が本来もっとも大切なものではないかと思うのです」
「芸術の受けとめかたというのはかなり個人的要素で左右されるものであり、それはそれで
意味のあることだと言うわけね?」
「そう思います。もちろん大多数の人達が共通のイメージを受ける芸術性というものはある
のでしょうが、それが自分にあてはまらなかったとき、無理にそのような解釈、イメージを
受け入れようとしなくたっていいのではないでしょうか。あなた個人の感受性、受けたイメ
ージを大事にして芸術を受け取られてみてははいかがでしょう」
 男がそう言い終えると女の表情が明るく輝き、隣席の男を振り向いて勝ち誇ったように言
った。
 「ということなんですって!」

 もう限られた紙数は尽きてしまったので、この辺りで打ちきることにして私はまた時空の
旅に出ることにしよう。
 えっ? 私の名前をお尋ねか?
 私はかつて人間からジョンと呼ばれたりジョージと呼ばれたこともあったが、この時点で
は無名の存在である。
 ただ、蓄音機をのぞき込む私の絵姿の下に「HIS MASTER'S VOICE」と記されているので、
あるいはそれが私の今の名前なのかもしれない。
 そう、私はクラリネット五重奏曲のレコードに貼られた丸いラベル上に存在しているので
ある。そのレコードはビクター社製の盤であるそうな。