医療の歴史〜感染症・2
■今日も医療の歴史を。
東ローマ帝国に大打撃を与えた、
「ユスティニアヌスの斑点」、ペストは、
インド北部あるいは西アジアの土着であり、
それがシルクロードの隊商によって、
エジプトにもたらされ、
パンデミック(世界的流行)を起こしたと推測されてきました。
感染症は様々な感染経路を持っています。
ペストは元々ネズミの病気でした。
ペストに感染したネズミの血液を、
ペスト菌と共に吸ったノミが、
次に人の血を吸う過程でペスト菌が人に移る。
これで人がペストを発症してしまうわけ。
「ユスティニアヌスの斑点」では、
ペスト菌の感染経路であるノミ、
(主にケオプスネズミノミという種類)
これが隊商によって運ばれ、
パンデミックに繋がったんですね。
しかし古代にノミを駆除する方法などありません。
またペストの本来の持ち主、
(これを宿主(しゅくしゅ)と呼びます)
ネズミ(主にハタネズミ・クマネズミ)を駆除する手段も無い。
人の移動によってこれらも移動する事は、
避けられない事態だったと言えるでしょう。
おまけに衛生環境も現代とは段違いに悪い。
こんな表現は不謹慎ですが、
パンデミックは必然の宿命だったとも言えます。
ただ何故か、6世紀半ばのパンデミック、
「ユスティニアヌスの斑点」以降、
ペストは400年近く、文明世界から姿を消します。
11世紀に入ると聖地解放を目的とした十字軍が起こり、
彼らによってノミが運ばれたようで、
やはりペストの散発的な流行を招きます。
しかしこれは予告編程度の、
エピデミック(地域的流行)でしかありませんでした。
次のペストによる本格的パンデミックは、
14世紀初期に発生、文明圏に強烈な打撃を与えます。
1333年頃に南ロシアで発生したペストは、
小アジア・アラブ・アフリカへと伝播。
そこからガレー船に乗って、
イタリア南部のシチリア島メッシーナの港に、
1347年にガレー船で到達。
ここから一気にブレイクしていきました。
14世紀パンデミックにおけるペストの感染力・致死率は、
「ユスティニアヌスの斑点」の斑点をも上回ります。
1347年にシチリア島からイタリア本土に拡散。
1348年にはフランス・ドイツが侵され、
1349年までにはイギリス・バルカン半島に。
北欧スウェーデンや東部ヨーロッパのポーランド・ロシア、
そして果てはアイスランドやグリーンランドも、
ペスト禍に襲われました。
イタリア・トスカーナ地方では、
致死率80%を記録しており、
現在まで起きた様々なパンデミックで、
これ以上の数値は見る事ができません。
ドイツ・ハンブルグでは致死率60%、
ブレーメンでも70%、
フランス・トゥールーズも60%、
アヴィニョンでは50%といった具合に、
驚異的な伝播力と致死率で中世ヨーロッパは、
恐怖の混乱に叩き込まれます。
この結果、村ごとペストで全滅し記録すら残らない、
なんて事が珍しくありませんでした。
抗生物質なんて無い時代ですから
一旦ペストに感染したら、
もう手の打ちようがありません。
神に祈るくらいしかできる事が無い。
人々はボロクズのように悶え苦しみ、
息絶えるしかなかった。
14世紀のペストによるパンデミックでは、
ヨーロッパの人口の3分の一、
3500万人が犠牲になったといわれ、
同時期には中国でも1500万人、
中近東でも2400万人といった具合に、
犠牲者の報告があり、ペストの猛威の前に、
最大8500万人の死者が発生したと。
しかも「ユスティニアヌスの斑点」が、
25年程度の期間をかけたのに対し、
14世紀のパンデミックは6年程度。
いかにこの時のペストが強烈だったか、
改めてペストの恐ろしさが伝わってきます。