医療の歴史〜感染症・4

■1347年からヨーロッパを荒れ狂った、
ペストのパンデミック。
ペストにはいくつかの種類があります。
線ペスト・・・リンパ腺を侵す。最も一般的な症状。
肺ペスト・・・線ペストから分岐して発症。致死率100%!
ペスト敗血症・・・ペスト後期。血管から出血し、
黒ずんだあざが全身に広がる。
ペストを黒死病と呼ぶのはこの症状のため。
皮膚ペスト・・・ペスト菌によって皮膚に腫瘍ができる。
当時のヨーロッパでは黒死病は絶望と同義でした。

この頃、既に医師は存在していました。
しかし彼らが信奉していたのは、
1000年以上前のギリシア・ローマの古典。
ヒポクラテスを中心とする医学体系は、
それなりに科学的視点を持ってはいましたが、
現代医学とは較べるべくもなく、
まして猛威を振るう黒死病の前には完全に無力、
無条件降伏を余儀なくされます。


ペストのパンデミックに遭遇した医師達は、
これまで信奉してきた医学知識に基づき、
アロエを煎じて飲ませたり、
空気が悪いといって香草を燃やしたり、
知っている限りの、
あらゆる治療手段を試みたのですが、
黒死病には一切通用しません。
その結果どうなったかと言うと・・・。

ギリシア・ローマ古典医学の学問的権威が、
救いようの無いほどに失墜したのです。
それまで経典のように崇められていた権威は、
黒死病には何の役にも立たん!
惨状を目の前にして切歯扼腕せざるを得ず、
目の前の事態には、自分の目・自分の手で対処するほか無い!
そこから当然の帰結として、
自分の目で見たもの以外は信頼しないという、
実証的な思想が芽生えます。

15〜16世紀に起こったルネッサンスで、
レオナルド・ダ・ヴィンチなどが、
それまではタブーとされてきた、
人体解剖を科学的探究心から実際に行い、
人体の構造を客観的に検証する心理的基盤は、
黒死病のパンデミックにあったと言う説も唱えられています。
それほどペストのインパクトは強烈だった。
中世を形作っていた社会構造を、
片端から微塵に打ち砕いてしまったんですね。


人口が激減した農村では田畑が荒廃し、
タダでさえ生産性が低かった中世社会を逼迫させます。
さらに上記の古典医学の権威と共に、
教会・僧侶などの宗教的権威も失墜、
中世社会が数百年抱えた矛盾が一気に噴出し、
新しい社会秩序が希求される事になる。
農民戦争なども多発するようになり、
個々人の自我が尊重されるような空気がかもし出される。

14世紀に起きたペストのパンデミックは、
それだけが原因では無いでしょうが、
中世の幕を下し、近代の幕開けをもたらした、
その大きな要因と見て取れるのではないでしょうか。
パンデミック以降の新しい動きの中で、
ルネッサンスが始まり医学もより科学的なレベルに、
ステップアップしていきます。