医療の歴史〜感染症・10
■2013年に生きる私達は梅毒と言われてもピンときません。
何故なら梅毒は現在の日本国民にとって、
それほどの脅威ではなくなってしまっているから。
梅毒だけでなく淋病のような性感染症、
さらにはペスト・チフス・結核といった、
少し前だったら死病だった病も、
今の日本人にとっては、
さほどの脅威ではなくなりました。
1945年、太平洋戦争以降しばらくは、
物資や食料の不足で一時的に、
日本の医療は停滞を余儀無くされますが、
朝鮮戦争の特需と共に食糧事情が良くなり、
さらに池田内閣が唱えた所得倍増計画によって、
日本の経済生産が爆発的に上昇すると共に、
食料・衛生・医療環境も劇的に改善されました。
なんて事を書くと歴史上の出来事のように思われるかも。
しかしこれはほんの30年前までに起こったことです。
私が小学校低学年のころ、
小学校への通学路は舗装されてはいませんでした。
小学校5年までは学校のトイレは、
水洗トイレではありませんでした。
(昼時に申し訳ありません。)
もっと言えば私がツベルクリン反応や、
インフルエンザの予防接種を受けた時、
注射針は使いまわされていました。
今考えたら身の毛もよだちますよね。
しかし皆さんのご両親も、
間違いなくこういった環境で育ったんです。
ですから健康診断・検査は欠かせないわけですが、
それはさておき。
2013年の日本社会で梅毒が話題になる事はまずありません。
いや梅毒だけでなく、
その他の感染症で命を落とすということ自体、
非常に希(まれ)になっていると言っていいでしょう。
これは日本だけでなく、
医療制度や医療設備が整っている国であれば、
まず感染症で命を失う事はありません。
その最大の要因は、抗生物質の発見です。
抗生物質で最初に発見されたのはペニシリンでした。
1928年、イギリスの医学者で内科医であった、
アレクサンダー・フレミングが、
偶然、実験で使っていた、
ペトリ培養地に紛れ込んだ青カビの中に、
強力な殺菌作用を持つ物質が含まれる事に気づきます。
この物質は見つかった培養地の、
青カビ(ペニシリウム)の名前を取って、
ペニシリンと名付けられました。
ペニシリンは人体に影響をおよぼす細菌を、
片端から殲滅する事が分かり、
最初は軍隊で重用されました。
戦場では負傷や病気が付き物。
そこでペニシリンは大きな成果を挙げたのです。
フレミングを中心とした、
ペニシリンの発見に関わった医学者チームは、
1945年・ノーベル医学賞・生理学賞を受賞します。
ペニシリンが発見されて11年後、
太平洋戦争が始まりました。
太平洋戦争は東南アジアから南太平洋地域である
オセアニアなどが主戦場となります。
この戦争でアメリカ軍を中心とする連合軍は、
ペニシリンのおかげで戦病死者を局限できましたが、
日本軍はペニシリンを実用化できておらず、
大量の戦病死者を出します。
病原菌がうようよいる東南アジアのジャングルで、
ようもまあ抗生物質も持たずいくさしたものだと。
だいたい、日本軍は補給を軽視しがちで、
武器や食料が足らなければ、
大和魂で補え!とかムチャな事を言ってましたからね。
戦後アメリカの医学者に中には、
日本軍がペニシリンを持っていたら、
戦局はどうなっていたかわからないと、
述べた人もいるくらい。
日本軍は長期戦略が無く指導部も精神主義優先で、
物資が不足しがちだったのは事実ですが、
戦闘そのものでは圧倒的兵力差がありながら、
連合軍と互角以上の戦いぶりでしたからね。
なもんで抗生物質の果たした役割は、
戦争の行方を決定付けるくらい、
大きかったと見る向きもあるわけですが、
それはさておき。
21世紀の現在、感染症はほぼ100%、
抗生物質によって押さえ込まれます。
それは性感染症であっても変わりありません。
様々な抗生物質を複合投与すれば、
ほとんどの感染症は完璧に治癒できる。
梅毒もペニシリンによって、もはや死病ではなくなりました。
なくなったんですが、
しかしこれは感染症との本格的な戦いの、
始まりに過ぎなかったんです。