医療の歴史〜感染症・13

■古代エジプト新王国、
第19代王朝のラムセス2世は、
エジプト帝国の最大版図を実現し、
国力の絶頂期をもたらします。
ところが当時、メソポタミア地方には、
ヒッタイトという鉄器を使う国家があり、
エジプトと中東の覇権を争っていました。

紀元前1286年、ラムセス2世率いるエジプト軍と、
ヒッタイト王ムワタリはシリア北方において、
古代世界最大の陸上戦闘「カディッシュの闘い」で、
雌雄を決しようとしますが、
勝負が付かず物別れになりました。
その後も両者は頻繁に激突しますが、
どうもこの国境紛争が天然痘を、
エジプトに持ち込んだのではと推測されています。

ちなみにラムセス2世はミイラが残っていて、
身長183cmはあり足のサイズが30cm。
現代でも十分大柄な部類で、
身長160cm前後の古代エジプト人の中にあっては、
超ド級の存在だったでしょう。
おまけに彼の死亡年齢は92歳前後と見積もられ、
これも当時の平均寿命40歳前後をはるかに上回ります。
こんな偉丈夫の英傑の後じゃ、
後継者はやりにくいことおびただしかったはず。

その後継者の一人だったラムセス5世は、
しかし大した業績も残せないまま、
30代で世を去ったようです。
そして彼もまたミイラが残っていました。
ラムセス5世陛下は治世における業績ではなく、
このミイラによってラムセス2世に、
勝るとも劣らない知名度を得るんです、
医療・古病理学の分野で。


ラムセス5世の治世は、
紀元前1145年〜前1141年。
陛下は亡くなって、その治世が終わっています。
エジプトの年代記は精密なので、
陛下の死亡時期が3124年前と特定されるわけでして。
そして前述の通りミイラになって、
遺体が保存されました。

当時ミイラの製法はカスタムメイドで、
薬草などをふんだんに使う、
王族・貴族・神官向けのハイグレードなものから、
庶民向けのリーズナブルなお徳用まであったそう。
無論、ラムセス5世は最高級バージョン。
なので陛下のミイラには、
細かいしみに至るまで生前の状態が、
見事に保存されていました。

ラムセス5世陛下のミイラには、
ある病歴の後が克明に残されていたんです。
前回お伝えしましたが、
天然痘に罹患すると発疹がおき、
やがて化膿しデキ物となり病気の最後に、
かさぶたになって剥がれ落ちる。
その後がアバタ状になって残るんですね。
ラムセス5世陛下のミイラには、
このアバタが見事に保存されていた。


つまり陛下は今から3100年ほど前、
間違いなく天然痘に罹患し亡くなった。
現在のところ氏名が判明している、
最も古い(そして高位な)天然痘患者というわけなんですよ。
このように古病理学の見地からすると、
ミイラというのは非常に貴重な研究材料になる。
さらにエジプト年代記のような、
正確な記録が残されていれば、現代であっても、
古代の様子が手に取るようにわかると。

20世紀末から古病理学が急速に発展しており、
以前もこのメルマガで触れた、
ツタンカーメン王のミイラが、
CTスキャンやDNA解析によって、
死因が解明されたりしています。
という事はエジプトのミイラは、
病理学者にとって垂涎の研究材料なわけで。
ところが19世紀にはこの貴重なミイラを、
石炭代わりに燃料として使っていたとか。
ラムセス5世陛下のミイラが、
そんな目に合わず無事だった事は、
古病理学にとっては幸運というしかありません。