上田増福寺(通称・上田の観音さん)のに伝わる畠山義深のこと
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 室町時代の戦国期に河内一円を守護していたのは畠山氏であるが、その居城であったのが東大
阪にある若江城址・羽曳野の高屋城蹟である。
 畠山氏は武蔵国秩父郡に平安時代の末期に住み着き地方の豪族として畠山重能(しげよし)のと
き秩父郡は畠山荘の荘司となって平家に従った。
その後室町幕府が成立し、畠山清国は紀伊の守護となり、清国の弟義深(はたけやまよしとう)は室
町幕府に仕え能登・越中・河内・和泉などの守護に補され、その後は畠山義深は河内の守護職に就
任し河内一円を統治した。
従って、河内畠山氏の祖は畠山義深より始まる。義深は元寇元年(1331)生まれ、40歳代で息子基国
(もとくに)に河内守護職を譲り、上田の庄代池近くの七實庵に隠居し、康歴元年一月十二日(1380)
49歳で上田の此の地で他界し、上田墓地に葬られた。(上田墓地の六地蔵裏側)
義深は尾張守三郎と云い、法名(号)を増福寺殿わかま と呼んでいました。その後、応永年中に義深
の法名(号)をそのまま寺号にして、上田の逆修講(ぎゃくしゅ)が義深の菩提寺を建てたのが、現存す
る増福寺であります。

文化十二年(1815)古文書{逆修講由来聞記によると「・・・略・・・往昔楠公之世、宮座之者ニテ在之候
処。その後畠山尾張守義深、河内守護職之後烏帽子形山之下二退居ありて増福寺殿と申、右増福
寺殿御逝去被成候後。御法名を寺に号し、今増福寺と言う者是也・・・略・・・為御追善逆修講取詰、
深義様御法名を直様寺二仕、今之増福寺是也、寺ハ応永年中(1394〜1427)ニ建 又 其の後再興
致之在也・・・略・・・」と記録されています。}