山中鹿之介

『名将言行録』に載っている彼のエピソードに現代の私たちにとっても非常に興味深い話があり
ます。
尼子氏再興のために有力武将の援助を求めて行脚の途中、明智光秀のもとに逗留したときの
話です。

光秀の家臣の野々口丹波という若者が武勇で高名な鹿之介のもとにやってきて尋ねるのです。
「私は三度合戦を経験しているのですが、いつも戦の最中は無我夢中で何も覚えておらず、敵
の首をとったとき初めて忽然と目が覚めたようになるのです。それなのに私の同輩は一度目の
合戦のもようをよく覚えていて相手はこのように戦い、自分はこのように戦ったと実に詳しく語る
のです。その者は生まれつきの大勇があり、私にはそれが欠けるのでしょうか?」この話を聞い
た鹿之介は非常に感心して次のように語るのです。
「あなたは正直な方です。私はこれまでに二度首供養(敵の首を33度取るとそれらの首の供養
をする)をしたことがありますが、最初の4、5度の戦のおりにはあなたの語られた状況とまさに
同じで、7、8度におよんで夜の明けていくかのように戦況が見えてくるようになり、10度以上に
なったときは常に敵の内兜までよく見え、杖でもってもたやすく討ち取れるほどの余裕が出てき
たのです。あなたはまだお若いのですからこれから経験を積んで行かれたら私と同じような心境
となられることでしょう」

この話に私は車の運転のことを思ったものでした。
初めて車を運転するときはもうガチガチに緊張していて、ハンドルも意識して左右に回すという感
じで、アクセルやブレーキのコントロールもぎくしゃくし、やがて路上での教習が始まっても車幅の
感覚がもう一つ身についていないので、大型のバスやトラックが向こうからやってくるともうそれだ
けでやたらとブレーキを踏んだものでしたが、熟練になると運転操作そのものは無意識におこな
っていて、前後左右に絶え間なく視線がおよぶ、という状況になります。
車の運転でもこれなのですから、命のやりとりをする戦場ではこの緊張感は度を過ぎたものがあ
るのでしょうね。
Capt.Senohのお父上は陸軍少尉でしたが、山下奉文将軍率いるマレー半島侵攻戦で白兵戦を
経験したとき、とにかく後方に敵がいるのではという恐怖感に常に苦しめられながら戦った、とい
うことをCapt.Senohから私は聞いたことがあります。

野々口は鹿之介の言葉にたいそう喜び、今宵は是非、私の家でご接待したい、と鹿之介を誘い、
鹿之介も承知するのですが、主君の光秀が「風呂を用意したので今宵は参られよ」と鹿之介をさ
そったとき、鹿之介は既に野々口と約束をしていることを話して辞退すると光秀は笑って、それで
は鹿之介殿をこれで接待せよと酒肴を野々口宅にに届けたそうです。
『名将言行録』の鹿之介、野々口、光秀の三者の爽やかな振る舞いの描写が素晴らしく、逆賊の
臣としての悪名高い明智光秀にこういう面があったことを知らしめる貴重なエピソードだと思います。