薩摩藩の定宿だった太宰府「松屋」     2015.03.15

3月14日に行われた福岡市立当仁小学校の同窓会に年老いたお母様を置いて外出できないため欠席した栗原
さんに会いたく、太宰府の彼女の家まで行ってきました。
近くに住む樋口さんが太宰府駅まで迎えに来てくれ、連れた行かれた栗原さん宅は太宰府天満宮の参道に面し
た大きな土産物店でした。

正面、太宰府天満宮


松屋

松屋は江戸時代に薩摩藩の定宿だったそうで、今は旅館業を営んでいませんが、幕末から現在まで同じ当主が
続いているのはこの松屋だけだそうです。
ちなみに栗原雅子さんは六代目の当主とのこと。
幕末に当主だった栗原孫兵衛は勤王の志が篤く、多くの志士をこの宿にかくまったそうで、その中に西郷隆盛と
彼の盟友だった
月照がおり、「七卿落ち」で有名な政変に破れて都落ちした尊王攘夷派の7人の公卿のうち、5人がこの松屋にか
くまわていたそうです。

三階は明治時代に増築されたそうです。

現代の当主、栗原雅子さん。


屋内に入るとこんな壁いっぱいの箪笥。


二階に上がる階段はこのように。まさに古色蒼然と言ったところですね。


二階までは幕末当時からのままだそうです。

このようにモダンな家具揃えの部屋も。




この打ち掛けは栗原家の女性に代々継がれてきたものでしょうか。


その打ち掛けの前で樋口さんと。







まあ、とにかく部屋数の多いこと!掃除が大変でしょうね。


三階にあがる階段ですが、三階には行きませんでした。


階段横にこんな素敵な置物が。


二階の窓から見る参道。


栗原雅子さんと。
彼女は小学校時代はご両親と当仁小学校校区に住んでおり、自宅は我が家から徒歩1分のところでしたから、同じ
く近くだった多賀君らとよく一緒に遊んだものでした。
ある日、我が家の前で塀相手にキャッチボールをしていた私の前を通りかかった彼女が笑いながら、「今、わたしん
ちに飯島君たちが来とうとよ」と言います。
一緒について行って栗原さん宅に上がり込んだら、お菓子を呼ばれながら漫画を読んでいたみんなが驚き、「もりわ
きはしょっちゅう栗原さんところに遊びに来るんか?」と児島君が言ったのを56年経った今もよく覚えております。4、
5人ほど居たのですが、飯島君と児島君しか記憶がありません。多賀君がいなかったのは覚えております。
彼らはどこかに遊びに行ったおりの帰りに栗原さんの家が近いからということで急遽、寄ったようです。
もしかしたら栗原さんの数軒先に住んでいた植木君(故人)が誘ったのかも知れません。
私の背後の掛け軸は栗原家の家宝のようです。

この掛け軸の書は上が平野国臣、下が月照のものだそうです。
昨年のNHK大河ドラマ「西郷どん」を見た方だったら西郷と月照の強い絆のことをご存じですよね。
月照が松屋にかくまわれたことを生涯忘れない、という内容の書だそうです。
栗原孫兵衛さんは月照の気品あふれる人柄に魅了され、この書を家宝のように大切にされたようです。

栗原さんはいろんな古い資料を持ち出してきて私たちに見せてくれました。


記帳というのでしょうか、古色蒼然とした黒いアルバムの中に記された書はここに載せきれないほどたくさんのものでした。
松屋に宿泊した人たちの手によるもののようです。

二階の廊下。

松屋の裏手の庭が見えます。


庭を見学させてもらうため、階下に降ります。
参道から見ると松屋の建物の右手端が茶房「維新の庵」となっています。


この茶房のドアから裏庭に出ます。

裏庭と言うよりもこれは立派な庭園ですが、その庭園から茶房を見たところです。


茶房そばの庭園は苔の生える美しい空間です。



背の低い生け垣を過ぎると野外のレストルームです。


栗原さんが私たちのためにお茶と太宰府名物の梅ヶ枝餅を用意してくれました。

松屋の庭園はこのように背の高い生け垣で囲まれて周囲からの独立性を保っています。


こんな立派な庭園を持つ土産物店・松屋を維持していくのに我が同窓生はどんな苦労をされているのだろうかと
思わず推し量ってしまいました。