新宮山彦ぐるーぷについてのウイキペディアの記述

大峯奥駈道を含む世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録(2004年7月)に向け
て、大峯山北部の老朽化した避難小屋が次々と新築されたが、これらは国や県の事
業によるものであった。それに対し、南奥駈道の整備では、登山道の整備から山小屋
の建設・改修・管理まで、新宮山彦ぐるーぷの手によるものであり、ほぼ完全に民間
の力で行われてきたという点で特徴あるものといえるだろう。また、こうした南奥駈道
再興の活動を通じて、同会は青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)の副住職・高木亮英
による、順峯(熊野から吉野を目指す)による奥駈修行の復興を支援し、1988年(昭
和63年)の再興に大きく寄与した。
こうして再興された南奥駈道だが、刈り払いを続けなければ再び草に埋もれてしまう。
そのため、同会は南奥駈道の整備を続けており、その活動を修験道の千日回峰行
になぞらえて「千日刈峰行」と呼んでいる。また、持経宿・行仙宿・平治宿の3つの山
小屋も同会により維持管理され続けている。こうした業績に対し、2004年、シチズンよ
りシチズン・オブ・ザ・イヤー(シチズン賞)が授与された。

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