ある地方の小学校の物語

この記事は今から8年前に載せたものです。
小春ページのYokoさんの投稿の下記の段を見て急遽、再掲載したくなりました。

それにしてもリワキーノ夫人、子育てをなさりながら
定年まで勤め上げ(乞われて定年後もお仕事なさった
のでは?)あっぱれ!でありますわ。

『卒業式』
ある地方の小学校の話です。
この小学校は児童が多い、いわゆるマンモス校で、保健教諭が3人います。
1人は40代後半の正規の教諭、1人は30代半ばの正規の教諭、もう1人は昨年定年を迎え
ながらも校長の強い要望で嘱託として引き続き勤務する61歳の教諭です。

去る3月18日、この小学校で卒業式が行われました。
保守色の強い校区のため、この小学校の卒業式には国旗掲揚も国歌斉唱も行われます。
国歌斉唱時に起立することを拒否する組合系の正規の保健教諭は学校の配慮なのか本
人の希望なのか、本来の教職員の席から離れた入り口近くの受付席に陣取っております。
若い正規と非常勤の二人の保健教諭は本来の場所、つまり教職員が座る席の卒業生と
在校生の境目に一番近いところに席をとります。
厳粛な式の進行中に気分が悪くなったりする児童を早めに見つけるためです。

そして、この日もやはりそのような児童が出ました。
在校生送辞を起立したまま聞き入る卒業生の最前列の児童がゆらりゆらりと体を前後にゆ
すり出したのです。
間髪入れず、61歳の非常勤教諭が飛び出して駆け寄り、あわや、というところで倒れ掛か
ったその男児を抱きとめました。
そしてすぐさま両手で抱きかかえ、保健室に向ったのです。小柄な彼女のどこにそんな力
があったのだろう、と後で話を聞いたその夫が驚くくらいの火事場の馬鹿力を発揮したよう
です。
その間、教職員席の中から他に誰も手伝いに飛び出す者がおらず、児童を抱きかかえた
61歳の教諭が唖然と見守る父兄席のそばを小走りに通過していくのを見て初めて教頭が
若い男性教諭に「すぐさま、○○先生を手伝うように」と指令したのです。

この61歳の教諭は師範学校出の先輩たちから鍛えられた古いタイプの教諭であり、「私が
若いころにはこんなとき、何人もの教諭がいっせいに駆け寄ってきたものだった」と言ってお
りました。
もう一人の若い正規の教諭も、入り口近くにいた正規の保健教諭も、どちらもただ見守る
のみだったとか。
校長がこの61歳の非常勤教諭を手放したがらない理由が解るようではありませんか。
この話を聞いた教諭の夫は妻のことを大変誇りに思ったそうであります。
ちゃんちゃん

『勲三等瑞宝章』
ある地方の小学校の話です。
歯科検診が行われた後、歯科校医さんを校長室にお呼びし、お茶の接待をしました。
その女性歯科医は50年の歴史を持つその小学校の創立以来から校医を勤めてくださって
おり、齢80近くになるため、教え子の男性歯科医を伴っての歯科検診でした。
その日は校長が留守で教頭と、たまたま用事で来校していた教育委員会の学務課長、そ
れに正規及び非常勤の3人の保健教諭がお茶の対応しておりました。
老女性歯科医は「この春、叙勲していただきましてね、東京まで行ってきたのです」とポツリ
と話されました。
聞いていた者誰もが、ああ、そうですか、という反応だけで、すぐさま他の世間話に話題は
移っていき、学務課長と正規の保健教諭は飲み会の話で盛り上がり、教頭もただぼんやり
と話を聞いているだけで、老女性歯科医は黙々とお茶を飲み続けます。
こんな対応でよいのだろうか、と疑問に思った非常勤の保健教諭は老歯科医に叙勲の話
しに水向けました。
「どんな勲章をいただかれたのですか?」
「勲三等瑞宝章です」
そしたら間髪入れずに正規の保健教諭が話題を変えます。
その非常勤保健教諭は勲章の名をメモし、帰宅してから夫に聞きました。
「インターネットで勲三等瑞宝章を見られるかしら」
「勲三等瑞宝章?多分見られると思うけれど、また、何で急に勲章なの」と尋ねました。
そして妻から学校での一部始終を聞いた夫は無茶苦茶憤慨しました。普段から公立学校
の教職員の非常識さには苦々しい思いを抱いていただけに余計その憤慨の度はひどかっ
たのです。
「何て奴らだ!老女医さんの誇らしく、幸福な気持をおもんばかることができないのか。し
かも半世紀もの間、学校に貢献してきた校医さんではないか。
お祝いの言葉を述べこそすれ、聞き流す類のことではないだろうに!どいつもこいつもま
ったく人の情を欠きおって!叙勲なんかを毛嫌いする左翼政党支持の馬鹿女どもの仕組
みそうなことだ!」
と、はなはだ品性には欠ける罵りようをしながらも、おさまらない夫はネット検索で勲三等
瑞宝章を探し当て、10枚ほどその勲章の写真をプリントアウトして妻に持たせ、絶対にその
叙勲のことは校長に伝えるように言いました。
妻は翌日、その印刷した紙を学校で校長に渡したところ、案の定、誰も老女医さんの叙勲
の話を校長に伝えていないことが判明。校長は「よく知らせてくれた」とお礼を言い、数日
後、お祝いの品とお祝い状、そして印刷した勲三等瑞宝章の写真を持参して老女医宅を
訪ねたのでした。
そのとき3人の保健教諭も同行したとのこと。
めでたし、めでたし

*この非常勤保健教諭は定年後、校長の要望により、5年間、非常勤を勤め上
げました。
今月8日に75歳となりましたが今も現役が務まるほど元気溌剌としております。

*右隣は私たち夫婦が通う社交ダンスの先生。