東京五輪の名花、チャスラフスカさんが逝く。 2016.09.02
昨日の新聞の訃報を見て衝撃を受けました。
ベラ・チャスラフスカさんはチェコスロバキア(当時)出身。
東京五輪の女子体操で平均台、跳馬と個人総合の3種目で金メダルを獲得し、その美貌も相まって
東京の恋人、オリンピックの名花と言われました。
享年74歳。私より5歳年上だけなのです。
美しく、華やかでありながら、律儀で誠実、そして勇敢な女性でした。
1968年のプラハの春の国民的運動の展開以来生じたチェコ動乱で彼女が演じた、体制側に屈する
こと無い反骨の姿勢は彼女のそれまでの輝かしい名誉を奪い、体操に関する仕事もすべて奪われ
て掃除婦として生活費を稼ぐ身にまで貶められたのです。
プラハの春の代表的人物だったドブチェク第一書記と。
それでも決して妥協しなかった彼女の勇敢さ、信念の強さは、ジャンヌ・ダルク、静御前、細川ガラシ
ャのように己の信念に殉じた気高い女性のものと同じものを感じ、私はそれ以来、彼女を深く敬愛し
続けてきたのでした。
ゴルバチョフによるペレストロイカ政策によってチェコの自由化が実現したときに彼女は一躍ヒロイン
として大統領秘書官と抜擢されるのですが、何という皮肉でしょうか、別れた夫と息子がささいなこと
で口論したあげくの暴力沙汰で元夫が死亡するという事件が起こり、そのショックで彼女は世間との
つながりを閉ざし、生ける屍のごとく引きこもった生活に閉じこもったのです。
その彼女を世間に引き戻したのが、東京五輪の男子体操の花形選手で、個人的にもチャスラフスカ
に様々なアドバイスをして彼女を励まし続けた遠藤幸夫の訃報でした。
訃報を聞いたとき、現在日本でも忘れかけている遠藤幸夫という偉大な選手の存在をアピールしな
ければという思いで彼女は女子体操の世界に復帰したのでした。
「東京の恋人」と言われるくらい、東京五輪で日本人に愛された彼女は、プラハの春が名実とも実現し
たとき、「私を深く愛してくれた日本と日本人を娘に知って欲しい」と言って娘を連れて来日したのでし
た。
下記の著作は彼女の人生をあますところなく伝えていると思います。
東京五輪でファンから送られた日本刀をどんなに生活が苦しくなっても手放さなかった彼女は武士道
の心を持った女性として描かれています。
心より冥福を祈ります。
"Vera Caslavska"