ロンドの会の歴史 その1 2019.09.21
小春ページと同じく20数年の歴史を誇るロンドの会(発足当時はコミック談義の会)は1996年1月に発足しました。
阪神淡路大震災の翌年です。
ここにその記録映像をまとめてみたく編集しました。
1996年1月 北浜の地下街のコーナーにあるスタンドバー(現在はありません)が最初のたまり場。
左からオクダさん、加奈陀撫子さん、我が娘・ユミコ、マリーゴールドさん
いずれも漫画好きでそれぞれ一押しの漫画を持参して談義しようということからこの会は始まりました。
加奈陀撫子さんは後に結婚した加奈陀隼人さんがカナダで有名な日本庭園師となったことや、最近二児とともに
帰国したことなどを小春ぺージで紹介しましたが、このときは20歳、娘のユミコは18歳でした。
1997年夏
右端は私の家内の姪。詩人であり、筋金入りの漫画好き。
後方右端と左端の男性は通りすがりの人。
1999年、場所を新大阪駅近く、西中島の三裕之館というちゃんとした酒房に代えました。
ここにはエグチ君も来ましたが、着くなりカウンターの片隅でパソコン相手に仕事を始め、それが終わってから輪に
加わるのです。
気を利かせて加奈陀撫子さんがビールを注ぎにいきます。
はなパパもこのときは一緒でした。
左端の女性は”高桐院の君”。
当時、大徳寺すぐそばに住んでいた彼女に案内してもらって高桐院を訪れたときのレポートを見たCaptain.Senohが
名付けた名です。
私と高桐院の君と加奈陀撫子さんは無類の酒好き。
しかも二人の女性は私よりも酒が強いときており、みんなと別れたあと彼女らを阪急京都線の駅まで送る途中で
見つけた安居酒屋に入ってまた飲んだのですが、このときの会話の内容は全然覚えていないけれど、楽しかった
ことこの上も無いという記憶ははっきりと残っています。
2001年の21世紀初頭に場所を心斎橋のビアレストラン・ライオンに代えました。
左端は高桐院の君、右端はI.リエさん。
I.リエさんはこの後、ずっとロンドの会に定着してくれ、今はロンドの会の場所を提供してくれるテンカラ食堂の店主
です。
宴会途中で抜け出さなければならない加奈陀撫子さんをオクダさんと高桐院の君が出口階段途中まで送る映像。
撫子さんのファッションもユニークですが、たいへん聞し召して目がすわっている高桐院の君も印象的。
実はこの時の集まりを最後に高桐院の君は私たちの前から姿を消してしまいました。
それから18年の歳月が流れましたが天衣無縫の魅力的キャラであった彼女のことを忘れたことはありません。
慶応義塾大学のヤマシロ教授もエグチ君と共に来てくれたことがあります。
ひかりこさんも来たのです。
I.リエさんとの踊りを「めちゃ、下手!」とひかりこさんは小春ページでのたまわれた。
このころにマリーゴールドさんの誘いで淀川河川敷の花火大会に行ったものでした。
左からコルネーノ氏、ルーメイさん、shibata君、萬凛ちゃん、keikoさん、女性調律師のオオハシさん
萬凛ちゃんはふさふさ先生の研修所にも招かれて福岡にも行ってましたね。