「戦艦大和からの生還」を読んで。
私の手記を読んだある友人からもらったメールの写しです。
友人は小学生のときから軍艦オタクでして、国立大学の経済学の教授と
なっても月刊誌「丸」を取り続けてました。
友人の了解を得ていないので匿名とします。
メールの年月日は判りません。
「戦艦大和からの生還」は下記のページを参照のこと。
http://hmpiano.net/koharu/
「戦艦大和からの生還」の記事、興味深く読ませていただきました。双眼鏡で敵戦闘機の
機銃の方向を知って回避するあたりは、リアリティがありました。機銃手も乱戦になると
艦全体で同じ方向に撃つことは不可能になり、自分にまっすぐ向かってくる敵機を撃った
そうですね。そちらの方が当たる可能性が高いそうで、横に飛んでいる飛行機を撃ち落す
ことは難しいそうです。機銃群があるとことには機銃の指揮官がいるそうですが、敵機の
方向を口で言っても聞こえないので、銃手がかぶっているヘルメットを指揮棒で叩いて注
意をひきつけて、その後、指揮棒を相手の機の方向に向けるそうです。
ロンドンに行ったときに、テムズ川に第二次大戦の時の巡洋艦が係留されているので見
学しました。機銃を自由に操作できるので、動かしてみました。上下はハンドルを回して
動かします。左右も別の台座を動かして回転させます。通常は電動になっているそうで、
電源が切れると手動で行います。手動で動かして敵機を狙うのは無理ですね。まっすぐ、
自分に向かってくる敵機でないと、敵機の動きについていけないと思います。「男たちの
戦艦大和」の映画では、最後の場面で一人で手動で機銃を撃っていました。実際にはそん
なことはできないのではかなと思いましたが。もっとも、弾を撃つだけはできるでしょう
が。
巡洋艦の艦内、それも艦底近くの弾薬庫のあたりまで見学しました。こういう艦底近く
から上階に上がるのは、金はしごで登り降りするので、艦が傾いたときに下側になる舷側
にいる乗組員は、総員退艦の命令が出ても、はしごを登るには腕力だけで登ることになり、
何階も登って甲板まで行くのは無理だと思いました。
アメリカのボストンに行ったときにも、第二次大戦、それも神風攻撃にさらされたアメ
リカ海軍の駆逐艦が係留されていたので見学しました。一番、驚いたのは駆逐艦のような
小型艦艇でも電源と配線が両舷側にあり、二重になっていることでした。一方の舷側が破
壊されても、他方の側の電源と配線で電動で全艦が可動するようになっていました。日本
では重巡洋艦以上の軍艦では配線が二重になっていたそうですが、それ以下の軍艦ではそ
の記述がありません。形は立派でも、日米ではダメージコントロールが違うなと思いまし
た。アメリカの戦闘機には消火器も積んであったようですから。
開戦直前、大和を上空から始めてみた人から聞いた話では、「わらじみたいな形をした
巨大な軍艦」という印象だったと言っていました。他の軍艦と比べると「わらじ」の印象
だったんですね。思わず笑ってしまいました。
軍艦が傾くと、艦の舷側や艦底が海上に現れて、乗組員は甲板から舷側に回り込みなが
ら海に飛び込むそうで、舷側には貝殻がへばりついているので、みんな手足に大怪我をす
るそうです。助かる人は甲板以上の位置にいる人が多かったようですね。
戦艦大和は実際には、往復の燃料を積んでいたそうですね。ただ、命令書は片道で、満
杯にしたのは、現地の一方的な判断でやったということを手記で読みました。レイテ湾海
戦の時に、武蔵がなかなか沈まなかったので、それが大和を攻撃するときの教訓(左舷の
みの攻撃)になったわけで、それがなければ、なかなか沈まなかったと思います。
ロンドンに一年近く滞在したおり、海軍博物館や航空博物館、第二次大戦時の航空ショ
ーなどを見に行きました。海軍博物館には、イギリスの歴代の戦艦の5メートル、10メー
トルの模型が展示されていました。航空博物館では第二次大戦の実物機が展示されていま
したし、航空ショーではイギリス全土から26機の飛行可能なスピットファイヤーが参加
しました。航空ショーが終わって、車でロンドンに向かう途中、自動車専用道路を30分
以上走って、ふと、夕焼けの空を見上げると、スピットファイヤーの一群が三々五々、自
分の飛行場に向かっているところが見えました。航空ショーではなく、ふと見上げた空に
スピットファイヤーの編隊が見えたことに感動しました。その光景は今でも目に浮かびま
す。戦争に勝った国はいいですね。日本のゼロ戦はアメリカでただ1機で飛んでいますが、
飛行機は編隊で飛んでこそ「きれいに」見えます。
ついでに、アメリカのムスタングも見ましたが、上昇力がすごいですね。スピットファ
イヤーと戦うとスピットファイヤーがばたばたと撃ち落される感じです。ムスタングは地
上を攻撃したあと急上昇し、すぐに反転して、また、地上を攻撃できる態勢になるので、
塹壕から飛び出して次の塹壕に行こうとすると、後ろにさっき攻撃したばかりのムスタン
グがもう来ているという感じになります。スピットファイヤーとは時代が違う感じですね。
この飛行機が日本で機銃掃射をしたのかと思うとぞっとしました。
韓国に行ったときに、朝鮮戦争を記念した戦争博物館がありましたが、そこでB29やコ
ルセア戦闘機を見ました。ジャンボに慣れてしまった私の目には、B29が小さく見えまし
た。(巨大な飛行機という印象が強かったので)。コルセアは頑丈な戦闘機だという印象で
した。日本の疾風や零戦よりも翼や胴体が頑丈で、一回り大きい飛行機ですね。巨大エンジ
ンで巨大プロペラを回すので、長くなる脚を避けるためにあんなガル翼になったんだという
ことがよく分かりました。
とりとめなく、書きましたが、私の机の横には、小川製作所の戦艦三笠の金属模型があり
ます。全長50~60センチくらいでしょうか。もちろん、横須賀の三笠も見に行きました。
趣味の一つがラジコン飛行機で、今のところ練習機を飛ばしていますが、いつの日か、零戦
などのスケール機(操縦が難しい)も飛ばして見たいと思っています。
そろそろ還暦も迎えるので、これからは、「自分のすべきこと」(多少社会の役に立つこ
と)を半分、幼き頃に「自分のしたかったこと」(子供の時の夢)を半分ずつやりたいなと
思っています。ラジコンの軍艦もいいですね。(落ちないから、多少出費しても大丈夫と思
う。)ただ、不器用なのでゼロからの製作は私には無理です。