源義光の恩返し  十訓抄 第9ノ2 懇望を停むべき事

六条修理大夫藤原顕季(あきすえ)卿は東国の方に知行する所があった。
ところがその場所が源三郎源義光の強奪に遭い、争いとなっていた。顕季の方には道理があったので
白川院に訴え申された。
「あれこれ言う間もなく、ただちに義光の強奪をお差し止めなさるに違いない」とお思いになっていたが、
すぐに裁定が下るというわけではなかった。顕季卿はどうなっているのだろうかと心もとなく思っていら
っしゃった。

さて、顕季卿が白河院の御所に参上なさっていた折、周りに誰もいず静かな時、院はお側近くにお召
し寄せになり、「そなたが訴え申す東国の荘園のこと、今に至るまで裁きを下していないので、そなた
はとても無念に思っていることであろう」とおっしゃられたので、顕季卿は恐れ多いことと思い、身をかた
くしてかしこまっていらっしゃったが、何度もお尋ねになるので、自分の方に理があるということをそれと
なく申し上げなさった。
院はそれをお聞きになって、「そなたが申す事はまったくその通りであるけれども、私はあの土地は手
放してあの者に取らせるのがよいと思っている」とおっしゃられた。
顕季卿は思いがけない院の御言葉で、その真意をはかりかね、しばらくは何も言わずに控えていたの
で、院はこう続けられた。
「顕季の身にとっては、あの土地がなくても困ることはないに違いない。ほかにも国もあるし官職もある。
そなたにとって、いわばあの土地はたいしたものではなかろう。ところが義光はあの土地に命をかけて
いると聞いている。あの者をかわいそうと思っているのではない。そなたがかわいそうに思うからなのだ。
義光という男は荒くれの田舎武士のような者で、慈悲の心などまったくない男である。心穏やかならず
思えば、その命ずるままに夜、夜中であれ、大路を通っている時であれ、どんな仕打ちでもしようと思い
立つことだろう。そうなったならばそなたにとって大変な事になるのではないか。そなたの身がどうこうな
るだけではない。後々まで悔やまれる無念の話として噂になることだろう。道理の有無にまかせて是非
を下すにも、また、かわいく思う思わないの差でもって裁きを下すにも、どちらからしてもそなたの申すよ
うに処断を下すことはたやすいことである。しかしこう考えるので、今に至るまで結論を出さなかったのだ」
とおっしゃった。顕季は心から恐縮して、涙を流しながら、退出していった。

家に帰り着くや、ただちに義光に「申し上げたいことがあります」と呼びかけを行ったところ、「人惑わしを
なさる方が、何事をもってのお呼びなのだ」と言いながら参上してきた。
顕季卿は義光と対面して「例の荘園のことについて申し上げようと思い、ご都合をうかがわせました。道
理のおもむくところは前々にも申し上げた通りでございますが、よくよく愚案いたしますには、私にとって
はあの土地はなくとも困ることはありません。そちらはあの土地に頼みをかけているとのことで、心から
ご同情申し上げているということをお伝えいたしたいと思いましたので、お声をかけました」と言って、譲
渡の証文を書いて手渡したところ、義光は慎んで受け取るのだった。義光はその後、侍所に立ち寄り、
懐紙に名前を書いて差し置いて、臣従の約を誓って退出していった。
その後義光は、日中の間はいかにも家臣風のお仕えなどはしなかったけれども、顕季のあちこちの外出
にも、どういうふうに聞きつけたのだろうか、思いも寄らない、人も知らない時などにも鎧を着た者が五、
六人、付き従わないことはなかったのである。「誰だ」と尋ねさせると「館刑部殿の随兵でございます」と
言って、どこに行くにつけれも周りから離れることはなかったのである。

この事を聞くにつけても、義光がもしも逆に悪い方向に心を向けたならば、どんなことになっただろうかと、
心も縮み上がる思いであった。白河院のお思いやりの御恩の忝さが深く思い知られ、「よくもあの土地を
手放したものだ」と、顕季卿は申されていたということである。
このような話を聞くにつけて、人から頼りにされるような人は、いったんつらいことがあったとしても、恨
み心を先立てたりせず、その対処の仕方によくよく心を廻らせるべきだるということである。