『「義経」愚将論』  海上知明・著
下記はAmazonのカスタマーレビューに投稿した私の文章です。

多くの資料を基に論理的展開の記述がなされている。

2021年11月24日に日本でレビュー済み

日本人の間で人気の高い源義経を手厳しく批判した書です。
多くの人の反撥を買うだろうなと思って読んでみましたが、著者の論理的な筋の運び方は説得性があり、源平
時代の歴史については結構知っていることを自負していた私が知らない事実、誤った認識をも知らされるところ
が多々あり、源平時代に興味のある人は必読の書と思いました。

特に「平治の乱」における清盛の戦術の分析などは見事であり、本当にそうなのだろうかと私は「平治物語」の
そのあたりの箇所を改めて読んだのですが、著者の指摘のとおりの記述であることに感銘を受けたものです。

「一ノ谷の合戦」も急襲を受けたとは言え、圧倒的な兵力差で優勢だった平家軍が混乱に陥って海上に逃げた
のは、後白河法皇の休戦の使者が行くので戦闘を控えるようにとの言葉を信じて戦闘態勢ではなかったところ
への急襲だったことなどもウイキペディアでもその可能性が指摘されており、義経の戦術によるのではなく、謀
略と僥倖のたまものでしかなかったとの著者の指摘は頷けるものがあります。

平家物語を読んだ人の多くが平家の武将の中では平知盛のことが印象深く記憶されると思うのですが、この本
で関門海峡の彦島と四国の屋島の海軍基地を結んだ知盛の戦略の詳細の記述は、知盛の海軍の将としての
傑出した面を教えてくれ、これだけの万全の体制を敷いていたのに屋島での宗盛の判断間違いから敗戦となっ
た報を聞いて、この大戦略が破綻したことを知ったときの知盛の無念さが偲ばれるものでした。

壇ノ浦合戦も詳細に分析されており、知盛が緻密に編んだ戦術が阿波水軍の裏切りによって破綻を来たし、しか
も阿波水軍が義経に知盛の仕掛けた罠を教えたために義経がはまらなかったことが知盛が仕掛けた包囲殲滅
作戦が不発に終わった要因となり、平家滅亡となった経緯は読んでいて印象深いものがありました。

著者は義経を徹底して愚将と決めつけ論じますが、義経が禁じ手であった漕ぎ手を狙って射殺させたと広く流布
している説については、それは現代の作家、安田元久氏の『源義経』の中にしか記述が見られないことを理由に
想像の産物と否定しているところなんかは著者の客観的で公平な態度を感じます。

また、『玉葉』に義経の都落のとき、宿舎内をきれいに片づけ、家来一党とともに静かに都を出ていったので義人
なりと記した九条兼実の記述を根拠に義経は良識ある武将と私は思っていたのですが、厄介払いにしろ、後白
河法皇に西国追討の院宣をもらって出発したのだから狼藉をしないのが当然のことという著者の指摘に目から
鱗の思いでした。

他に印象深かったのが清盛の人間性の暖かさを伝えるのに『十訓抄』を引用していることで、できたらその詳細
も載せたらもっと清盛の人間性を知らしめる助けになったのではと思いました。
『玉葉』や『吾妻鏡』に比べ、あまり知られていない説話集ですが、白河上皇の側近が源義光と所領のことでトラ
ブルになったときの上皇のアドバイスの記述や、青海波という源氏物語で光源氏が舞ったことで有名な舞曲に
関する論争などの記事を読むと、この『十訓抄』の記述は信憑性が信じられ、清盛の情の深い人間性に『平家
物語』で悪辣暴虐な姿として描かれている清盛への印象を一変させると思うからです。

この清盛の情の深さを引き継いだ息子たちは、壇ノ浦合戦前に阿波水軍の裏切りを予見してこれを切ることを
主張した知盛に対して宗盛は確固たる証拠もなく切るのは道義に反するといって反対して大事な戦局で判断を
誤ってしまうことも著者は指摘しておりますが、同族の抗争が絶えず、兄弟、従兄弟、叔父甥同士でも殺し合い
が多かった源氏に対して、有能とは言えない兄に従った知盛をはじめとする平家一門の一族の和の良好さが
このような結果をも招いたのだという著者の哀感をも感じる記述です。