ドイツ統一に関する米ロの密約
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独統一の際、NATO東方不拡大の約束はあったのか yahoo記事
1/25(火) 12:22配信
【ロシアと世界を見る眼】ウクライナ加盟巡り解釈論が再燃 「口約束はあったが文書になっていない」
のが真実か

 欧州の安全保障体制をめぐる米ロなどによる一連の交渉が今月中旬、開かれた。ロシアは、北大西
洋条約機構(NATO)が東方に拡大しないこと、具体的にはウクライナを新規加盟国として受け入れな
いことを要求、交渉は予想通り難航、一旦、お開きとなった。

 ロシアは長年、NATOの東方拡大を自国の命運がかかった重大問題だと訴えてきた。その主張を展
開する際、ロシアは1990年のドイツ再統一交渉の過程で米国がNATOを東方に拡大しないと約束した
のに、その後、一方的にその約束を反故にしたと強調、米国の信義違反をなじってきた。

 ウラジーミル・プーチン大統領は直近では、昨年12月23日の年末恒例の大記者会見で、NATOはソ
連崩壊後、5回に渡って新規加盟国を増やし、「臆面もなく我々をだました」「そんなこと(拡大)はしない
でくれ、そんなことはしないと約束したではないかと、我々は言った。ところがそんなことがどこに書いて
あるのか、どこにもないではないか、それでおしまいと言うのだ」と述べた。

 これに対しアントニー・ブリンケン米国務長官は今月7日、ワシントンでの記者会見で「NATOが新規
加盟国を受け入れないと約束したことはない」と明言した。

 双方の主張は真っ向から対立する。果たして東方不拡大の約束はあったのかなかったのか。

 実はこの議論は今に始まったわけではない。長い経緯がある。

 コトは1990年のドイツ再統一交渉に遡る。当時の交渉のやり取りを示す公文書がここ数年の間に解
禁され、多くのことが分かってきた。それでもそれらの解釈を巡り様々な見解があり、政治家は言うに
及ばず学者の意見もまとまっていない。

 ▽「1インチたりとも広げない」

 まず、約束はあったという説を検証する。

 1989年11月9日、ベルリンを東西に分けていた壁が崩壊、ドイツ再統一の可能性が真実味を持って語
られ始めた。同時にそのドイツとNATOとの関係をどうするかが大きな問題として浮上した。

 これに最初に言及したのは西ドイツのハンス・ディートリヒ・ゲンシャー外相。1990年1月31日、バイエ
ルン州トゥッツイングで演説した際、東欧の変革とドイツ再統一がソ連の安全保障利益を損なうことがあ
ってはならず、「NATOは東への領域拡大を排除すべきだ。すなわちソ連国境に近づくようにすべきでは
ない」と述べた。

 続いてジェームズ・ベーカー米国務長官が1990年2月9日、ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連党書記長と会
談した際、NATOを「東方へは1インチたりとも」拡大しないと言った。正確にその時の発言を引用すると、
統一ドイツがNATOの加盟国としてとどまれるなら、「NATOの今の軍事的、法的範囲が東方に1インチ
たりとも広げないと保証することが重要だと思っている」と述べた。

 ゴルバチョフは翌日の2月10日、今度は西ドイツのヘルムート・コール首相と会った。その際、コール
首相も「NATOはその活動範囲を広げるべきでないと考える」と伝えた。

 米国もドイツもほかの主要西側諸国もドイツ再統一に対するソ連の同意を得るために、ソ連の安全保
障に配慮することを示す必要があり、ベーカー、コール、ゲンシャーのほか、当時、ジョージ・H・W・ブッシ
ュ米大統領を含めソ連首脳と接触した米欧首脳はこぞって基本的にベーカーらの発言を支持したことが
分かっている。ゴルバチョフに対するそうした働きかけの成果が1990年10月3日の再統一となって結実
した。

 一連の公文書を詳細に検討した米ジョージ・ワシントン大学付属国家安全保障アーカイブ研究員の
スベトラーナ・サブランスカヤとトム・ブラントンが2017年12月に発表した論文によると、米欧の指導者
が東欧諸国のNATO加盟問題を検討した上で、NATOを単に東ドイツ部分だけでなく、他の国に拡大
しないとの態度を示した(注1)。  

 このほか、ドイツのシュピーゲル誌も米国のゴードン・ハーン、ジェイムズ・ゴールドガイアー、ジョシュ
ア・イツコービッツ・シルリンソンといった学者らもNATOを東欧諸国に拡大しないとの約束が事実上あ
ったと主張した(注2)。

 これに対し、米国のマーク・クレーマー、カーク・ベネットらはそんな約束などなかったと主張する3。

 クレーマーによると、ドイツ再統一交渉の場でNATOの東欧諸国への不拡大が議論されたことはなか
った。1990年の交渉では統一されるドイツとNATOの関係が問題になっていたのであって、ほかの国が
NATOに加盟するとの問題は想定されていなかった。つまり、NATOを東ドイツ部分に広げるかどうかは
議論されても、NATOを中欧・東欧諸国に拡大するか、しないかという問題は協議されなかった。

 ベーカー国務長官が1インチたりとも「東方eastward」に拡大しないと言った時の東方とは東ドイツ部分
のことで、東欧諸国を念頭に入れていたわけではないという。

 そしてクレーマーは、実際にNATOを拡大しないと規定した国際条約はないと指摘する。確かにその
ような文書はない。

 ドイツ再統一は1990年9月12日に東西ドイツ、米国、英国、仏、ソ連の6カ国外相が調印した「最終解
決条約」で決まった。この条約には外国軍つまりNATO軍は東ドイツ地域に配備されないことが合意され
盛り込まれている。しかし、それ以外の国への不拡大の約束はない。

 こうした経緯があるから、NATOは2014年4月に公式に「そのような(不拡大の)約束はなかったし、ロ
シアの主張を裏付ける証拠はなんら提示されていない」との見解を発表した。ブリンケン国務長官の先
の発言もこのNATOの見解を踏まえている。

 確かに約束を明示した条約はない。あるのは当時交渉にあたった者の会談でのやり取りや演説での
言及だ。

 ▽暗黙の約束という主張

 それでも、交渉全体の雰囲気からは、東欧への不拡大の「暗黙の約束」があったとか、不拡大方針が
交渉当事者全員に共通していた「精神」だったと言って反論できる。

 ドイツ再統一交渉にあたった当事者たちはどう言っているかというと、これも見解は食い違う。

 ゴルバチョフは約束があったと言う。しかし、ゴルバチョフと一緒にソ連の新思考外交を担ったエドワル
ド・シェワルナゼ外相(のちグルジア大統領、故人)はそうした約束はなかったと述べ、ベーカー(故人)
もベーカー長官の顧問だったロバート・ゼーリックもそんなことを約束していないと反論した。

 論議を一言でまとめるなら、ロシアの言い分に根も葉もないわけではないが、正式な国際条約に書か
れていないからその主張は迫力に欠けるということになろうか。

 ゴルバチョフは交渉にあたってなぜもっとはっきりと東欧諸国への不拡大を約束させなかったのかとい
う疑問が生じる。ハーンは、米欧ソとも当時は和解と希望の雰囲気に満ちていたことをその答えとして示
している。

 ロシア外務省は昨年12月17日、米ロ、さらにロシア・NATOの間で結ぶよう提案した条約案の中に、
NATOの不拡大を盛り込んだ。今度はあいまいな口頭でのやり取りではなく、国際条約で明記し、拘束
力を強めたいからだ。

 だが、NATO不拡大を正規の国際条約に盛り込むことはいかにも無理な要求だ。NATO憲章にあるよ
うに、NATOがほかの国にも門戸を開かれているとの建前を放棄するわけにはいかないだろう。

 では、交渉は決裂必至かというと、妥協の余地はあるようにも思う。

 米国務省高官は昨年12月、ウクライナに対し、向こう10年間はNATO加盟できない旨、伝えたという
(注4)。そうであるなら、米国は妥協の意志を明らかにしたことになる。

 国際条約への明記はできないが、NATO首脳会議の宣言などの形で、当面の事実上のNATO不拡
大方針を打ち出すことは可能ではないだろうか。落としどころはその辺にあるとみる。

▽クリントン大統領の”豹変”

 最後にソ連崩壊後のロシアとNATOの関係をごく簡単に振り返っておきたい(注5)。

 そもそもソ連崩壊後、米国を含めNATO諸国はNATOの拡大を支持していなかった。NATOの結束力
が弱まるとか、加盟国が増えると政策決定過程が煩雑で長くなるといった理由が挙げられた。もちろん
ロシアへの配慮もあった。

 NATOは拡大の代替案として、「平和のためのパートナーシップ(PfP)」なる仕組みを考え出し、ロシア
と東欧諸国に提示した。PfPを結んでも加盟国になるわけではないが、仲間になることを意味した。NAT
Oは1994年1月、ブリュッセルでの首脳会議でPfPの創設を決めた。

 しかし、東欧諸国はその後もNATO加盟にこだわり、米国でもそれへの支持が広がった。NATO拡大
の動きに対するロシアの姿勢は紆余曲折を経た。

 当初はNATOとの協調路線を打ち出し、自らのNATO加盟の可能性にも言及したほどで、拡大を前向
きにとらえていた。しかし、1993年秋以降、NATO軍のバルカン紛争への介入もあって、拡大への懸念
や反対の姿勢が目立ち始めた。

 ビル・クリントン米大統領はロシアを疎外するつもりはないなどと説得し、1994年6月にロシアとの間で
もPfP調印に漕ぎ着けたのだが、1994年12月のブダペストでのCSCE首脳会議では、クリントン米大統
領の発言にボリス・エリツィン大統領が食ってかかり、周囲を驚かせた。

 クリントン大統領は、NATOが欧州安全保障の中核であり、どの国の加盟も排除しないし、どの国もそ
れを止める拒否権を持たないと述べた。これはそれまでの姿勢とは明らかに違う。

 これに対しエリツィン大統領は、NATOの範囲をロシアとの国境まで広げることは重大な間違いだと強
調した。

 その後、ロシアは1997年5月にNATO・ロシア基本協定を結んだのだが、NATOは同年7月にマドリッド
で開いた首脳会議で、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランド3カ国の加盟を承認、これら3カ国は1999年
4月に加盟した。2004年3月にはバルト三国を含む7カ国、その後、4カ国が加盟し、加盟国は現在30カ国。

 エリツィン大統領はクリントン大統領や当時のウォレン・クリストファー国務長官に裏切られたと思って
いただろう。

 2000年にエリツィン大統領から政権を引き継いだプーチン大統領は前大統領にも増してNATO拡大に
強く反対し始めた。2007年の有名なミュンヘンでの演説、さらに2014年4月の議会演説で、米欧諸国に
裏切られた旨発言している。

 昨年10月18日、ロシアはNATOがブリュッセルのロシア外交官をスパイだとして追放したことに反発し、
NATOとの外交関係を断絶、モスクワの出先(大使館に相当)の閉鎖を命じた。こうしてロシア・NATO関
係はソ連崩壊後、最悪の状態にある。

 [注]

 1. Svetlana Savranskaya and Tom Blanton, “NATO Expansion: What Gorbachev Heard,” National
Security Archive, The George Washington University, December 12, 2017.

 2. Uwe Klussmann, Matthias Schepp, and Klaus Wiegrefe, “NATO's Eastward Expansion: Did the
West Break Its Promise to Moscow?” SPIEGEL ONLINE, November 26, 2009; Gordon M. Hahn,
“Broken Promise: NATO Expansion and the End of the Cold War,” Russian and Eurasian Politics,
December 13, 2017; James Goldgeier, “Promises Made, Promises Broken? What Yeltsin Was To
ld about NATO in 1993 and Why It Matters”, War on the Rocks , July 12, 2016; Joshua R. Itzko
witx Shifrinson, “Russia’s got a point: The U.S. broke a NATO promise,” Los Angels Times, May
30, 2016.

 3. Mark Kramer, “The Myth of a No-NATO-Enlargement Pledge to Russia,” The Washington Qu
arterly, April 2009; Kirk Bennett, “What Gorbachev Did Not Hear,” The American Interest, Marc
h 12, 2018.

 4. Ellen Knickmeyer, Matthew Lee and Normaan Merchant, “Biden assures Ukraine’s leader of
US support to deter Russia,” AP, December 10, 2021.

 5. ソ連崩壊後のロシアとNATOの関係については、拙著『ロシア近現代と国際関係』ミネルヴァ書房、
2017年で詳述した。

■小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを
務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。