金婚式    2022.05.14

今日は私の結婚50周年、つまり金婚式の日です。

千日前デパート火災のことが今朝の新聞に出ていたので、そうそうこの事件の翌日の14日が我々の
結婚式だったね、と朝食の席で家内と話していたのですが、家内が手帳を取り出してしばらく眺めてい
て、言います。

「今日は私たちの金婚式にあたる日だよ」

来年と思っていた私は急いで自分の手帳を持ってきて年号と西暦の表を調べたところ、確かに昭和47
年は1972年であることを見て、結婚50周年の金婚式であることを確認したのでした。

私たち夫婦が気づいていないのですから息子も娘たちも全然知りません。
それでは今日は料亭「梅の花」で二人だけでお祝い会をしようかと思ったのですが、家内が先週の土
曜日に路上で転んで右腕を骨折して不自由なので、6月の私の誕生日にやることにしました。

結婚式は家内の実家が裕福でなく、資金の援助を受けられなかったので私も両親の資金援助を断り、
自分たちだけの乏しい予算で式を挙げることにし、勤務先の同僚調律師の紹介で豊中市のルーテル
教会に行ったら、私たちの懐具合を理解してくださった牧師さんが本当によくしてくださり、無事に挙式
できたのでした。
牧師さんの示された条件は一定期間教会に来て礼拝に参加することだけでした。
謝礼も要らないそうで、私たちは40人分の紅茶茶碗セットをお礼に贈っただけでした。

式は招待客にはお祝いを謝絶し、その代わり引き出物は無し、式のあとの懇親会は紅茶とケーキだけ
という、実に簡素なものでした。
家内のウエディングドレスは沖縄出身の友人からプレゼントされた白い生地を家内の勤務先の近くに
あった個人の仕立屋で裁断してもらったものですが、シンプルなそのデザインはとても好評でした。


35人の方たちが集まってくださったのですが、そのうち21名が鬼籍に入っておられます。
50年の歳月を感じます。
クリックすると拡大されます。
私の左側、仲人さんを置いて父と母、家内の右側、仲人さんを置いて家内の父と母。
男性仲人さんの後ろに立つのが右から長姉k.mitikoさん夫妻、次姉夫妻。
家内の斜め後ろに立つのが左から家内の妹、弟二人。3人とも家内より若いのに亡くなっています。

式のあとの夜に新婚旅行に向かうまでの時間を当時、大阪に居住していた次姉宅で私たちの親族だ
けでお祝い会をしたのですが、その席に新井さんから電話があり、「今、ヒデミと山城君と3人で梅田の
居酒屋で飲んでいるのだが、寝台特急で出発する前にちょっと寄ってくれへんか」と言うのです。

新井さんと山本君(ヒデミ)は浜松で調律の修行をしたときの仲間で、そろぞれ1歳違いで新井さんが
長兄、私が2番目、山本君が弟として後にダンゴ三兄弟と名乗るくらい仲がいいのですが、山城君は
私の高校時代の友人で、浜松での修行時代、によく訪れてくれたことから二人とは面識があたのです。
式後、3人ともお酒が好きなこともあって一緒に飲もうという話になったようです。

旅行の支度をして家内と一緒に姉宅を出て梅田の阪急ガード下の居酒屋に行ってみると、3人は意気
投合して盛り上がってまして、私たちを祝福してくれたのです。
そして何と、岡山まで帰らなければならない山本君が私たちの乗る寝台特急に便乗してきたのです。
「それは無粋やで」と新井さんが言いますが、家内も全然かまわないと言うのです。
岡山駅まで最後尾車の展望台のところで語り合いました。岡山に着いたのは12時を過ぎていたのでは
なかったでしょうか。

山本君は私が1年早く修行を終えて浜松の寮を離れるとき、工場の人たちがやってくれた送別会でな
かなか帰宅しない私に業を煮やして、私の持ち物、布団袋から書籍、その他の荷造りを全部彼一人で
やってくれたのです。
「もりさんは明日の早い時間の出発なのに何を考えているんだろう!」とぼやきながら作業したとのこと。

その弟分の彼が私の新婚旅行の列車に便乗してくるとは本当に我々は縁が深いのだなと思ったもの
でした。
私の結婚式ではこれらの3人に祝福されたエピソードが一番心に残っています。

右から山城君、新井さん、山本君。

山城君は後に慶應義塾大学の教授となりました。

式にはコルネーノこと、横田君も出席してくれたのですが、式直前のこのときにはいなかったのです。
集合写真の後方、真ん中よりやや左側にいる長髪の男性が横田君。