安倍元首相は「レーガン氏に匹敵」「偉大なコミュニケーター」    

米調査研究機関「ハドソン研究所」のケネス・ワインスタイン所長の寄稿全文  2022.07.13
(ケネス・ワインスタイン氏 =ハーバード大で博士号取得。安全保障と外交政策が専門。トランプ政権下
の20年に駐日大使に指名されたが、議会の承認手続きが進まなかった。60歳)

力強い変革につながる戦略的な構想を持つという意味で、ロナルド・レーガン(米元大統領)に匹敵する
私が直接知る人物は安倍晋三氏だけだ。
レーガンは1970年代の米国の衰退を食い止め、自由主義に有利になる地政学的変化を起こすことがで
きると認識していた。同じように、安倍氏も、日本が第2次大戦の影の下に生きていたのでは、きわめて
独裁的な台頭する中国に対抗し、日本の自由と繁栄を守ることはできないと理解していた。

この2人の偉大な指導者が持っていたのは、構想だけでなく、それを実現する政治的な能力だ。このよう
な政治手腕を持つ人はまれであり、米国人のレーガンへの評価が在任中の支持者を超えて死後に高まっ
たように、日本人の安倍氏への評価も高まるだろう。
安倍晋三氏は、私の友人だ。2003年に私が東京を初めて訪れたときに会った。彼は私よりも速く、はるか
上に上り詰めたが、私たちはずっと近い友人だった。トランプ大統領が私を駐日大使に指名したのは、彼と
の近い関係が大きな理由だ。

お互いに残念だったが、私たちは公的な立場で会ったことはなかった。安倍氏は20年に健康問題で首相
を辞任し、私が上院で大使に承認される前に、トランプ政権は終わった。にもかかわらず、私たちはお互い
に有益な意見交換と会談を楽しみにしていた。2月にオンラインで会話し、5月に直接会い、今週水曜に東
京で会うはずだった。殺人者が彼の命を奪ったのは、私にとっても、日本と世界にとっても悲劇だった。

しかし、安倍氏の人生は日本と米国、世界とインド太平洋地域によい影響を及ぼすには十分長かった。
世界のどの指導者よりも早くに北朝鮮の脅威と台頭する中国の挑戦を認識し、安倍氏は、国連中心主義で
合意重視の外交から、大胆で外を見据え、米国との新しい同盟に基づく戦略的パートナーとの連携を重視
した外交へと転換した。米国にただ従うのではなく、安倍氏は米国の政策と戦略が両国の国益に沿ったも
のになるように手助けした。

安倍氏には、戦略的な思考に必要な分析力と好奇心があった。それに加えて、優しさと感受性も備えていた。

06~07年の短期間だった第1次政権の失敗で、彼はうちひしがれた。だが、父の安倍晋太郎、祖父の
岸信介という政治家一家の使命を達成しようと決意した。国際政治の中心で建設的な役割を果たすため
に日本を率いるということだ。

逆境において、人の性格が鏡を見るようによくわかるという。失脚した政治家は競争相手の動向に気をも
みがちだが、安倍氏は違った。恨みがましく思うことなく、第1次政権が失敗した理由を探り、政治の仕組
みに関心を集中させた。日本の官僚機構で、権力の分散は不安定につながる。07~12年に6人の首相
が交代し、在任期間は平均1年だった。12年に返り咲く準備をする中で、安倍氏の結論は、首相官邸に権
力を集中させることだった。外交面のカギは、13年の国家安全保障会議の設置だった。

安倍氏は政府内の力学を変えるとともに、日本と世界の関わり方も変えた。1990年代に若手の国会議員
として、彼は北朝鮮による拉致被害者の家族と定期的に会った自民党議員の一人だった。家族の話は、彼
の心に深く響いた。官僚や主流メディアはほとんど関心を払わなかったが、安倍氏は家族の擁護者となり、
後に北朝鮮に拉致を認めさせることにつながった。この話は、安倍氏が国民と深くつながることの重要性を
理解していたことを示すものだ。レーガンと同様に、安倍氏も偉大なコミュニケーター(伝達者)だった。

何よりも、彼の戦略的な洞察力が優れていたことを示すのは、早い時期から中国の台頭がもたらす挑戦を
認識していたことだ。当時は米国政府内でも多くの人が、中国が国際的に「責任ある利害関係者」になると
期待した。安倍氏は甘い期待を抱かず、結果的に正しかったと証明された。彼は中国の挑戦に対応する一
番の方法は、競争の土台を再定義することと見ていた。

2007年に首相として行ったインド国会での演説は先見の明があった。日本の伝統的な政策だった太平洋
重視をより広くインド太平洋に広げた。民主主義国で海洋勢力である日本とインドが米国やオーストラリア
と協力し、自由と繁栄を推進するというものだ。

第1次安倍政権は07年に突然終わったが、戦略的な先見の明は、12年に首相に返り咲いて以降に明ら
かとなった。中国が強制的で収奪的な「一帯一路」で影響力を拡大するにつれ、安倍氏はインド洋と太平
洋を合流させて自由を推進する構想を再び訴えた。16年8月の歴史的な演説で、「自由で開かれたインド
太平洋」の構想を打ち出した。

アジアとアフリカを結ぶシーレーンを強調し、安倍氏は二つの自由で開かれた大洋と大陸を通じ、安定と繁
栄だけでなく、偉大な躍動が生まれると訴えた。中国と暗に比較し、インド太平洋地域を力や威圧とは無縁
で、自由と法の支配、市場経済が重視される地域にする手助けを日本ができると訴えた。

この構想で、安倍氏は地政学上の中心、自由な国際秩序を推進する努力の中心に日本を位置づけた。
米国のトランプ、バイデン両政権でこの構想は大きな戦略の核になった。自由で開かれたインド太平洋を
推進するという安倍氏の遺産を前進させなければならない。彼の追憶だけでなく、人類の利益のために。

優れた戦略家であり、伝達者であった人物の喪失が惜しまれる。彼の優しい心とともに。