2023.11.04

熊野修験団仲間たちとクエ料理ツアー

20数年間、熊野修験の修行を支えてきてくれた私の仲間たちとの交流です。

熊野修験での活動を持続しているのはハナイさんだけで、私を含む他の3人はここ数年、サポートにも
行っておらず、なかなか会えないので、一度会いましょう、ということで私が提案したのがクエ料理を食
べに行こう、というものでした。
ちょっとしたつてで和歌山県の海に面した村の民宿でくえ料理を供することを知ったのです。
あとで記す理由でその村と民宿の名は伏せます。

メンバーはハナイさん、カツラさん、shibataさん夫妻に私の5人です。
カツラさんは和歌山ですが、shibataさんたちは東京からです。

11月4日、JR和歌山駅までハナイさんに車で迎えにきてもらい、カツラさん宅に行ってカツラさんを乗せます。
カツラさんが娘のれいちゃんを置いて泊まりがけの旅に出るのは初めてのこととか。
れいちゃんとカツラさんのご主人が送ってくれました。


午後4時前にクエ料理の民宿がある海辺の村に着きました。
同じころに東京から駆けつけたshibataさん夫妻の車も到着。


一同、宴席へ。
私の姿勢の悪いこと。仲居さんにおじいさん、と呼ばれました。
76歳なのですからおじいさんと呼ばれて当たり前ですが、れいちゃんがいるのだったらそう呼ばれても
いいけれど、ここはお父さん、と言って欲しかったですね。


クエの切り身の大きく、量も多いのにみんなの期待が高まります。

ところがなのです。
コリッコリッとしている食感はまさにクエのものなのですが、風味がまったく無いのです。
お刺身の盛り合わせはみんなが美味しい!美味しい!と連発するほど美味だったのですが、クエはさっ
ぱりでした。
後で宿の女将に聞いたら昨年採れたのを冷凍にしていたものだとのこと。
だから、私が予約の電話を入れたとき、「伊勢エビの活きのいいのが入ってます!」と伊勢エビ料理を
勧めたのだな、と納得する思いです。
一口、二口食べたあと、民宿の人がいないことを確かめながらクエ料理がはずれだったことを皆さんに伝え、
詫びたところ、そこは暖かい皆さん、「これでも結構いけますよ」と言ってくれますが、口の肥えた人たちば
かりだから私への気兼でそう言ってくれているのが解ります。
特にカツラさんは20数年前にアルバトロスクラブの集まりで梅田スカイビルの地下にある海鮮料理の店で
クエ料理を一緒に食べたことがあり、その時の美味を私と同じく覚えているのでガッカリしたことと思います。
もっともカツラさんとは私の幼なじみのCapt.Senooが白浜にやってきたとき、白浜のかなり外れたところに
あるホテルでクエ料理を一緒したことがあるのですが、そのときも今回ほどでは無かったですが、本来の
味からは遠かったでした。そのホテルはその後、廃業になったとのこと。
本当に美味しいクエ料理をいただくには十分に調べて行く必用があるようです。

それでも朝食はとても美味しかったし、おじいさんの呼び名はちょっといただけなかったけれど女将も仲居
さんも皆人柄がよく、この民宿の泊まり心地は良かったです。

民宿の女将に勧められて車ですぐ上の高いところにある戸津井鍾乳洞を訪ねました。








次に訪れたのが白崎海洋公園。
名前も訪れるのも初めてで、和歌山に住むハナイさんならではの案内です。
公園全体が石灰岩に囲まれており、まるで氷山のよう。

その氷山の上に上がってみます。


上から見る景色


尾根の反対側からの眺め



ここからは北上して丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)に向かいます。
途中、山奥のひなびた村でレストランを見つけました。


古い民家を利用したレストランで料理の味もよく、どこで昼食をとろうかと案じていた我々を喜ばせてくれました。
みんなは日替わりランチを注文したのですが、長いことパスタを食べていない私はカルボナーラを注文。
そして私だけビールをいただいたのです。
美味しかったですねぇ。


そして丹生都比売神社に到着。
今回ツアーの目玉がこの丹生都比売神社でした。
昨年末にカナダから帰国した加奈陀撫子さんが、外国で長く暮らすうちに日本の神道に深い関心を持つ
ようになり、特に彼女が行きたがっているのがこの神社ということを知って、私はここを訪問することをハ
ナイさんに提案したところ、ハナイさんは私がこの神社を挙げたことをとっても喜んでくれ、即座に決まっ
たのです。
ハナイさんは熊野修験の一連の修行として高野山からこの丹生都比売神社への縦走をしたことがあり、
特別な想い入れを持っているようで、私がこの神社を知っていることを驚いていましたが、加奈陀撫子
さんの話をしたところ、納得したようです。


駐車場から見える太鼓橋(案内図では輪橋という名称)


弘法大師が金剛峯寺を建立するにあたって丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い
関係にある神社とのことです。(ウイキペディアより)


太鼓橋の上で。


橋の上から


七五三のお祝いなのでしょう、可愛らしい姉弟を見て、親御さんの了解を得て撮影させてもらいました。



楼門の前で拝礼します。


楼門。


楼門を左手に行くと本殿が見えます。
一般参拝客は楼門での拝礼になり、本殿には近づけません。


さらに左手に進み、巨木の檜の側を右に入っていき、境内の外らしき所に出ます。


そしてその先にあるのは冒頭に載せた案内図に記載されている”大峯修験者の碑”です。
ウイキペディアの解説に「丹生都比売神社自体も高野山からの影響を強く受け、境内には多くの仏教
系の遺跡・遺物が残る」とあり、
まさにその遺跡なのでしょう。
同じウイキペディアに「神社背後の尾根上には高野山への表参道である高野山町石道(国の史跡、
世界遺産)が通り、丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず
丹生都比売神社に参拝する習わしであった」とあり、ハナイさんたち熊野修験団はこの尾根上の高野
山石道を逆から通ってここに
やってきたようです。


この石碑の形と言い、刻み込まれている文字がくさび形文字のように見える様は、ギリシャ・ローマ、あるいは
中近東で見かけるもののように思ったのですが、刻印されている碑文は梵語で光明真言だそうです。
光明真言は魔除けや除霊の真言として有名で、私も暗唱しています。
「オン、アボキヤ、ベイロシャナ、マカボダラ、マニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤウン」(天台宗系の唱え方)

ガイドのパンフに有王の墓がこの地にあると記載されているのに驚きました。
有王は「平家物語」で平家に謀反を企てたかどで鬼界ケ島に流罪となった俊寛僧都の侍童(少年の家来)で、
鬼界ケ島に流された主人をたずねてその死をみとり、遺骨を高野山に納めて菩提を弔ったと「平家物語」や
「源平盛衰記」などに記載されており、私は少年時代から馴染んでいた若者です。
是非ともその墓を訪れたいと思って地図の案内どおりに道を歩いて行ったら、蔦が覆う民家の前に来ました。
如何にも風情のある廃屋という感じで、私たちはこの前で何枚も写真を撮ったのですが、表に出ておられ
た近所の方に聞いたところ、廃屋ではなく、都会に住んでいる持ち主が定期的にやってきて滞在するとの
ことでした。




有王の墓です。
崖のすぐそばにあり、よくも800年以上も崖崩れに遭わなかったものだと思いました。




丹生都比売神社の駐車場に戻って熊野経由で帰るshibataさん夫妻と別れ、私たちは一路、和歌山を
目指し、和歌山駅でハナイさんとカツラさんと別れ、寝屋川に戻りました。
気の合う仲間たちとの二日間の旅はいつまでも心に残ることでしょう。