ベルリンオリンピックのジェシー・オーンエス選手とルッツ・ロング選手

左から田島直人選手(銅)、ジェシー・オーンエスジェシー・オーンエス選手(金)、ルッツ・ロング選手(銀)

先日、k.mitikoさんが電話でNHKで放映されたベルリンオリンピック陸上で4冠を成し遂げたアメリカ人
ジェシー・オーンエスの映画を観た感動を話してくれたのですが、それに興味を抱き、私なりに調べた
ところ、黒人であるハンディをいろいろ背負いながら栄冠を勝ち取り、その後には黒人ゆえの屈辱をも
味わう同選手の人生に感銘を受けました。
そして同時にこのオーエンスを支えたドイツ人選手、ルッツ・ロングの存在に私は大きな感動を感じた
のです。


オーエンスについては映画にもなるほど有名人なのでウイキペディアの記事を見ていただくことにして、
ここではルッツ・ロング選手のことについて記したく思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9

オーエンスが走り幅跳びの予選で2回ファールして後が無く、苦しんでいるときにロング選手は「踏み
切り線の数インチ前から跳躍しろ」とアドバイスをし、そのとおりにしたオーエスが3回目に成功し、トッ
プに躍り出ることができました。

オーエンスの優勝が決まったとき、ロング選手は祝福しにオーエンスに駆け寄ったのです。
ロング選手が残した下記の言葉。

「僕は自分を抑えきれず、彼のもとに走った。彼を一番に祝福し、抱きしめた。
肌を巡る戦いは終わったんだ。黒人は紛れもなくベストだったんだ。
— ルッツ・ロング、Neue Liepziger Zeitung 1936 6/11」
(注)Neue Liepziger Zeitung
ドイツの新聞。1650年創刊という世界で最初の日刊新聞

ロングはオーエンスと共に競技場をあとにし控え室に向かったのです。


ベルリンオリンピックを白人の優秀さを表し、国威発揚の場と考えていたナチス・ドイツ政府の意向にも
添わず、己の信じるままに行動したロング選手のフェアプレイ精神は賞賛に値するものと私は思います。

ロング選手は後に突撃隊に入隊し、第二次大戦でイタリアで負傷し、捕虜になったのでしょうか、英国
軍の病院で死亡したとのこと。