熊野への旅 ③ 桃源郷のような映画館・田並劇場     2024.02.24

熊野の旅2日目の後半はカツラさんが強く勧めるので串本町の田並劇場を訪れました。


訪れてみて誘ってくれたカツラさんには深い感謝の念を抱くほど、素晴らしいところでした。

オーナーの林憲昭さんと澄蓮さん夫妻は2009年10月に、東京都から和歌山県串本町へ移住し、この
廃墟化している劇場の復興を成し遂げたのでした。
真ん中が林さんご夫妻。
熊襲か蝦夷のような鬚面の風貌の憲昭さんと天女のような透きとおった顔色と風貌の澄蓮さんは浮き
世離れした雰囲気を漂わせていますが、憲昭さんは日光写真(青写真)の技法を使い、布や紙に自然
の影と共にドローイングなどを写し込む芸術家なのです。


住まいは山間の集落にポツンと残る一軒家。生活水は近くの川から汲み、お風呂やご飯は薪でたく
生活をしています。憲昭さんは罠の狩猟免許を取得し、狩猟期には山で獲れたシカやイノシシからハム
やベーコン、ソーセージなどを作って保存することで、狩猟期の肉はほぼ自給自足。山菜採りや潮干
狩りなども楽しんでいます。澄蓮さんは「移住した当初は子どもと一緒に自然の中で遊ぶことを楽しん
でいました」と笑顔で話します。(ネットの記述から)

林さんご夫妻の娘さんは本人が望んだので憲昭さんの見守る中でシカの解体を経験したそうで、娘さん
の挑戦に、両親は大変驚きながらも、意志を尊重したようです。

彼女は動物が好きなのですが、お肉を食べる事も好きなので、普段の暮らしの中で目にする美しい鹿
を口にするプロセスに関わる事で、自身の中にある葛藤と向き合ったのかもしれません。(澄蓮さん談


林さんご夫妻とこの田並劇場については下記の朝日新聞記事を参照ください
https://www.asahi.com/articles/ASRB46QW5R9WPXLB00G.html
特に下記のYou Tubeは林さんご夫妻とこの田並劇場との出会いを簡潔に紹介しています。
わずか2分ちょっとの長さですから是非、ご覧ください。
https://youtu.be/sIrv82Liy5k

田並劇場の1階は入ると下記のように。
奥でダンスをしているのは定期的に開催しているHula Kapiliというフラの「うみべクラス」。
若者は、中学生の娘のみで、先生は40代、退職後の70代もいる、世代を超えたクラスとのこと。

田並はかつてアメリカ村と呼ばれ、ハワイ移民も多かった地域なので、ここでフラのレッスンが開催され
ている事には、ご縁を感じております。(澄蓮さん談







色んな手芸品が展示されています。


Mahoさんがアクセサリーを購入したところ、奥様の澄蓮さんがMahoさんに頼んで、そのアクセサリーを
持った姿のMahoさんを写真撮影します。
その作者の少女に見せたいからとのこと。


その少女、イコマサキさんをカツラさんは生まれたときから知っているそうで、下記の新聞記事を送って
きてくれました。


振りかえって仰ぎ見れば旧映写室の中二階


上がって行くと階下の眺めはかように。








その中でMahoさんと私が注目した児童書がありました。


表紙の挿絵が素敵なのです。



すぐさまMahoさんはAmazonでこの本を探したら中古で見つけたのです。
「リワさん、ごめんなさい。私が注文してしまいました」
二人の小学生を持つ母親なのですから「いいですよ」と私は答えました。
ところが帰宅して念のために私もAmazonで探したらまだ中古本があったのです。
もちろん、注文しました。
別に孫たちのために購入したのではありません。
後期高齢者なのに、未だに児童書の挿絵が好きなのです。
恐らくMahoさんも私と同じ嗜好だと思います。

絵本の隣に写っているのは熊野古道の大辺路の絵地図の巻物です。
ネットで調べると下記のページが出てきたのですが、この地図を実際に描いたのは先ほど紹介した、
イコマサキさんのお母様のワカコさんなのです。
https://www.facebook.com/tanamigekijyo/posts/4332863206725410/


画像をクリックすると拡大されます。

画像をクリックすると拡大されます。

その他に私の目を引いたのが出入り口付近のラックに収められている映画「禁じられた遊び」のパンフレット。

同映画は1952年制作なのに、つい最近発行されたように綺麗なのです。
映画の各シーンや配役、スタッフなど観賞用パンフとしては内容が充実しており、復刻版なのかと思っ
たのですが、出入り口付近のラックに置かれたパンフレットは、全て田並劇場で上映した映画のもの
で『禁じられた遊び』も上映の際に、配給会社よりパンフレットも取り寄せ、一部を田並劇場で買い取っ
たそうです。
高校生のとにこの映画を初めて見たとき、私は一週間ほど、呆然としたことを今も記憶しています。






学者風の男性が分厚い本を読んでおられるので声をかけたところ・・・・
前日に上映された『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』という映画の企画・制作をされたプロデューサー
だそうで、なんと!東京から車で駆けつけられたそうです。


下記の本を読んでおられるのです。
書物好きで歴史好きの私ですが見たことも無い事典です。
そしてその側にある得たいの知れない円盤状のものは・・・


映画のフィルムを収納する缶なのです。


田並劇場に残っている古い映画のフィルムを取り出して見せてくれる澄蓮さん。
「もう、ニューシネマパラダイスの世界!」とMahoさんが叫びます。
まさに!と強く共感した私ですが、そこに宮沢賢治の世界!とも付け加えたくなりました。
とにかく何もかもがメルヘンチックなのです。


澄蓮さんがMahoさんに何を説明しているかは私は知らなかったのですが、後でMahoさんから下記の
ことを聞いたのでそのままを紹介します。

澄蓮さんが私に説明してくださっていたのは、田並の廃校となった小学校の図書館等々から、地域の
漁師たちが、確か、鯨漁の方法などを巡りインドネシアのマルク諸島と交流があった形跡についてや、
串本の人たちが戦前、とても気軽にハワイへ移住していたことを伺わせる資料や遺品についてでした。
私はそのあと丁度、3月にインドネシアのマルク諸島、アンボンへ行ってきたので不思議な気がしました
またぜひ、インドネシアのアーティストなど田並劇場へお連れする機会があればと思います(Mahoさん談)



そしてこの雨漏りもしていた田並劇場に残っていた昭和時代のたくさんの映画ポスターには目を見張りました。
これはハナイさんたちの世代には解らぬ、後期高齢者の私だけが知る感動。
画像をクリックすると多くのポスターが出てきます。

田並劇場はまさにニューシネマパラダイスと宮沢賢治の文学の雰囲気を濃厚に漂わせる桃源郷の
記念物でした。

『ニューシネマパラダイス』も宮沢賢治作品も、田並劇場で是非!上映したいところなのですが、残念
ながら上映料が高く、赤字確実なので、なかなか手を出せずにおります。
田並劇場では、世界中の旧作新作の中から、私たちの手の届く範囲ではありますが、様々な映画を
上映しております。
演劇や音楽ライブ、落語や展覧会、造形教室やワークショップなど、映画以外にも様々な文化と交流
の場として、これからも心地よい風が吹き続け、成長出来ますように、精進致します。また機会があり
ましたら、どうぞお立ち寄りください!(澄蓮さん談)


同劇場の催しのときにまたハナイさんたちと一緒に訪れたいものです。

田並劇場に面した素朴なたたずまいのJR田並駅。
天王寺駅から3時間30分。私の住む寝屋川市からだと4時間16分。
車だと寝屋川市から3時間。