少年少女たちの修験道(葛城修験の修行   2024.04.13~14

熊野への旅で一緒に行動したMahoさんは次回は是非、息子たちにも修験道の世界の雰囲気を経験さ
せたいと希望したので、ハナイさんとカツラさんが葛城修験に同行することを勧め、Mahoさんは息子たち
を連れて再び関西の地にやってきたのでした。
その行動力は素晴らしいです!

今回は私は参加していないので、3人たちがやり取りしたLINEを元に葛城修験の様子を紹介させてもら
います。
ただ、文面はLINEでのやり取りや、その後の私の尋ねごとに応えてくれたことを参考に記しているので、
わかりにくい面があることはご了承ください。
ハナイさん、カツラさん、Mahoさん等の話はその後に(ハナイさん談)と記しています。
個人名はすべてカタカナか匿名表記にしています。
画像はカツラさんとハナイさんがLINEで送ってきたものを載せています。

2024年4月14日に葛城修験団が粉河寺に集合

スタートの粉河寺は、葛城修験でも重要な寺院ではあるけれど、あまりにも本堂など立派でむしろ行者
堂は、ほとんどの人は気づかないひっそりとしたすみにあります。万帆さん桂さんがご参加くださる前の
回のお参りで、懇ろにお参りしたので、今回は門前集合だけで、お参りはパスさせてもらいました(最後
にお参りする犬鳴山の開門に間に合わせるため)。前回は、西国3番の札所にも、1番の青岸渡寺から
ちゃんとお参りに来ましたよ、というアピールの意味も込めて、お寺の方にもお声がけしました。(毎年お
参りしてます)「高木ご住職はお元気ですか?今日は智英さんは来られてないの?」というやりとり。
(ハナイさん談)


先達のハナイさんが行中の注意などを伝えるところなのでしょう。


Mahoさんの長男ユウスケ君(小5)


真ん中の紺のシャツがMahoさんの次男ソウスケ君(小3)。


前日、Mahoさん親子は関空そばのホテルに泊まったところソウスケ君が二段ベットが嬉しくて眠れなか
ったようで当日は、歩き始めの時点で早々と脱落。
それに付き添ったMahoさんとソウスケ君はこれ以降の行中の画像には登場しません。
しかし二段ベットが嬉しくて眠れなかったとはソウスケ君、感受性の強い子なんですね。


粉河寺を出発




中津川の極楽寺行者堂
実は今回の一番のハイライトは、粉河寺から1時間少し奥に入った中津川という集落の、極楽寺行者堂、
とその少し先にある前鬼谷の熊野神社参拝、なのでした。、葛城の中台とされるのが中津川、聖護院の
重要な作法の伝授の一つである葛城灌頂(20年に一度くらいの割合で実施されてきた。来年に久しぶり
にあるらしい)が行われるのが、極楽寺行事堂。

行者堂入り口の石段は、塀をよじ登っているのかと思うくらいの急な石段ですが、これも行者堂ならでは。
(ハナイさん談)



急な石段を登り切ると行者堂が見えてきます。


カツラさん
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行者堂前での勤行
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熊野修験の古くからの仲間であるホリイケさんとえつこさん。
えつこさんはカツラさんの姉貴分的存在です。
ホリイケさんは紀州松煙工房のオーナーです。
熊野修験団仲間で何度、ここの工房でホタル見の宴会をやったことでしょうか。
https://www.kishu-shoen.com/
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熊野神社と前鬼谷、それに葛城五家
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驚いたのが前鬼谷と葛城五家の存在。
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大峯前鬼村の五家は修験道ではつとに知られて有名ですが、葛城にも前鬼谷と五家があるとは初めて
知りました。
下記のハナイさんの談のようにまさに大峯を意識しているのでしょうが、古い時代から脈々として続いて
いることに深い感銘を受けます。

大峰を意識していることは間違いないですが、本山派が深仙を中台として灌頂などの重要な儀式を行う
こと、またその麓の前鬼村は、役行者の弟子の前鬼後鬼の5人の子どもの末裔とされる5家(五鬼助、
五鬼継、、)が長らく行者のお世話をしてきたこと、と全く相似して
聖護院から官名を受けて(鬼はつか
ないものの、前阪、亀岡、西野、中井、中川の5家)、聖護院の庇護のもと行事の世話を続けて来られて
います。今でも、5家から代表2人ずつ出して「行者講」として、行者堂のお世話をされています。聖護院
は、毎年京都から葛城のポイントだけお参りに来るのですが、葛城のスタート加太とここ中津川だけは
外しません。かつてはお参りする人も多かったようで、江戸時代後半には、木版でお札刷ってご朱印押
して配っていたみたいで、近年それを復活されたのを聞き、私から事前に行者講の方にお願いして、今
回参加者にもお配りしました。護そして行者堂の少し奥の谷はその名も「(葛城)前鬼谷」。そこになんと
も美しい熊野神社があるのです。(ハナイさん談)

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下記のハナイさんの談を読むと、本当に素晴らしい行者さんがいるものだと修験道世界の奥の深さに
改めて感じ入ります。

この碑伝は愛知の藤原毅英行者が全て書かれてます。私は預かってお参りの時に納め、また、ある
程度は余分あるので、適宜、頑張られた方にお渡ししたりもしているのです。
藤原行者は、葛城修行を2002年に一般参加も募って歩き始めた時から、ずっと先達務めてくださって
ましたが、ここ5年くらいは、お家の事情で、でかけにくくなり、でもひたすら碑伝だけは毎年、葛城分
約150枚、奥駈分約100枚、四十八滝分約50枚を、この20年間くらい書き続けてくださっている稀有な
方です。碑伝以外にも、法華経全巻をすでに3回も書写されていて、こんな熱心な修行者は、僧侶で
もなかなかいないと思います。(ハナイさん談)


その御朱印を行者堂勤行後にもらった二人。
右側のれいさんは修験道に関係する様々な人たちの祈りと願いによって生を受けた奇跡の少女です。
(詳しい話を知りたい人は私、リワキーノまで連絡されたし hisao.moriwaki@gmail.com
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七経塚に向かいます。
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七経塚
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七経塚での勤行後、アラレノ宿 ここで昼食休憩をとります。
ユウスケ君のハナイさんへの懐きぶりに驚かされます。
昨年に熊野で出会ったときは常にハナイさんと私には気持ちの上で距離を置いていたのです。
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どう言う心境の変化でなのしょうか。ハナイさんの穏やかで優しい人柄は昨年のときにもよく解っていたと
思うのですが。
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出発前にコースの確認をする行者さんたちの中に混じって信頼感を示すような表情をするユウスケ君は葛城修験の雰囲気に影響
を受けたのかも知れません。
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驚きましたね、このユウスケ君の所作。
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八経塚手前の山道
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犬鳴山の経塚権現山(第八経塚)
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鳴山の七寳龍寺に到着
十一面観音像をお祀りするお堂
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犬鳴山七寶瀧寺本堂
錫杖を振るれいさん。さまになっていますね。
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犬鳴山」の旅館み奈美亭前
Mahoさんとソウスケ君は行中、合流することができず、旅館に先に行ってました。
カツラさん親子とMahoさん親子はここに泊まります。
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ハナイさんは行中に会えなかったソウスケ君に会いにホテルまで来たそうです。
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ユウスケ君はハナイさんとの別れを悲しんでいるのでしょうか。
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4月14日
葛城修験団が解散したあとの翌日、ハナイさんたちは十一面観音前でご開帳の採燈護摩供えを見学。
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法弓の作法で放たれた祓い矢を追いかけて手に入れた2人
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一緒の江阪さんは実に福々しさにあふれた表情の方で、前世は七福神のお一人だったのではと思わ
せますね。
ユウスケ君とソウスケ君はくたびれたのかな。
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修験団と別行動になったMahoさんとソウスケ君の行動をMahoさんの談で紹介します。

私は、湊介が最初からドロップアウトしてしまったため、二人でバスで粉河の駅から犬鳴山まで行き、
反対側から一行に合流しようと歩き始めたものの、七寳龍寺に着いたところで、湊介がとにかく眠い
というので試しにお寺の境内のベンチで寝かせたらあっという間に熟睡してしまい、私は湊介を膝に
寝かせたまま、手持ちぶさたで過ごしていました。そこで、地元の江阪さんという行者の方が声をか
けてくださり、七寳龍寺はご本尊の倶利伽羅不動明王がとにかく素晴らしいから、ここまで来たのに
お詣りしないと勿体ないよ、と。それで、湊介が目を覚ましたところで慌てて二人でお詣りしました。
そうしたら、そのご本尊(実際には、ご本尊は秘仏で、お詣りできたのはお前立のようでしたが)が本
当に素晴らしくて、すっかり感動して長居をしていましたら、なかなか帰れないことに怒った湊介が
先に山を降りてしまい、迷子になりかけるというハプニングもありました。
しかし、江阪さんが、明日は弘法大師の十一面観音ご開帳の護摩があるのになあ、とおっしゃられ
たのを覚えていました。翌日は、花井さんが別の場所を観光に連れていってくださる予定だったの
ですが、そうすけがモグラの死骸をもう一度見たいと言うので、犬鳴山の修験会館そばに戻ったと
ころ、ご近所の方に、今日は観音様のご開帳記念があり、管長様が朝早くからいらっしゃっている
と聞き、採灯護摩のことを思い出し、七寳龍寺へと急ぎました。ご開帳は一年に一度しかないそうな
ので、今から考えると、観音様が呼んでいただいたのかなと思います。(Mahoさん談)


Mahoさんがネットで探し当てた江阪さんの画像です。品格のある風貌ですね。
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犬鳴山から七寳龍寺へ向かうコースを行くソウスケ君
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ユウスケ君がハナイさんの肩車に乗っています。
成人となった息子さんがいるハナイさんにとっては懐かしい気持ちも湧いてきたのでは。
孫にはしてはちょっと早すぎるけれど・・・
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モグラはカツラさんが持って帰って博物館に持ち込んだそうです。

遅くなりましたが、今日、和歌山自然博物館の哺乳類担当、佐々木学芸員に渡してきました!神奈川
県藤沢市の小学生三年生、ソウスケ君が見つけた、と記録。
ヒミズというモグラですが、これがヒメヒミズならば、とっても珍しい発見(I see)なのだとか(^^)♪
詳しくはまた連絡をくださるそうです!(カツラさん談)

今、佐々木学芸員から電話がありました。モグラはヒミズで、何かネコとか?に襲われたのか、頭が割
れてお腹にも穴が空いていたそうで、それで死んだのでしょうね、とのことでした(カツラさん談)


ここの近くでソウスケ君がモグラの死体を発見。
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モグラとは?
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モグラの死骸は、犬鳴山から七寳龍寺へ向かう途中、修験会館の手前の石段で見つけ、まだふわふわ
で暖かかったけれど、このままだと誰かに踏まれて可哀想だよね、というので二人で石段の外、土を掘っ
て埋めてあげて枯葉をかけてあげたんです。湊介は、その石段の反対側にあった石碑のようなもの(修
験会館か七寳龍寺の施設にご寄付した方のお名前を記した石碑)を覚えていたようで、翌日戻ったらすぐ
死骸を見つけられました。(Mahoさん談)

護摩供えを終えてカフェテラス空での食事。
https://www.kishu-shoen.com/
いいですねぇ、この映像。
何だか我が息子や娘一家たちの風景を見る思いです。
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子供たちとともに歩けるかを心配しながら歩いた私の立場としては、堀池さんやえっちゃんはもちろん、
ハナイくんがあらかじめフォローしてくださってもいたのですが、今回、子供参加をちゃんと想定してサ
ポートしてくださった行者の高柳さんや保田さんの手厚いフォローをいただきなが、まるでやまびこグル
ープを錯覚する存在で、私は大峰と葛城の五つの鬼さんの相似も何かある✨と背筋が伸びるのですが、
サポートのこともアニキに知ってもらいたいのです。
それに、ハナイくん、Mahoちゃん、ほぼ同い年でフィリピンのバナハウ山にもみな結婚前に‥ハナイくん
の奥様アケミちゃんも(^^)‥一緒に、Mahoちゃんのコーディネートでお参りしたという、かけがえない
時間を共有したメンバーが、10数年ぶりに子連れでご一緒したのです!
なんとも言えない、感慨深い、絶対はずせない二日間でした。(カツラさん談)


カツラさんの娘れいさんが宿題の日記に葛城修験の体験談を記しました。
縦書きではなく、横書きです。
クリックすると拡大します。 46

クリックすると拡大します。 47

葛城修験の行の記録を記してみて、私が如何に葛城修験のことを知らなかったかを痛感しました。
大峯奥駈修行から離れて20年、足腰も体力も衰えていますが、来年には私もハナイ先達に導かれて
一度は葛城修験の道を歩みたいと思っています。

それと来月、喜寿を迎える私はハナイさん、カツラさん、Mahoさんたちの若い世代、そしてなお、ユウス
ケ君、れいさん、ソウスケ君らその次の世代まで修験道に関わり続けそうな後継者の存在を本当に心
強く思っており、どうかこれからも皆さんたちが仲良く、大峯でも葛城でも活躍してくださることを願って
やみません。