Capt.Senooを想う    2025.04.02

二人だけのとき、もしくは複数で集まって談笑しているときに電話がかかってき、しばらく相手の話を聞い
たCapt.Senooはおもむろに「まず、スタートボタンを押して」と言い、それから次から次へと指示を出してい
きます。
彼がキッドを組み立てて制作したパソコンを配布した友人、知人たちが、操作で行き詰まったときにアド
バイスを求めてくるお馴染みの光景で私はどれだけそれを見てきたことでしょう。
Capt.Senooと20年以上の付き合いがある人の大多数が自ら経験してきた光景だと思います。
かく言う私もその一人でした。

膨大なる回路の組み合わせで成るパソコンの諸トラブルを電話だけで指示して、そのほとんどを解決に
導くその能力は私から見たら神業のように思えたものでした。
25年前の時点で私が知る限り、彼が制作したパソコンは500台ほど。
年々進歩していくパソコンに応じて彼は配布したパソコンを新しい機種に換えさせるのではなく、部分的
パーツの交換でグレードアップを計ってくれるので我々はどれだけ金銭的恩恵を蒙ったことでしょうか。

そして彼はこれらのパソコン制作と配布に材料費と送料以外の対価を一切求めなかったのです。
己がよいと思ったことは友人たちにも知らせたい、同じようにその便宜、得るものの大きさを知って取得
して欲しいという彼の性分ゆえに半ば強引に勧誘する手前、謝礼は一切取らないことに徹したのでした。

30数年ほど前に私が書いた登山記録文を活字にしたく、ワープロ機を購入してそれで作成した手紙を
Capt.Senooに送ったところ、即座に電話してきてワープロ機を使うくらいだったらパソコンを買え、と猛烈
に勧めてき、半ば強引にノードパソコンを送ってきたのです。
おかげで私はパソコンを使うことによってデーターベースというソフトを使いこなすようになり、やがて私
自身の制作によるホームページも作成でき、1995年の独立時に大きく役に立つという恩恵を受けたの
ですが、これはすべてCapt.Senooのおかげと思っています。

彼のこの気前の良さと大らかさはパソコンだけではなく、いろんな分野で発揮され、彼が援助してやりた
いと思った仲間たちにはさり気なく援助の手を差し伸べ、彼を慕う女性たちには何らかの理由をこじつけ
て彼女らに大盤振る舞いのご馳走をするのです。

私に対してはこんなことがありました。
修猷館高校学年同窓会の東京における忘年会にCapt.Senoo、らんらん、手打ち庵、さすさら等諸氏と
上京したとき、その頃、経済的に裕福でなかった私はみんなが泊まるホテル・オークラを避けてビジネス
ホテルに泊まる予定だったのですが、リワキーノがいないと場が賑わわないからと差額を出して無理矢
理ホテル・オークラに泊まらせられたのです。
おかげで私は生まれて初めて一流ホテルの雰囲気を楽しむことができたのですが、相手に引け目を感
じさせないCapt.Senooの巧妙な勧誘ぶりゆえ、私も素直に従えたのです。

Capt.Senooは裕福なゆえに、時には気まぐれとしか言いようのない行動もするのです。
彼が天神を歩いているとき、二人連れの女性から道を尋ねられたので目的地まで案内するのですが、
聞けば地方の町から福岡市に遊びに来たとのこと。
「今日は時間が無いから今度ゆっくり案内してあげよう」と言って彼女らに次に福岡に来る日を約束させ
るのです。
彼女らが再びやってきたとき、Capt.Senooは二人を福岡空港に連れて行き、羽田行きの便に乗せて、
東京に着くとレンタカーを借りて1日、東京観光に連れてまわり、ホテルでランチを振る舞い、再び福岡
空港にもどってきて「じゃ、さいなら」と彼女らと別れるのです。

底抜けの気前よさ、サービス精神旺盛、己が良いと思ったら強引に勧誘してくる。
これがCapt.Senooの魅力的な個性であり、性分です。

ただ、彼にも欠点はありました。
瞬間湯沸かし器、と自分でも名乗るくらい、いったん怒りを覚えたら相手を徹底的に攻撃し、排除する
のです。
長い年月の友好関係も一瞬にして崩れるのですが、ただ彼は怒りが収まり冷静になってくると壊れた
関係の修復に努力し、再び以前のような友好的関係性を取り戻すのです。
彼と一緒に南紀をドライブしたとき、彼のこの怒りにまかせて人を排撃してしまうことを恥ずかしく思って
いると私に打ち明けたことがありました。
この話を彼の奥様に伝えたところ、「主人がそんなことを言いましたか!」と奥様は大変な驚きを示しました。

並外れて優れた長所を持った人間は短所も並外れなことになりやすいのかも知れず、Capt.Senooは
その相克の中で己の人生を精一杯生きてきたのかも知れません。
これを記している3月30日の夕方のNHKニュースで各地の桜の様子が報道される中、福岡の満開の
桜の光景が映し出されたとき、桜を愛し、毎年その画像を多く発信し続けたCapt.Senooが福岡の地に
もういないこと、この世にいないことが強く認識され、何とも言えぬ寂寥感に襲われました。
ただただ、Capt.Senoo夫妻のご冥福をお祈りします。

下記はCapt.Senooが残した紀行文です。

「大江戸珍道中記」
http://hmpiano.net/riwakino/2025/大江戸珍道中/newpage1.html

桜探訪記「吉野山と長谷寺、大阪城」
http://hmpiano.net/salon_friend/Capt_Senoh/year2007/spring2007/nara/newpage2.html