私は紫式部を日本が世界に誇る類い希なる天才女流作家として尊敬しています。 ウイキペディアによれば、全54帖では400字詰め原稿用紙約2,400枚、500名近くの登場人 物、70年あまりの出来事が描かれ、和歌795首が詠み込まれ、世界最古の長編小説であり、 しかも作者は女性なのです。 欧米の文学者たちが驚嘆するのも解ります。 そんな紫式部さんをとても尊敬するのですが、親近感という観点から見ると、私は断然清少 納言さんに親しみを感じ、タイムマシンがあれば清少納言さんとお酒を飲みながら歓談した いものだという想いと憧れがあります。 『源氏物語』と『枕草子』では量的にはとても対比できるようなものではありませんが、枕 草子で見受けられる清少納言さんのカラッとした性格とウイットさを帯びた感受性の素晴ら しさに魅了されるのです。 そんな清少納言さんですが、最近『乙女の日本史』(マンガチックな挿絵が多い)という本 を読んでいて、仰天するような下記の記事を見つけたのです。 「清少納言の実兄はケンカの報復を受け、自宅で殺されているのですが、その現場にいあわ せた清少納言も男同然のむさ苦しい格好をしていたため、殺されそうになりました。そこで 彼女は下半身を丸出しにして『アタシ、女よ』と主張。難を逃れたという噂もあります」 憧れの清少納言さんのこのとんでもない話に私はガーン!とショックを受けました。 すぐに事実を知りたく、ウイキで”清少納言の兄”で検索したらすぐに清原致信(むねの ぶ)という人物が出てき、清和源氏の源頼親と対立して、大勢で屋敷に押し寄せられて殺害 されたことが藤原道長の『御堂関白記』に載っていること、そしてウイキペディアではそこ に清少納言が同居していたので二人は同母兄妹であることが推察されたことなどが記されて いるのです。 ウイキには下半身丸出しの話は載っていないので、どこからこんな噂が出てきたのだろうと さらに調べていたら、下記の記事を見つけました。 鎌倉時代に書かれた説話集『古事談(こじだん)』には、清少納言に関する興味深いエピソ ードが載っている。源頼親の一党に襲われた致信邸には宮仕えを引退した少納言が同居して おり、女であると証明するため着物をまくって開(つび)(陰部)を見せ、難を逃れたとい うのだ。 そこで『古事談』ってどんな書物?と調べたら鎌倉時代初期にできたもので、天皇を始めと る貴人に関しても憚らずその秘事を暴き、正史とは別世界の醜聞暴露の王朝史を展開してお り、保元の乱の遠因となった崇徳上皇は鳥羽院の実の子では無く、祖父の白河院と待賢門院 の密通によって生まれた子という話もこの『古事談』の記述が唯一の出典とのこと。 清少納言さんの話もやはり根も葉もないものではなかったようです。 しかし、だからと言って最初はショックを受けましたが、私の清少納言さんへの憧れは消え ません。 逆に危機に面すると大勢の男の前でパッと裾をめくるなんていかにも清少納言さんらしいと さえ思いました。 当時、かなりの歳だったと思うのですが、老女の妖しいエロスさえ感じました。 ちなみに源頼親は大江山の鬼退治伝説で有名な源頼光の弟で、この清原致信襲撃のときには 頼光の四天王も加わっていたという説もあります。 渡辺綱や坂田金時(金太郎のモデル)らも清少納言のすさまじいあで姿を目撃したのでしょ うか。
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