清少納言が出くわした災難 リワキーノ 投稿日: 2025年02月07日 09:07 No.1493 【返信】


私は紫式部を日本が世界に誇る類い希なる天才女流作家として尊敬しています。
ウイキペディアによれば、全54帖では400字詰め原稿用紙約2,400枚、500名近くの登場人
物、70年あまりの出来事が描かれ、和歌795首が詠み込まれ、世界最古の長編小説であり、
しかも作者は女性なのです。
欧米の文学者たちが驚嘆するのも解ります。

そんな紫式部さんをとても尊敬するのですが、親近感という観点から見ると、私は断然清少
納言さんに親しみを感じ、タイムマシンがあれば清少納言さんとお酒を飲みながら歓談した
いものだという想いと憧れがあります。
『源氏物語』と『枕草子』では量的にはとても対比できるようなものではありませんが、枕
草子で見受けられる清少納言さんのカラッとした性格とウイットさを帯びた感受性の素晴ら
しさに魅了されるのです。

そんな清少納言さんですが、最近『乙女の日本史』(マンガチックな挿絵が多い)という本
を読んでいて、仰天するような下記の記事を見つけたのです。

「清少納言の実兄はケンカの報復を受け、自宅で殺されているのですが、その現場にいあわ
せた清少納言も男同然のむさ苦しい格好をしていたため、殺されそうになりました。そこで
彼女は下半身を丸出しにして『アタシ、女よ』と主張。難を逃れたという噂もあります」

憧れの清少納言さんのこのとんでもない話に私はガーン!とショックを受けました。
すぐに事実を知りたく、ウイキで”清少納言の兄”で検索したらすぐに清原致信(むねの
ぶ)という人物が出てき、清和源氏の源頼親と対立して、大勢で屋敷に押し寄せられて殺害
されたことが藤原道長の『御堂関白記』に載っていること、そしてウイキペディアではそこ
に清少納言が同居していたので二人は同母兄妹であることが推察されたことなどが記されて
いるのです。
ウイキには下半身丸出しの話は載っていないので、どこからこんな噂が出てきたのだろうと
さらに調べていたら、下記の記事を見つけました。

鎌倉時代に書かれた説話集『古事談(こじだん)』には、清少納言に関する興味深いエピソ
ードが載っている。源頼親の一党に襲われた致信邸には宮仕えを引退した少納言が同居して
おり、女であると証明するため着物をまくって開(つび)(陰部)を見せ、難を逃れたとい
うのだ。

そこで『古事談』ってどんな書物?と調べたら鎌倉時代初期にできたもので、天皇を始めと
る貴人に関しても憚らずその秘事を暴き、正史とは別世界の醜聞暴露の王朝史を展開してお
り、保元の乱の遠因となった崇徳上皇は鳥羽院の実の子では無く、祖父の白河院と待賢門院
の密通によって生まれた子という話もこの『古事談』の記述が唯一の出典とのこと。

清少納言さんの話もやはり根も葉もないものではなかったようです。
しかし、だからと言って最初はショックを受けましたが、私の清少納言さんへの憧れは消え
ません。
逆に危機に面すると大勢の男の前でパッと裾をめくるなんていかにも清少納言さんらしいと
さえ思いました。
当時、かなりの歳だったと思うのですが、老女の妖しいエロスさえ感じました。

ちなみに源頼親は大江山の鬼退治伝説で有名な源頼光の弟で、この清原致信襲撃のときには
頼光の四天王も加わっていたという説もあります。
渡辺綱や坂田金時(金太郎のモデル)らも清少納言のすさまじいあで姿を目撃したのでしょ
うか。


清少納言の行為 怪人百面相 投稿日: 2025年02月07日 11:43 No.1495 【返信】

リワさん

清少納言が悪党に性器を露出して女であることを主張した、というエピソードを紹介されていました。

私の感想は、明治以前の日本は下半身を晒すということに現代ほどハードルの高いことはなかったと思います。
江戸時代では、男女混浴は普通のことであったし、大都会の江戸でも、町中で男性も女性も普通に立ち小便を行っていました。

明治になり欧米の文化が入ってきて、日本のおおらかな文化がなくなっていったのでしょう。

性に対して、異常に恥ずかしいことだという文化や教育が強すぎると思いますね。

Re:清少納言の行為 リワキーノ 投稿日: 2025年02月07日 16:36 No.1496 【返信】

百面相さん

私の「清少納言の災難」にコメントをいただき、ありがとうございます。

トロイの遺跡を発掘したことで有名なハインリヒ・シュリーマンが幕末の清国と日本を訪れ
た旅行記があります。

『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)

大変面白く、特に読書家でもない私の家内が一気に読んだくらいなのですが、そこにシュ
リーマンが江戸の町を歩いていて風呂屋の前を通りかかったら、欧米人そのものが珍しいと
ころにもってきてシュリーマンが腰にぶら下げているストラップの奇妙さに驚いた風呂屋の
客がみんなに告げたのか、大勢が裸姿のままで往来に飛び出してきてシュリーマンを見つめ
たことにシュリーマンがひどく驚き、アダムとイブの時代に私は居るのかとそのおおらかさ
を賞賛する記述があります。

その本が見つからないので詳しい内容を話せないのですが、もしかしたらその中に女性も混
じっていたかも知れません。

そのように確かに江戸時代、ひいてはずっと昔から日本人は裸に対して大らかだったのかも
知れませんね。

しかしだからと言って平安時代の王朝文化盛んなころもそうだったとは断言できないのでは
無いでしょうか。

私としては「清少納言の災難」を紹介したのは裸を見せることに恥じらいを持った清少納言
が窮地に陥って恥部を見せたというその心意気を賞賛したい思いからですので、男も女も外
で立ち小便をしていたから清少納言も平気だったのではとなると、エロスもプライドも雲散
霧消となりはてます。