世間では大峯山というと、女人禁制で山頂に立派な寺があり、参詣にきた者の体をロープで縛って逆さ吊りにして懺悔を強いる山と思っている人が多いが、それは山上ケ岳という山で紀伊半島を南北に走る大峯山脈の一峰にすぎず、大峯山という名の山は存在しない。 
 大峯山脈は、北は奈良県吉野川の河畔から桜の吉野山を経て南へ走り、和歌山県熊野の本宮町に至り、本宮大社の旧社殿地と熊野川を挟んだ対岸までつづく山並みを言い、南北九十キロにわたってなんなんとする大山脈であり、紀伊山地の背骨とでも言うべき存在である。
 その間主稜上の山だけでも四十いくつもの名のあるピークがあり、最高点は山脈のまん中よりやや北によった地点にある八経ケ岳(1914・9m)で近畿地方における最高峰である。
 他にも大普賢岳、弥山(みせん)、釈迦ケ岳、笠捨山、玉置山、それに主稜から外れてはいるが稲村ケ岳等が有名であり、笠捨山を除けばすべて大峯山脈の中では比較的登山客の多い山である。
 これらすべての山々を一括して大峯山と言う。大雪山、阿蘇山、霧島山等と同じような類の呼称である。

 山脈の南端部を紀伊山地最大の川、熊野川が二つに分かれ、山脈の東側を北山川、西側を十津川となって流れており、これらから派生する数多くの支流が多量の雨水を集めてこの山脈に深い枝谷を作り、これが断崖絶壁が随所に見られる大峯特有の深山幽谷の美しさを作り出している。
 このため古くから山岳修験道が発達し、八世紀の頃の文献にすでに大峯の修験道のことが記載されており、続日本紀にその記事がのっている大和葛城の人、役小角(えんのおずぬ)がその開祖とされている。役小角は役ノ行者という名のほうがよく知られ、山伏たちの深い尊崇の対象となっているが、続日本紀の数行の記述しか実録はなく、その伝承も伝説的要素の濃いものばかりである。
 しかしこの役の行者に始まったといわれる大峯の修験道は千三百年にわたって綿々として続き、現在に至っているのである。
 もっとも現在の修験道は北部大峯、それも山上ケ岳の周囲にだけにかたよっていて、現代の山伏たちも最短距離の洞川(どろがわ)から山上ケ岳への往復登山をするだけで、奥駈と称される弥山より南への縦走を試みるものは少なく、吉野の東南院と京都の聖護院が吉野から前鬼あるいは玉置山までの奥駈をやるときと、また、大津の三井寺が本宮から前鬼までの奥駈をときおり実施するとき以外は大普賢岳以南では山伏の姿を見ることはほとんど無い。

 奥駈とは大雑把にいえば、大峯山脈を峰通しに歩いて南北九十キロにわたって散在する数多くの行場、霊場を巡拝する修行のことである。
 吉野や洞川から山上ケ岳に参るのは奥駈とは言わず山上ケ岳以南に足を踏み入れるのを奥駈という説もあれば、本来大峯修験道の発生の地である熊野からみた北部の釈迦ケ岳・大普賢岳・山上ケ岳を目指すのを指すとか、本宮から吉野までいっきに縦走するのが正しいとかいろいろ説があるようだが確定した定義というものはないらしい。
 現在では吉野あるいは洞川から前鬼もしくは玉置山までか、その逆コースを目指すパターンが多く、前者のように北から南を目指すのを逆峰(ぎゃくぶ)と言い、後者のように南から北を目指すのを巡峰(じゅんぶ)と言う。
 歴史的由緒から天台系の寺(三井寺)は巡峰をやり、真言系の寺(吉野の東南院)は逆峰をやるが、京都の聖護院は天台系だが逆峰をやっている。
 熊野の本宮から吉野まであるいはその逆の全部の奥駈をやる寺は現在のところ無いようである。
 東南院が一応定期的に吉野から熊野三山(本宮大社・那智大社・新宮速玉大社)まで行ってはいるが、前鬼から佐田辻にかけてはいったん峰を離れてバスで迂回し、浦向(うらむかい)から佐田辻に登って玉置山まで行くとそこからは峰通しに行くのはやめて、玉置山頂上から再びバスに乗りこんで本宮まで行ってしまうので完全なる全部の奥駈とは言い難い。

 千三百年続いた修験道の痕跡は有形無形の行場、霊場、宿跡として今も大峯全域にわたって残っており、これらを靡(なびき)といって奥駈の行をする山伏は一つ一つ巡拝していくのである。
 古くは百二十箇所もあったといわれているが、平安末期に編纂された「諸山縁起集」によれば当時既に七十八箇所しか確認できなかったらしく、室町時代から現在の七十五靡が定着したらしい。
 熊野本宮大社を第一靡、そして吉野の柳の宿が第七十五靡とされており、これが大峯の七十五靡としてつとに有名である。
 このうち、一の本宮大社、二の那智大社、三の速玉大社の熊野三山は大峯山域外にあり、別格である。

 この聖なる山々にかかわってきた歴史上の有名な人物も多く、弘法大師空海、御堂関白藤原道長、 白河上皇、源義経、西行、大塔宮護良親王、上田秋成、本居宣長など、それぞれが自身大峯山中で詠んだ歌が残ったり、この山中に逃げてきてその事実を物語りや歴史書に記されたりして大峯の山に彩りを添えてくれ、この山域を単なるスポーツ登山の対象としてだけではなく、もっと深みのある千三百年の人間の歴史の重みを持つ山としての味わいのある山行が楽しめる存在としている。
  これが私が深く大峯に惹かれる大きな理由である。