性を超えた舞台:16世紀のヨーロッパから現在の日本まで
                 
                 神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程・研究計画書
                                                                  by ABDELDJEBAR AURELIE(桜麗里)
                                               
16世紀のイギリスの劇。17世紀のヨーロッパのバロック・オペラ。当時の日本で誕生した歌舞伎。
そして、20世紀の前半に設立された宝塚歌劇団。その四つの舞台芸術で共通している点は、異性に
よって演じられる役の魅力。
   
16世紀のイギリスで、世間体のため、女性が舞台上で演じることは禁じられていた。そのため、シ
ェイクスピアのような劇作家の劇では、女性の役は、若い男性、あるいは男の子によって演じられて
いた。
一方、当時の日本では、同じような現象が起きていた。歌舞伎と呼ばれる舞台芸術が出雲阿国という
女性によって創立され、当初女性が演じていた。しかし、1629年に徳川政権が、歌舞伎とよく癒
着していた売春を防ぐために、女歌舞伎を禁じた。代わりに、「女形」(おやま又はおんながた)と
いう役の種類が現れた。女形とは、男性に演じられる女性役で、
現在でも、歌舞伎の一つの魅力として残っている。
17〜18世紀のバロック・オペラも女性の役はカストラーティと呼ばれる男性によって演じられて
いた。カストラーティとは声を高いままに残しておくために子供の頃に去勢を受けた男性のことであ
る。歌舞伎の女形と違って、カストラーティは教育を通じて女性化していただけでなく、男性の発達
の基にある睾丸の手術を受けて、肉体的にも女性化していた。
そして、20世紀の初めに設立された宝塚歌劇団。その魅力は「男役」(おとこやく)と呼ばれる
男性役を演じる女性である。歌舞伎に対する反動として作られたという説もあるが、本来的には、宝
塚の温泉にやってきた客を楽しませるために、育ちのいい若い女性によって舞台が作り上げられたと
いうのが公式な説である。若い女性による上演ということで、全ての役が女性によって演じられてい
たが、男役が早くから宝塚歌劇団の魅力になった。

 私は小さい頃から、アンドロジニー(※両性具有)という概念にずっと興味を持ってきた。日本に来て、
その興味がますます湧いてきた。日本では、特にマンガやアイドルのような若者文化において、アンド
ロジニーが強く現れる現象である。そして、歌舞伎と宝塚歌劇団という二つの日本の舞台芸術はアン
ドロジニーの典型である。私は2008年の夏に東京の歌舞伎座と宝塚大劇場に足を運び、女形と男
役に魅惑された。それ以来、何度か歌舞伎と宝塚の公演を見にいったり、そのテーマにについて文献
を何冊が読んだりしたが、芸術的な面とジェンダーの面を両方取り扱いながら、もっと研究的な方法で
そのテーマを研究したいと思う。そして、今年「日本におけるフランス映画の状況」というテーマを研究
して、芸術においてどれだけ観客の期待が大事かということを意識してきた。その期待は、歌舞伎と、
特に宝塚歌劇団の運営者に特に重視され、文化政策の一つのあり方になっていると思う。

シェイクスピアの劇、歌舞伎、バロック・オペラと宝塚歌劇団の四つの舞台芸術は(中国や朝鮮半
島にも同じような男性だけを使った舞台があったが、日本とヨーロッパの事例に集点をしぼりたいと
思う)男性が演じる女性、又は女性が演じる男性というような「中性」と呼べる曖昧な存在を作り出
した。その「中性」とは、確実な魅力を持っている。カストラーティのファリネッリを聞いて、気を
失った女性が多いという話は有名である。歌舞伎の女形も、シェイクスピアの劇の女役
を演じている男性役者も宝塚の男役も大勢の女性のファンを持っている。
 「中性の魅力は何であろうか。シェイクスピアと歌舞伎の場合は、その男性によって演じられてい
た女性が、女性より女性らしく、ある意味で「理想的な女」を具現していたから、それほどの人気が
あったという説がある。しかし、それでは単純すぎるのではないか。そう考えると、男性の観客が主
にその「中性」に憧れるということを推測できるが、実際にはそうではない。なぜなら、バロック・
オペラのカストラーティのファンの観客層は主に女性であったし、宝塚歌劇団の現象を研究してきた
ジェンダーの専門家ののジェニファー・ロバートソンは、男役の魅力は「理想的な男」の具現化だけ
ではないと考えているからだ。では、「中性」の魅力の基にあるのは何であろうか。そして、男性の
観客と女性の観客の「中性」の見方や感じ方は同じであろうか。
 
「この世界は全てこれ一つの舞台」とシェイクスピアが『お気に召すまま』に書いた。では、「中性」
の現れる舞台は我々の社会の何を反映しているのか。
「中性」の役者にとっては、舞台と現実の境界が明確ではない。ある程度彼らの日常生活ではその役
を演じ続けることが多い。
歌舞伎の女形は日常生活でも、女として生活を送っていた。そして、宝塚の男役の役者はファンに違
和感を感じさせないように、スカートをはかないという決まりがある。その役者とそのファンにとっ
て、何処からが現実なのか、また何処までが舞台なのであろうか。そこで、役そのものと役者の関係
について考えていきたい。
 
 そして、何故、男女平等が認められている現代において、能楽などの世界では、女性がだんだん入
り込んでいくのに対して、歌舞伎の世界では、彼女たちは未だに禁じられているのか。
 何故、ヨーロッパ社会では、習慣として男性が女性を演じることがなくなったのに、現在の日本文
化では、女形は歌舞伎の大きな魅力として残っているのか。
何故、日本は「男役」と呼ばれる男性を演じる女性のような存在を生み出したのに、西洋の舞台芸術
においては、それに当てはまる役の種類がないのか。
 これらの様々な課題について、ヨーロッパと日本の舞台芸術を比較しながら、2年間かけて研究し
ていきたい。その方法として、先ず、資料文献調査や舞台鑑賞や講演などを通じて、基本的な知識を増
やしたい。そして、年に少なくともヨーロッパに帰る機会があるので、英語とフランス語の文献を読
んだり、イギリスの劇とバロック・オペラの専門家と連絡を取り、彼らのインタビューをしたりした
い。最後に、可能であれば、歌舞伎と宝塚歌劇団の役者とそのファンのインタビューを通じて、
「中性」の魅力を生かす人の視点を理解したい。

参考文献:

Barbier, Patrick. 1994. Farinelli, Le Castrat des Lumieres.Grasset.
Barbier, Patrick. 2003.Histoire des Castrats. Grasset et Fasquelle.
Robertson, Jennifer. 1998. Takarazuka, Sexual Politics and Popular Culture in Modern Japan. University of Caifornia
Press.
高野敏夫、遊女歌舞伎、『河出書房新社』、2005年
Eyre, Richard, Stage Beauty, Qwerty Films, 2004.