イベリア半島、北はイギリスやアイルランドといった島々にまで広がり、ギリシャ、
ローマなど地中海文化圏を脅かす存在として恐れられていました。ヨーロッパの
黎明期に大勢力を誇ったケルト人も紀元前1世紀半ばのカエサルのガリア征服
以来、古代ローマ帝国の支配のもとにしだいに勢力を失い、吸収されてヨーロッパの
歴史の表舞台から姿を消していきました。
17「瀕死のガリヤ人」(BC3世紀)ローマ人が表現したケルト人、この像は
ヘレニズム時代の傑作と言われ、ナポレオンが魅了されたと伝えられています。
18「妻と自害するガリヤ人」(BC3世紀末)ケルト人は自らの姿を造形することは
ありませんでした。
しかし古代ローマ帝国の支配がおよばなかったブリテン島、アイルランド、
フランスのブルターニュ地方にケルト系の文化は残り、アイルランドではやがて
到来したキリスト教とも融合して独自の文化が華開いていきました。
19モハーの断崖(アイルランド)
3世紀ごろから波状的にキリスト教信仰がもたらされ、古代には
部族同士争乱にあけくれた人々の心にも、その信仰が深く根付きはじめていた
アイルランドに、5世紀にはいると聖パトリックをはじめ、ブリタニヤの
宣教師が教会を建設し、修道院が開かれたアイルランドはケルトキリスト教の
中心地となりました。
ケルト・キリスト教修道院のネットワークは内外に広がり、土着の文化や古代の
伝承はつぶされること無くキリスト教の中で生き続け、修道院の学芸は比類のない
キリスト教美術を花開かせ、ケルトルネサンスと言われる時代をイングランドや
ガリヤに先駆けて出現させました。
20「黄金の船の模型」(アイルランド、デリー州、BC1世紀)
ケルトの英雄たちを海底(異界)に連れて行く船
アイルランドに花開いたケルト文化の美術特徴は、@ 石彫美術
A 金工美術 B 装飾写本美術があげられます。
@石彫美術
アイルランドをはじめブリテン諸島には、ストーンサークルや
ドルメンなど先史時代より巨石モニュメントが点在していました。
ケルトの人々はそれらの圧倒的な存在感と神聖さを自らの文化の
中に引継ぎ、守り育てていったのではないかと言われています。
21「ケルト十字架」ケルト修道院文化のシンボルである円環と十字架を
組み合わせた十字架。砂岩や花崗岩などに聖書の図像やケルト文様、
神話的図像が刻まれている。
A 金工美術
ケルトの装飾美術の様式は、古代ケルトの金工美術の技法に支えられてきました。
金工の傑作である「タラブローチ」と「アーダーの聖杯」などによって、金工美術の
黄金時代を出現させました。
22「タラのブローチ」(アイルランド 8世紀)
金の透かし細工の入った銀メッキ製で琥珀や多色ガラスの宝石が
ちりばめられている。このブローチはアイルランドだけでなく、
後のイギリス工芸にも大きな影響を与えました。
23「タラのブローチ」の部分。渦巻模様、組紐模様、動物模様が見られる。
この時代のブローチはマントを肩で留めるものでした。
24「アーダーの聖杯」(アイルランド 8世紀)銀カップに金線、エナメルの装飾。アーサー王
伝説の聖杯を彷彿させる。
25「バタシーの盾」(ロンドン、テームズ川出土 BC1世紀)
B 装飾写本美術
聖書に装飾を加えた写本が中世の修道院で専門の写本修道士によって
つくられ、「ダロウの書」「ケルズの書」「リンデスファーンの福音書」は
ケルト系の三大写本といわれています。
26「ダロウの書」(6世紀)世界最古の写本。紀元前500年ごろのラテーヌ美術の
文様が1000年の時を越えてキリスト教美術に蘇りました。
27「リンデスファーン福音書」(7世紀)「ダロウの書」の文様に
繊細さが加わる。
28「ケルズの書」(9世紀)典礼用福音書写本の傑作。アイルランド美術の精髄と
言われ、アイルランドの国宝であるとともに世界の至宝と言われています。
「ダロウの書」「リンデスファーン福音書」「ケルズの書」に現れた
渦巻き文様は「反転し捻れながら無限に連続・増殖するかたちが一貫して
守られています。抽象的な文様であるにもかかわらず、得たいのしれない
蠢きがある」といわれています。
29「ダロウの書」の組紐文様。結び目を強調している
6世紀から9世紀にかけてのアイルランドは、戦乱にあけくれる当時の
ヨーロッパ大陸のなかで唯一平和が保たれ、何世紀もの間修道院は文化の
精神的な場、または聖域として存在し、学問が奨励されて「聖者と学者の島」と
言われていました。キリスト教会の華麗な宝飾聖具の数々が生み出された
8世紀から9世紀は、複合文化としてのアイルランド文化が頂点を極めた時代と
いえます。
30「ケルズの書」の悪魔的な動物が聖書の文字の体と化していっている。
アイルランド文化の黄金時代は9世紀のヴァイキングの襲来によって陰りが出始め、
続いて12世紀から為政者として入り込んできたアングロ・ノルマン人の貴族たち
よってアイルランド文化の独自性が圧迫されていきました。やがてアイルランド固有の
言語ゲール語(ケルト語系)を禁じて英語教育を強制するなど、英国への同和
政策が進み、ケルト文化は衰退していきました。
ケルトはギリシャやローマのような大理石文化とは違い、自然の樹木、川や泉を
尊重して石造りの壮麗な神殿こそ残しませんでしたが、鉄や金属の技術を発達
させ、全ヨーロッパの文明史に飛躍をもたらしました。ローマ人から見ても
ケルト人は自由闊達、新しもの好きで、色彩感覚に優れ、金銀の細工もので
身を飾ることが好きな人々であったようです。現代に生きる私たちがケルトに
惹かれるのは自然とともに生きたその自由さにあるように思います。
31アレシアの古戦場に建つ「ウェルキンゲトリスクの像」フランス最初の英雄として
ナポレオン3世によって建てられました。
1990年代に入り、目覚しい発掘や科学的検証の成果からケルトの見直しが
イギリスで特に進み、ブリテン諸島の「島のケルト」の存在をめぐる賛否両論の
論議がされはじめています。ケルト人がかって広範囲にヨーロッパに居住
していたこともあって、現在ヨーロッパ統合の象徴として政治的に利用されるように
なっているためか、イギリスの学会のケルト概念の批判は大陸部では認められず、
特にフランスの学者はそれを激しく批判しているようです。日本でもケルトの
概念や定説が変化していこうとしています。
【参考資料】
世界の興亡史 ケルトの水脈 原聖 講談社
図説ケルト サイモン・ジェームス 東京書籍
ケルトの歴史 文化・美術・神話を読む 鶴岡真弓 河出書房新社
松村一雄
ケルト人 鶴岡真弓 創元社
ケルト人 ゲルハルト・ヘルム 河出書房新社
ヨーロッパの文化・文芸とケルト 本田錦一郎 松柏社
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