思い出の吉井町を訪ねて   by k.mitiko

3月30、31日妹夫婦と一泊二日のドライブ旅行に、うきは市の
吉井町を訪れました。今回のドライブ旅行にはある目的がありました。

宿泊先の原鶴温泉の近くを流れる九州一の大河筑後川。この大河の恵みを
受けて流域周辺の地域は、農産物の一大産地になっているようです。
 
 
筑後川河畔の公園は、満開の桜が青空に映えていました。
  
 
吉井町は城下町久留米と、天領日田を結ぶ豊後街道の中心に位置する
ことから宿場町として栄えました。白壁土蔵の並ぶ町並み。
  
 
筑後川から引き込まれた水路によって、水力を生かした農作物の加工が
盛んになり、米を精米して酒造業、小麦を製粉して製麺業のほか、精鑞、
菜種油などが作られて得た莫大な富の象徴が、白壁土蔵として今に残され
ています。
  
 
義弟は太平洋戦争末期、旧制の中学生でしたが、小倉陸軍造兵廠、春日原
製作所に学徒勤労動員として働いていました。
  
 
空襲を避けるために工場が日田の光岡(てるおか)に移転したため、勤労学生も
移動になり、宿泊先が吉井町になりました。女子学生は宿泊先が田主丸だった
そうです。工場ではゼロ戦搭載の20mm機関砲の部品を作っていたそうです。
 
 
春日原製作所には自宅から通っていましたが、工場が移転してから
寝泊り(食事はすべて外)していたのが下記の写真の家でした。
現在も当時のままの姿で、トップ写真のように地元発行のパンフレットの
表紙になっています。
  
 
当時給料は、男子学生は一月50円、女子学生は40円で食費や授業料
が、そこから引かれていたそうです。終戦の年の秋、やっと自宅に戻ること
ができました。60年以上たっても変らぬ姿の白壁土蔵の町並み、
その背景に秘められた歴史に深い感銘を受けました。
  
 
吉井町を散策しているうちに満開の桜と朱塗りの門が美しい神社
に思はず記念撮影。素盞鳴(すさのう)神社でした。
  
 
門の朱塗りは少し剥げていましたがそれなりの風情を感じました。
  
 
人気の無い境内に満開の桜と朱塗りの門。
  
 
ホテルの窓から見た筑後川のかなたに沈む夕日。
  
 
早朝の筑後川。鵜飼の船がずらりと並んでいます。
  
 
吉井の帰路、甘木の秋月にいきました。
  
 
秋月のメインストーリート。杉の馬場、桜の名所です。
暖かいお日和に観光客で大賑わいです。ぶらぶらしながら
道の両側のお店を冷やかしながら散策しました。
  
 
桜の花びらで埋まる濠。
  
 
猿回しの芸に見とれたのどかな春の一日でした。義弟は来年80歳に
なりますが、ドライブの腕は確かで、いつまでもお元気でと思いました。
  
 
義弟と同世代の亡夫は同じ中学から学徒出陣で海軍航空隊に
入り、終戦がもう少し遅れたら特攻隊として出撃していました。
平和の有難さを感じたドライブ旅行でした。