よみがえるトラキア黄金文明
                    川島道子
 
先日、我が家から歩いて15分の距離にある福岡市博物館に
トラキアの「よみがえる黄金文明展」に行ってきました。
この文明展の終了間際に知りましたので、最終日に時間を
つくってでかけました。
 
01トラキア
トラキアという名前も所在した地域もさだかでなく、歴史に
いたってはほとんど知りませんでしたので、前日ネットで
調べておよその知識は頭に入れてでかけました。
 
トラキア人は現在のブルガリアを中心とした地域に、紀元前
3000年ごろより活躍していた人々で、前5世紀から前3
世紀にかけて最盛期を迎え、ギリシヤ、ペルシャなどの様々な
文明の影響を受けながら、独自の文化を築きあげました。
 

03ヴァルナ遺跡出土品
1972年、ブルガリアの東部ヴァルナ集団墓地遺跡で発見された
2000点もの出土品には、重量6kにもなる黄金製品が含まれて
おり、これらの出土品は、紀元前5000年紀(銅石器時代)まで
さかのぼるものでした。
 
 
04 笏 紀元前5000年紀後半 金
世俗的、軍事的あるいは宗教的権威の象徴として、さまざまな
儀礼に用いられたのではとみられています。
 
 
 
05 腕輪 紀元前5000年紀後半 金
社会的に高い身分の人物が身に着けたのではと言われています。
 
 
06
雄牛型アップリケ 紀元前5000年紀後半 金
単なる飾りとしてでなく社会的象徴としてつけられたようです。
 
ヴァルナ集団墓地遺跡は先史時代のヨーロッパにおける最も重要な
遺跡であり、世界に類がなくエジプトやメソポタミア文明の黄金製品
よりも年代が古く、文明発祥の地、エジプト王朝が確立したのが、紀元
前3000年ですので、それよりはるか以前にブルガリアに世界最古の黄金文明が
存在していたことになります。
 
この文明をつくり出したのは、黒海やエーゲ海を中心に広く交易を行った集団が
当時としては例のないおびただしい黄金を保有する財力を持っていたのではと
言われています。
 
 
07 ネックレス 紀元前3000年紀末(初期青銅紀末)金
当時ヨーロッパ南東部にあるバルカン半島には主に三つの
民族集団があり、半島南部のギリシャ人、半島北西部の
アドリア海よりのイリュリア人、半島北東部の黒海よりに
トラキア人が居住していました。この三つの集団は民族としての
まとまりと相互交流によって、それぞれの文化を育くみながら
発展していきました。
 
 
08 トラキア人は文字を持たなかったために、文献が少なく長い間謎に
包まれてきました。トラキア人の歴史を知るには、ホメロスが記した
文献資料、出土品などをはじめ、考古学資料などをもとにその実像を
復元しなければなりませんでした。
 
トラキア人に関する最初の資料はホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」
で、以後本格的に記録に現れるのは紀元前5世紀からです。ヘロドトスの
「歴史」には、トラキア人の風習(火葬、一夫多妻、妻の殉死、人見御供)
について書かれています。ギリシャ神話のオルフェウスやディオニッソスは
トラキアに由来しており、ディオニッソス信仰が盛んでした。
  
 
 
09 アンフォラ(壷)銀 前5世紀初頭
ワインや油、穀類の貯蔵、運搬用の壷で、銀で製作されて金箔で
かざられたものは、宗教儀礼として使われたものではないかと
言われています。
 
漸進的に発展していたトラキアの部族社会は前5世紀に、その大部分が
オドリュサイ族の支配下に入り、ここに強力なオドリュサイ王国が形成
されました。この王国についてはギリシャの歴史家トゥキディデスや
ヘロドトスが記述しています。
 
 
 
10 スキュフォス杯(椀型酒盃)銀 前5世紀末
胴部に描かれている女性は、トラキアの地母神の一人で
野生と豊穣の女神と言われています。
 
 
 
11 兜  前4世紀半  青銅 銀
この青銅製の兜の前面には眉と鼻筋が鍍銀(銀めっき)され、
兜の頂部には羽飾りが装着されていたと推測されます。この兜は
トラキア型またはフリギア型として知られる異なる種類の兜の特徴を
兼ね備えた代表例といえるようです。

 
 
12 すねあて 前4世紀後半 青銅
両脚用のすねあてで、すね全体を覆い隠すように1枚の金属
薄板を曲げて作られています。膝の部位にはアテナ女神像が
浮き彫りにされています。
 
 
13 膝の位置に人間の頭部像を装飾したすねあては、前4世紀の
トラキア人貴族の武具に流行していました。
 
当時のトラキアにあっては、騎馬戦士は貴族を導くものであり、
国と彼らを守護するものとして神の象徴的表現でした。
 
 
14 ネックレス 前5世紀前半 金
芸術的価値の高いこのネックレスは、職人の高い技術水準を
示すものといえます。
 
トラキア人は死を恐れずヘロドトスは、「トラキア人は、
子どもが生まれた時はその人生に起こるだろう数々の苦労を
嘆き悲しむが、誰かが死んだときは憂き世の苦労を免れて至福の
境地に入ったと言い喜喜として埋葬を行う」と述べています。
そのために、墳墓には故人の愛用品の他に、来世で必要な食べ物、
装飾品、武器・武具、さまざまな調度品を一緒に納めました
 
 
 
 
15 イヤリング 前5世紀 金
この一対のイヤリングはギリシヤ文字のオメガ型に曲げ
られてつくられています。
 
 
 
16 イヤリング 前4世紀後半 金
副葬品は故人を推し量る貴重な資料です。ここで紹介している
ネックレスやイヤリングなどは、前5世紀から前3世紀にかけて、
トラキアに絶大な勢力を誇ったオドリュサイ王家の墓と言われる
墳丘墓からの出土品と言われています。
 
 
 
17 イヤリング 前5世紀 金
イヤリングの半月型の中空の金板の上に金線細工と粒線細工が
施されています。
 
 
 
18 イヤリング 前5世紀前半 金
10個のイヤリングは、女性の埋葬遺体の頭部上に
半円形に並んで発見されました。髪飾りまたは頭に
かぶるヴェールに取り付けられていたものではないかと
みられています。
 
 
 
19 ネックレス 前5世紀 金
王墓で特筆すべきは、女性の埋葬が男性の埋葬に匹敵する
ほど豪華であることがみられます。一夫多妻制だったトラキア
では夫が亡くなると、一緒に墓に入る妻選びが行われるという
妻の殉死が制度化されていたようです。
 
 
 
20 指輪 前5世紀後半 金 水晶
通常は人物像の面は内側にしていますが印章として
使用する場合は表面に出すという可動型の指輪。

 
 
21 カンタロス杯 前5世紀 銀、鍍金
カンタロス杯とは、長くのびた把手と高い脚部をもつ深い杯。
 
 
 
22 カンタロス杯の把手のつけねに彫られたサテュロスの像。
 
 
 
23 スフインクス型リュトン 前4世紀前半 銀、鍍金
女性頭部の両耳には孔があけられており、別作りされた
イヤリングがとりつけられていたが今は失われています。
 
 
24 水差し 前4世紀 銀、鍍金

 
 
25 フィアラ杯  前4世紀  銀、鍍金
このフィアラ杯の内面中央には別作りのファレラ(飾り円盤)が
溶接され、英雄ヘラクレスが描かれています。

(その2に続く)