・調律はなぜ必要なのでしょうか?

ピアノの音は低音部では1本か2本、中音部から高音部にかけては3本の弦で一つのキーの音が発音される構造となって
おります。
3本の弦がすべて同じ音高に調律されているとき、打鍵した音は澄んで引き締まった音となって耳に響きます。
これが3本の弦が狂って1本、1本の音高が異なるとき、打鍵した音はうなりを生じ、それがひどくなると濁りとなって耳に響
ます。

さて、ピアノを学ぶ上での大切な練習としてオクターブで音階を低い方から高い方へと繰り返し弾く奏法があります。
”ハノン”や”ピアノのテクニックABC”という教則本が有名ですが、ピアノを学ぶ人でこの音階練習をやらない人は皆無といっ
ていいくらいの強制される重要な練習法
です。

この練習で大切なのは、指が早く動くことだけではなく、左右の指の打鍵がきれいに揃っている奏法を身につけることなのです。
オクターブで二つの音を同時に打鍵しているのに音としては一つの鍵盤で弾かれているような、そのような寸分のズレもない
ような正確に揃ったタッチを身につけてこそ、歯切れの良く、濁りの無い旋律、和音を奏でることが可能なのです。
この左右が揃っている打鍵というテクニックは、耳がほんのわずかなズレでも聞き分けるからこそ身につけることができるの
です。

瞬時のズレもなく同時に打鍵されて奏でられる音階の音は濁りがなく引き締まったものとなります。
これが、もし各鍵盤の弦が1本、1本音高的にズレていたり、オクターブがずれていたりしたらどうなるでしょう。
同時に打鍵しても濁りの無い、引き締まった音になる訳がありません。右、左のそれぞれの音が既に濁っているのですから。
このような調律の狂ったピアノで音階練習をしていたのでは打鍵のズレなどを聞き分ける耳は育ちにくく、左右の指の打鍵が
きれいに揃う技術を身につけるのも困難
になる、ということが考えられのです。

これは和音の打鍵の場合も言えることで、2つから4つまでのキーを同時に打鍵するとき、そのタイミングがズレいていたら
和音の響きはしまりのない濁ったものとなり、逆に打鍵のタイミングは合っていても調律が狂っていれば和音の響きが濁る
ために正しいタイミングなのかどうかを判断にしにくくしてしまうのです。
調律の狂ったピアノで弾く和音は汚らしく、デリケートな楽想をイメージするのにも大いなる妨げとなります。

また、絶対音感が身に付く3〜5才までのお子様に、ひどく狂ったピアノでの演奏を聴かせたり、弾かせたりするのは
取り返しのつかない結果を招く可能性もあります。


絶対音感というのは闇雲にある音を聞いて、それをドとかラとかファとか言い当てる音感のことを言うのですが、もし、長い年
月調律がなされてなくて半音の半分ほど低下したピアノ
が家にあってそれに馴染んだお子さんが絶対音感を身につけたとし
たら
どうなるでしょう。
多分、生涯、そのお子さんはどんな音楽を聴こうと、それがテレビやCDや、音楽会を通して聴く場合、常に調子はずれの音楽
を聴いているという不快感に苦しめられる
はずです。
何しろ、半音の半分ずれているということは、たとえば”ド”の音を例にあげれば、”ド”と”ド#”の音の間の音、という通常の音
楽の世界には存在しない音をそのお子さんは”ド”の音と認識しているのですから。
10年くらい調律を放っておくと、半音の半分どころかきっちり半音低下してしまうことは調律師だったら誰もが経験していること
です。

半音分きっちりと低下しているピアノでしたら、それで間違った音感が身に付いても半音違う音として聴くだけで、この世の、
少なくとも西洋音楽(クラシック、ジャズ、ロックとポップスの大部分)の世界に無い音を聞くのではないのですからはるかにマシ
とは言えます。
要するにハ長調の曲をロ調長、もしくはニ短調の曲を嬰ハ短調の曲として聴くだけですから。
しかし、半音の半分の音程で絶対音感を身につけたお子さんにはそうした代わるべき調性が無いのです。

ただ、実際問題としてはピアノを習う場合、ピアノの先生の所まで出向くのが普通ですから、すぐさま自身の持つ音感が先生の
家のピアノではひどい違和感があることに気が付き、あるいは先生が気が付き、何らかの矯正がなされるとは思いますが、そ
れが完全な矯正になるかどうかは疑問視されるところがあります。

このように、調律の狂ったピアノでピアノのお稽古を続けるのは一つも良いことは無いように思います。