(14のリワキーノの発言の続き)
以下の記述はあくまで私の推察です。
このような切迫した事情がなかった国々、例えばイギリス、アメリカでも、自国に有利なように持っていくため、大なり小なり、教科書への介入はあったのではないでしょうか。
各国の現行の教科書を調べたわけではありませんが、イギリスがやったインドの植民地化、清国国民を廃人に追い込むような阿片のばらまき、スペインが中南米でやった悪辣な侵略と原住民の虐殺、ソ連がヒトラーと共謀して行ったポーランドの分割併合、中国のチベット併合などをそれぞれの国の教科書が詳しく客観的に記述していないのではないかと推察するのです。
そして敗戦後の日本ですが、戦前の軍国主義はアメリカの占領政策で完膚無きまでに一掃されますが、違った意味で国家にとって都合の良い教育政策が採られたのではないかと思われます。
我が国日本は、周知のように工業製品輸出の貿易立国であります。しかもその工業製品の原材料となる鉱石、石油の9割以上を外国からの輸入に依存しているといった極端に資源の乏しい国家でもあります。これで国際競争に打ち勝っていこうとすれば当然、高度に優れた品質の製品を作り出さなければならず、そのためには国民の頭脳的資質を高めていかなければならないことは誰しもが考えることでしょう。
明治維新のときからこの発想は当然あり、福沢諭吉の『学問のすすめ』がもてはやされたのも国民一人一人がかなり優秀でなければならない、という指導階級のバックアップがあったものと思われます。
工業立国日本として生き抜いていくために、国民の子弟に課する教育は当然、そのような高い工業、産業技術に結びつくようなものになっていくことは自然の流れだと思うのです。それがすべて良いと私が思っているのではないですよ、念のために。
学校教育はそこで、それらに大きく貢献する数学、物理、化学、英語、国語といった類のものに多くの時間を割くわけです。反面、情操面を養う音楽や美術の芸術的科目やモラルを学ぶべき道徳教育が疎かにされ、社会では地理や国際間のつながりには重点が置かれても歴史の教育は疎かにされている、といったことを私は感じ続けてきております。
歴史は日本史や世界史でずいぶん時間を割かれているではないか、と反論があるかも知れませんが、中学校や高校で教える歴史は、歴史の流れを大雑把に教え、主に年表と歴史上の用語の暗記に終始しており、歴史における人間のドラマとか国家同士の興亡の血の通った記述というものがまったく見出せず、実に味気ないもので、歴史嫌いを量産したと思っております。
「白紙(894年)に戻す遣唐使」とか、「鎌倉いい国(1192年)」などの語呂合わせで歴史的断片だけを覚えてそれでテストに良い点をとれるというような教育で何が歴史を学ぶ面白さが得られるでしょうか。中学、高校の歴史教育でこういった歴史の面白さを教えるといった下ごしらえが無くて歴史学というのを学ばせようとすること自体に無理があり、やはり、人間や国家の興亡盛衰のドラマを教えて歴史に対する興味を掻き立て、その後に歴史学というものを持ってくるべきだと思います。
この論議の主旨とはちょっと外れますが、世界史上の著名な人を紹介することにかけても如何に日本の教育方針が西洋及び東洋では中国に偏っているかを痛感いたします。
ちょっとでも世界史に関心のある人だったら帝王や政治家だけに限ってもアレクサンダー大王、始皇帝、劉邦、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)、コンスタンティヌス大帝、シャルルマニュー大帝、チンギス・ハーン、マリア・テレジア女帝、フリードリッヒ大王、ナポレオン、ネルソン、ワシントン、リンカーン、ビスマルクと、まだまだ枚挙にいとまがないくらいかなりの人物の名を列挙されることと思いますが、これが一番身近な隣国である、韓国・北朝鮮となるとどうでしょう。朝鮮半島の歴史上人物で知っている名前を5人挙げよと言われても、恐らくほとんどの人が好太王とかせいぜいが李舜臣までしかあげられないのではないでしょうか。金春秋(三国時代の朝鮮を統一した新羅王)、金臾信(金春秋を補佐した名将であり政治家。「臾」の字は本来の漢字が第二水準漢字表になく、正しい漢字は「臾」に「まだれ・广」がつく)、乙支文徳、淵蓋蘇文(いずれも三国時代の高句麗の政治家・将軍)等の韓国の偉人のことを日本人のほとんどの人が知らないと思います。
因みに歴史上の有名人をも記載している広辞苑と大辞林を調べると、好太王以外の他5人の名はどちらの辞典にも載っておりませんでした。
他の人物はともかくとして、李舜臣は豊臣秀吉が朝鮮出兵したときに日本海軍を完膚無きまでに打ち破った朝鮮の名提督で、その海戦で戦死するところも似ているため、東洋のネルソンとも言われる韓国の国民的英雄なのですよ。日露戦争のとき、日本海海戦前夜、日本海軍のある水雷艇長は戦勝を李舜臣の霊に祈ったそうで、日本海軍軍人までが大国ロシアとの戦争に同じ東洋人としてのよしみを頼った東アジアの誇るべき英雄だと私は思うのです。
秀吉の朝鮮侵略や明治政府の日韓併合など、多くの不幸な歴史的背景を持つ日韓関係は非常に微妙な負の要素を孕んでおり、それらをこれからの日本人は改善していかなければならないのに、この日本を代表する二つの辞典の朝鮮の英雄に対する無関心はあんまりだと思いませんでしょうか。余談になりましたが。
私が国家による教育への意図をもった介入があるというのは、工業立国日本にとって有益な人材を得たいという国家の方針がこのように教育の現場に反映していると思うからです。
私が中学生のときでしたでしょうか、高度経済成長まっただ中で、4年制(5年制でしたかしら?)の国立高等工業専門学校という制度ができました。これは当時の経済界の要望に応えて、絶対量に不足を来していた中堅工業技術者の育成が主目的であったと思います。まだ発足して卒業生も出していないのに、ここを卒業すれば就職率100パーセントと騒がれ、私の父もここを受けてみてはとアドバイスしてくれたことがあります。工業技術者になることにはまったく意志を持たなかった私は普通科高校に行きましたが。
「国家にとって有益」あるいは「日本人として適切」というのは、極論すればこのような日本人を指します。人間的モラルの向上、人格として優れた大人に教育することも勿論、国家は考えているでしょうが、優先順位は工業立国日本の即戦力となる技術面を重視していると思います。私が使った「国家にとって有益であり適切な日本人」というのは何も私自身がその像を肯定している意味で言ったのではなく、国家が望んでいるだろうという意味で使ったのです。ただ、私の推量する国家の望むであろう人間像を私がすべて否定しているのでもなく、日本という国を成り立っていかせるためにもこのような人材も不可欠とは思っております。
ただ、政府の意志だけでこのような国民教化をはかるのは難しく、やはり国民の多くの合意もあったからこそ可能だったと私は推察します。したがって軍国日本の誕生を、国家政府だけを責めて、国民には責任はなかったという考え方には疑問を持っております。
以上の説明、で次の中谷さんの提案についても論議する必要のないことをご了承いただけますでしょうか。
(このリワキーノの発言は次回に続く)