(17のリワキーノの発言の続き)
先述したのと重複しますが下記の中谷さんの文について。
>しかし、私は学校の勉強についていけない落ちこぼれの中にも
>優秀な人が大勢いることを経験的に知っていますし、彼らが学
>校教育の意味を問い質すことは否定されるべきではないと思い
>ます。
私の文脈にそのような取られ方をしても仕方のないものがあったのでしょうが、落ちこぼれは優秀な人間ではないと私が思ってるように中谷さんにとられているようなふしがありますので、弁明させていただきます。
私のこれに関する文は下記の通りです。
>子供達もそういった日本の学歴社会の実状と親や教師の
>思いを知るからこそ、ある程度はその期待に応えて頑張ろうとし
>ますが、どうしても力及ばず遅れをとっていく子達が出てき、そ
>の子らが日本学歴重視社会の不条理に強い不満を持ち、反抗する
>のではないでしょうか。
学校教育に力及ばず遅れをとっていく子達、いわゆる「落ちこぼれ」の子がどうして優秀な人でないと私が決めつけたと思われたのですか。そんな記述をした覚えは無いのですが。私がそんな学業成績の優劣で人間の価値を値踏みする人間とお考えだったらそれは私を見損なっております。
以下、大変長くなりますが、このことについて弁明させて下さい。
山田さんにはお話ししたことがあるのですが、私は小学生低学年のころ、ひどい落ちこぼれでした。私が通った幼稚園が黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』に描かれているような素晴らしい教育現場でしたので、そこのキリスト教精神に裏付けられた愛情深い保育を経験している私にとって小学校というのは牢獄のような所だったのです。一つには必ずしも低学年児を担当するには向いていない資質の担任教師に当たったのも不幸な原因でしたが、ぼんやり癖のある(結構夢見る幼児だったのですよ)私を愚図だの、出来ん坊(成績が)だのと罵り、意地悪をする学友に嫌気がさし、学校をよくズル休みをしたのです。おかげで授業には全然ついていけず、私が引き算をまったく理解していないことを担任教師が気がついたのはずいぶん経ってからのことでした。
私がテスト用紙にでたらめな引き算の答を記しているのを発見した担任(女教師でした)が頭をバシッと叩いたときのことを今でも鮮明に覚えています。私は3年生のおりに他校に転校していくまで、劣等感と孤独感に苛まれた児童だったのです。
転校してからは良き教師に巡り会い、私はかなり立ち直ることが出来、高学年の時に勉強に目覚め、中学ではかなりの成績をあげるようになった結果、進学名門校と言われる高校に入学いたしましたが、ここでも私は第二の劣等生生活を演じることになりました。
原因は、優秀な高校でしたから、とにかく授業内容が高度であり、数学と英語についていくのが精一杯であり、歴史と国語は得意な分野ですからさほどしゃかりきにならずともついていけましたが、もともと苦手な化学とか物理なんかはもうそれの勉強に割く余裕がなく、はなから諦めてしまったからなのです。在学中、終始赤点(欠点)の恐怖に怯え続けたもので、いっぺん、追試寸前のところまで行ったことがあります。化学の教師などは、何もノートをとらずにじっと教師を凝視し続ける私に、「キミ、解ってるの?」と皮肉な言葉を浴びせたものでした。
私が入学したての最初の実力テストの席次は87番(今でも覚えております)で、この高校では100番以内にいると有名国立大学への進学率がかなり高いのですが、目一杯努力してきて入学した私の能力はそこまでが限界で、余裕をもってこの名門校に入った連中は難しい高等学校の授業についていき、どんどん延びていきました。その結果、どうでしょう、私は大峯の坂を転げ落ちるように席順は落下し、3年生のおりには何と、ビリから数えた方が早いくらいのところまでに成り下がっておりました。背伸びして名門校に行った学生の悲劇ですね。
こう言うわけで、私は典型的な「力及ばず、遅れをとっていった」部類に属するのです。
それでも私は、小学生のときと違って卑屈になることはありませんでした。学業全般では劣等生でしたが、読書の量で学友を凌駕し、キリスト教に没頭して心の問題にも深い関心を抱き、音楽への傾斜度は半端でなく、歴史に詳しかった私を学友達は評価し、私もそれなりに自分という人間に自負心を持っていたからです。
私が優秀とは申しませんが、同じような成績は振るわなくても話題が豊富で実に魅力的な、ある意味では高校生にして将来が嘱望されるような優秀な人材と思える友人が周囲に多くいましたから、学業不振=人間的に優秀でない、等の図式なんか私の脳裏に定着するはずがありません。
山田さんがメールでご自身の名前に「元落ちこぼれの」という冠詞をつけられたことがあり、一度そのことをお尋ねしたことがあったのですが、私と違って、高校生のときに勉強が嫌いでそうなったと言っておられました。ところがどうです。私らの知る現在の山田さんは非常に社会意識が高く行動力に富み、様々なボランティアで活躍し、その周囲に与える良き影響力を見ましても尋常の人ではないことを誰しもが思われることでしょう。
中谷さんは落ちこぼれであっても優秀な人間の一つの例として香川淳さんのご子息のことをあげておられましたが、まさに風太さんのような人は素晴らしいと思います。
このような自立心を持った若者が世間で何の抵抗もなく受け入れられ、それ(親の香川淳さんの姿勢)に習う人達が増えていけば我々が日本の教育問題で悩むことも無いのでしょうが、風太氏の場合はやはり例外だと思います。香川淳さんのように非常に聡明で信念と柔軟性を持たれたご両親がおられたからこそ、風太さんもそのような道に容易に進んでいくことができたのではないでしょうか。世の中には本人自身非常に独創性に富んでいても、周囲の特に家族の理解が得られず、育っていく劣悪な環境によって結局、その素晴らしい個性を生かしきれないまま希望通りの進路を阻まれる子だってあります。
(このリワキーノの発言は次回に続く)