12月22日
宮城克彦様 FROMリワキーノ
短いコメントと言われながら、結構長く、読み応えのあるメールでした。
>私見ですが、高等教育(大学以降)以外は基本的に規律訓練で
>あり、そこには制度的な限界があると考えています。
初っぱなからこんな質問をして申し訳ないのですが、この文の意味がもう一つよく解らないのですが…
規律訓練とはどういう意味ですか?また、「制度的に限界がある」ということは何をさして言っているのでしょうか?
熊野ツアーで私が口にした表現を宮城さんが実に適切と感心されたように、私のCPUの性能は鈍く、他の人だったら即座に理解することを噛み砕くようなご説明をいただかないと理解出来ないことがままあるのです。いえ、これは決して卑下して言っているのではなく、本当にそうなのです。
その代わり、ハードディスク内の知識の蓄積は並以上だろうと自負しておりますが。
>父が高校教師であるということから僕自身教育の現場の実状は
>小中学校の頃からある程度知らされていました。
>端的に言って、教育する側の人材に限界がある。時間的にも精
>神的なエネルギーの上でも、厳しい限界がある。
>制度がどれほど改善されても、あるいはポリシーが変わっても、
>個々の教師の力量と時間的精神的余裕が増すのでないかぎり、な
>にかが改善されるということはないでしょう。
まさに同感です。
私は公立学校の教師に対してはかなり手厳しい批判的な気持ちを持っておりますが、中学校の教師達には、どうしても同情したくなります。
中学校の教師は小学校にくらべて本来の職務以外にかなりの雑務を背負わせられており、ゆとりのある教育をほどこすような精神的、時間的余裕を持っておりません。まず、こういった問題から改善していかなければならないと痛感しております。
>問題はむしろ自由且つ創意溢れる服装をして(仮に)なにをし
>たいのかということです。
>教育が体制であることは当然ですよね。僕は生命科学が大好き
>で、中学時代から一般書などを読んでましたが、そういうのは学
>校に期待する方がどだい無理なわけで、天文ファンの方でもそう
>だったでしょう? あるいは電子工学とか。
>僕の友人には理科の先生など足下にも及ばないほどの科学的知
>識を持った子たちもいましたし、英語も先生が「これでいい?」
>とお伺いをたてるほどの子もいました。
>そういう子たちは、制服問題には無関心でしたが、だからとい
>って権力服従でもないし、権力サイドでもなかった。そういうの
>は超越していた。
>ある子などは、「好きな服装をしたくなったらここ辞めるよ」
>とか(冗談に)言ってましたが、それでいいと思います。
制服問題に対する私の思いを代弁して下さっています。
ただ、私の場合は、そういった問題を超越していたのではなく、まったくの無関心派でしか無かったのですから、何度も言いますが、私には制服問題を云々する資格は無いようです。
しかし、「これでいい?」と生徒にお伺いをたてる先生がいるとは嬉しくなりますね。そのようなおおらかさを持っているだけでもその先生は教師たる資質を持っておられるように感じます。
だいぶ前の話ですが、私の顧客の子弟で帰国子女がおりました。男の子ですが。
日本の中学校に転入して、英語の時間でネイティブな発音をするものですから英語教師に嫌われ、授業中、絶対に当てられることが無く、英語に秀でていることを一つも発揮する場がないばかりか、悪意さえ向けられることにその少年が意気消沈しているのを母親から聞いて、私はこの教師をそこの教育委員会に訴えてやろうかと思ったことがありました。(ただ、これは若いころは血の気が多かった私の若気の至りというべき性行で、抗議するなら、まず、その当の本人の教師にぶっつけるべきでしょうが)
教育者の資質として、自分には無い天分を持っている若き人をいかに育て上げるかに情熱を傾ける心情を持っていることが大切ではないかと思います。
大相撲の偉大な力士達の多くが、親方となって自分が育てた力士が優勝したときのほうが自分自身の優勝よりも興奮したというコメントや、何年か前のショパンコンクールで上位入賞したピアニスト、小山みちえさんの幼いときからの教師が、小山さんがショパンコンクールに出場して好成績をあげることに己の人生の全てをかけてき、本番の舞台裏でそれまでの人生で経験したこともない緊張感を感じ、素晴らしい結果が出たときに感じた例えようのない歓喜の気持ちを表明したコメントを知ったとき、これが教育者の醍醐味であり、それが優秀な教師の資質だと思ったものでした。
>僕は最初入学した高校で非常に強い不満を感じたので、2年か
>ら転入学しました。そこは公立高校ながら自由な校風で、先生た
>ちの<質もかなりよかった。
宮城さんの意志によって転入学されたのですか?
どういう状況で、どういう方法でそうされたか知りたいものです。
>担任の先生は世界史担当でしたが、たとえばアン・ブーリンの
>生涯などについて詳しく物語ってくれるというふうな熱心かつセ
>ンスのいい方でした。
アン・ブーリン!
あのようなドラマティックで悲劇的な王妃の物語を授業で話されるとは、相当、歴史ドラママニアの教師ですね。さぞかし、女子生徒たちの受けた印象は強烈だったことでしょう。そこから歴史への深い興味が湧いてくると思うのです。
このようなドラマを知ってこそ、ロンドン塔というものが英国史においてどのような意味を持っているかを学ぶわけですよね。
>また僕のことを「とにかく当校のような秀才校にはまず見られ
>ないスケールの大きな青年である」などと周りに推奨してくださ
>いまして、(~-~;;なかなか生徒制御?も上手な方でした。
>「生徒にはおだてりゃうまく行く子と、びしっとするとうまくい
>く子とがいる」と父も申しておりましたが、なぁに、人間どこか
>に褒める所はあるもんで、もしこのMLに先生がいらっしゃって
>ですね、手に負えない生徒がいたら「スケールが大きい」とでも
>言ってあげるといいかもしれません。(~-~;;
誉め育てることが非常に有効的であることは事実ですが、私の経験からは、その誉める対象に対して深い共感を持っている場合と、そうでない場合はずいぶんその効果も違うように感じました。
一人の子供の中で、普通、世間ではそれほど評価されないたぐいの資質に目をつけ、その資質から生じる性行が世間一般の評価を受ける能力へ発展せしめていく可能性を見出すことがそのそばにいる大人の大切な責任のように思います。(このつたない表現で解りますでしょうか)
そういう目利きを身につけるためには、私たち大人が偏見に捕らわれない自由な感性と価値観を身につける必要があり、常に努力を怠らないことが大切であると思います。
>だから、はっきり言って、全員高校入学(どころか大学入学)
>みたいなことはもう止したほうがいいのではないかと思います。
>自分で独学出来ることはたくさんある。
>何度でも言わせていただきたいのですが、
>きちんちした覚悟もなしに入学試験を受けるのはやめた方が
>いい。
>高校をでなければ生きていけないというのは妄想です。
>そういう妄想をもった人が多すぎるから、高校を出ない人が
>偏見の対象になったりする。高校は行かなくて当たり前。
>それこそが、体制を変える第一歩です。
まさに同感です。しかし、現実的にはこのような確固たる信念を持てる子供はおろか、父兄だってそうはいないのではないでしょうか。
私との論争で山田さんが言っておられた
>「押し付け」の教育のために生来備わった良いものを失い、
>事物を抽象化することができず、他者のことを思いやる能力を
>奪われた高校生に、どんな選択肢があるのでしょうか。
は、このような意志的決意する高校生がいかに少ないかだけでなく、未熟な我が子に正しい認識を持たせる能力に乏しい親が多く存在することをもを指摘しているように思います。
私は日本国民の三分の一が宮城さんの主張されるような確固たる信念を持っておれば、今の教育問題は存在しないのではないかと思ってます。
しかし、大多数の人が学歴偏重の妄想(一概に妄想とも言えない面もありますが)に支配されていると思われる故、この問題のクリアが非常に困難であると考えております。
以上、まとまりのないことを饒舌に記しましたが、ご勘弁下さい。