7月14日
リワキーノさんへ   FROM:山田

 お返事が遅れてすみません。
原因が判らないのですが、私のメールがMLに送れないので、リワキーノさんあてにお送りします。(坂上さんにもついでに送ります)

> ただ、山田さんの仰有るようなことがあったとしても、国連は国際間の安全保障を画
> 策し、国同士の紛争や一国の内戦の解決を手がけ、世界の平均的レベルに達しない厚
> 生施策の国々への援助をする機関ですから、この高校生の訴えははなはだしく筋違い
> であり、国連事務総長からであれ、我々日本人からであれ、厳しくたしなめられるの
> は仕方なく、また、我々同胞の大人としてはたしなめる義務があると思いました。

 ある在日韓国人の学者が「日本の最大の国際貢献は、国内改革だ」と言ってたそうです。
学歴偏重の幻想でこの国の大部分が動いていることの弊害を考えた場合、この問題は国連で取り上げる価値があると思います。

> 多数派では無いかも知れませんが、制服を好み、肯定する人達だっているわけです。
> この部類を占めるのが若者に無理解な大人達だけではないのです。
> 大阪市内のある私学女子高校は、そこの制服が女の子たちの絶大な人気を集め、その
> 制服を着たいためにそこを目指す子がたくさんおります。

 制服が強制されるから、特定の制服にあこがれる人がいるのです。

> ただ、男子生徒の大多数が制服を好まないであろうこと、また、公立高校では、男女
> 関係ない大多数が制服を好まないであろうことは私も推察しております。
> しかし、これは公立高校の制服があまりにも画一的であり、ファッション的に洗練さ
> れていない故であって、「個人の自由」とか「権力からの強制」と自覚している生徒
> がどのくらいいるだろうか、と疑問に思っているのです。

 先の高校生が、もし制服に象徴された教育の問題を一般化できずに、「制服の問題」としてしか表現できなかったのなら、それは、問題を抽象化する能力を引き出す機会が無かったからです。
 「個人の自由」や「権力からの強制」がわからない人も、やはり事物を抽象化することを学ぶ機会が無かったのでしょう。

> 「何のための教育か?」「誰のための教育か?」という根本問題についてですが、教
> 育とは、未熟な子供達を常識と良識を身につけた成熟した大人に育て上げるのが本来
> の目的だと思います。

 私の長女が小学校1年生の時、おなじクラスに知的障害の子がいたのですが、みんながいくつかの漢字を覚えた頃、その子はやっとひらがなを覚えだしました。ある日、先生がいくつかのカナをその子に読ませて全部読めた時、クラスのみんなが拍手したそうです。
 弱い者を助ける気持ちや仲間への共感は、子供たちよりも大人の方が「未熟」です。
 教育は大人の価値観を押し付ける場ではありません。
 人間に生来備わった良いものを、最大限引き出す場であるべきです。

> 同時に、国家が多大な予算を費やしてその補助と運営にあたっているのですから (
> 私学でも国の補助金を得ているので一緒です)、当然、国家に有益な、つまり日本人
> として適切な大人に育て上げることに力を注ぐのは当然であり、これは世界中のどこ
> の国家でも同じで例外は無いと思います。

 人間のために国家があるのであって、国家のために人間があるのではありません。

> 私はそれが良いとか悪いとか言っているのではありません。国家が関係した教育機関
> はどこでもこの支配を避けることはできない、公教育とはそういうものだと言いたい
> わけです。
> この支配を受けないのは、私的な教育機関(私学ではありません)、受験塾や民間の
> 教育機関でしょう。そのかわり、そういったところを出た生徒は、高卒の資格を国が
> 認めません。
> 私のある知り合いは、親の信念で我が子をそういったところに入学させておりますが
> 、そこを出ても高校卒にならないことを十分承知し、子息達もそれでよいと思ってお
> られます。
> そして、教育というのは本来、強制と権威の力を必要とするものだと私は考えており
> ます。

 「本来」ではなくて「現状」ではないですか?教育は強制じゃなくて、能力を引き出すために、学ぶ面白さを共有できる場であってほしいです。

> このやり方は、義務教育が終わる中学卒業まで続き、高校生になるとき、初めて子供
> 達に選択の余地が与えられるのです。
> そしてそこでは、拒否することも可能なのです。勉強したくなければそれを強制する
> 権利は学校にも国家にもありません。落第が続けば当然中途退学となり、高卒の資格
> は取れないのです。

 「押し付け」の教育のために生来備わった良いものを失い、事物を抽象化することができず、他者のことを思いやる能力を奪われた高校生に、どんな選択肢があるのでしょうか。

> 息子の卒業した関西学院大学はそれほど低レベルの大学では無いと思うのですが、そ
> れでも関西在住の企業からでさえ受ける対応は京大、阪大、神大という国立有名校と
> の間に歴然としたものがありました。
> それが社会のゆがみを生じさせるからといってそれを憂慮し改善の方法を模索するこ
> とは大切ですが、その実状を直視することは必要かと思います。
> これらのことを経験上熟知しているため、高校教師や親たちは、我が生徒、我が子に
> 少しでも有利な将来が開けるよう、義務教育でもない高校教育を学ぶ子供達に干渉し
> 、強制してくるのです。
> 子供達もそういった日本の学歴社会の実状と親や教師の思いを知るからこそ、ある程
> 度はその期待に応えて頑張ろうとしますが、どうしても力及ばず遅れをとっていく子
> 達が出てき、その子らが日本学歴重視社会の不条理に強い不満を持ち、反抗するので
> はないでしょうか。
> その気持ちはよく分かるのですが、それを「何のための教育か」「誰のための教育か
> という問題意識化して「制服」問題に象徴させ、国の責任追求、あるいは世の中へ抗
> 議をすることは筋違いな気がしてなりません。

 私も元「落ちこぼれ」なので、単に反抗しているだけかもしれませんね。そう言われれ
ば...。

> それは教育システムの問題と言うより、学歴重視社会の要望に沿ってこそ我が子、我
> が生徒の幸せになる確率は高まると、確固たる信念も無く信じたがたっている私達、
> 親、教師を含む、国民一人一人の問題ではないかと思います。
> あえて国家の責任を問う面を探すとすれば、大切な国民の子弟を教導する公教育の教
> 師達の技術的未熟さとその企業努力を怠っていることにに眼をつぶり、競争原理のな
> いところに放りっぱなしにしていることでは無いでしょうか。

 「競争原理」を持ち込む必要なんてないんです。学ぶことの意味が見つからないから、問題視するんです。
 昔、帝政ロシアの政治犯は、バケツに汲んだ水を他のバケツに移し、いっぱいになったらまた元のバケツに移し...といった無意味な作業を延々と強制されて、発狂したそうです。

> こういった諸問題を吟味した上で教育問題に対して発言し、提案する土壌を新聞をは
> じめとするマスコミが作らないからこそ、子供達も、他者にその責任を転嫁しようと
> する発想になるのではないかと思うのです。
> そういう意味では、高校生達が問題を一般化する能力に目覚めないのも一概に責めら
> れないところがありますが、だからと言ってそれを容認していては、いつまでも彼ら
> の能力は今のままで終わりかねない、つまり、幼児化のまま大人になっていく危険性
> があります。

 いろいろな面で「幼児化」しているのでしょうね。ただ、「幼児化」を進めているのは私たちだと思いますが。

> 要は、間違ったことはハッキリとたしなめ、恥をかかせてでも知らせるべきだと私は
> 信じます。
> 如何でしょうか?

 私は、むしろ彼らに同情してしまうのですが...。

> 私は極端な論議をしているのかも知れず、皆さんの間に色々な疑問、反発を引き起こ
> すかも知れません。私はこのメールを記している今現時点での考えを述べているだけ
> であって、もし、私のこの極論を即座に覆すような論理を提出していただき、それが
> 私を納得させれば、いつでもこの論議を引っ込め、謝罪することにやぶさかではあり
> ません。

 「極端な議論」というよりは、あまり筋が通ってないように感じました。私は、リワキーノさんを人間的には大好きで、何にでも積極的な姿勢に対して常々尊敬しているのですが、こんな筋の通らないことを堂々と書いておられるのは、理解できません。
(続き)