7月14日
山田太郎様 FROM:リワキーノ

 私の『国連に訴えた高校生』のメールへのご返事がMLに直接送れないそうですのでとりあえず、私の方からMLに転送させていただきます。
 山田さん、この件に関しての真摯な対応をしていただき、感謝しております。
ただ、最後の、

>「極端な議論」というよりは、あまり筋が通ってないように感じました。
>私は、リワキーノさんを人間的には大好きで、何にでも積極的な姿勢に
>対して常々尊敬しているのですが、こんな筋の通らないことを堂々と
>書いておられるのは、理解できません。

のお言葉には仰天の思いで、エッ、そんなに筋が通っていないこと言ったかしら、と再度、我がメールを検討した上で、お答えしたいと思います。乞う、しばしのご猶予を。
 でも、私のことを人間的に大好き、とは嬉しいお言葉です。
 よ〜し、私も頑張って精一杯、山田さんのご指摘にお答えして見せますよ。
       リワキーノ

7月15日
山田 太郎 FROM:リワキーノ

 あの後、私のメールを再検討してみまして、私の説明不足で曲解されやすところがある点についてはいくつか見つけたのですが、どうしても山田さんの指摘される「こんな筋の通らないことを堂々と書いておられる」がピンときませんでした。
 私は、自分の主張はそれなりに論旨は筋が通っていると思ったのですが。
自分で自信を持って書いた主張ですからそれは当然かも知れませんし、完全に独断と偏見の中に安住していると言われればそれまでですが、私が反論を述べようにも、山田さんがご指摘される私の論旨に筋が通っていない点を明確にご指摘いただかないと私も推察でしかものが言えなくなるわけであります。
 山田さんが私の論旨に筋が通っていないという根拠を私の先述のメールから具体的に例を挙げて、そのつじつまの不整合性を示していただければ、私も簡潔に反論ができますので、どうか、その点を明確にご説明願えませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
 このような教育に関する問題は大切なことですので、真剣に論議したいと願っております。また、このような論争こそアルバトロスクラブの活性化に繋がると、したたかにも私は考えているのです。
                                   リワキーノ

7月15日
リワキーノさん FROM:山田
山田@元「落ちこぼれ」です。

> 山田さんが私の論旨に筋が通っていないという根拠を私の先述のメールから具体的に
> 例を挙げて、そのつじつまの不整合性を示していただければ、私も簡潔に反論ができ
> ますので、どうか、その点を明確にご説明願えませんでしょうか。

 私が「筋が通らない」と言ったのは、こういうことです。
 リワキーノさんは、「日本社会は歴然とした学歴重視社会」であると認識されているのもかかわらず、それに疑問をなげかけることを「幼児化」」であるとみなし、「間違ったことはハッキリとたしなめ、恥をかかせてでも知らせるべき」と、あくまで抑えつけようとしておられることです。
 また、「学歴重視社会」の背景が、「教育システムの問題と言うより、学歴重視社会の要望に沿ってこそ我が子、我が子、我が生徒の幸せになる確率は高まると、確固たる信念も無く信じたがたっている私達、親、教師を含む、国民一人一人の問題」であると認識されながら、私たちが責任を持ってその解決を図ろうとすることなく、現状を「是」として維持していこうという姿勢を持たれていることです。
 問題があるなら、あるいは問題があると感じられるなら、その問題を顕在化させて、解決の方法を探っていくのが、本来あるべき「大人」の姿ではないですか?
 それから、「国家が多大な予算を費やしてその補助と運営にあたっているのですから当然、国家に有益な、つまり日本人として適切な大人に育て上げることに力を注ぐのは当然」との考え方に対しては、私はたいへん不愉快です。
 「国家」のみに私たちが所属しているのではありません。
 私たちが町内会やアルバトロスクラブに所属しているのと同じように、「国家」に所属しているに過ぎません。
 それに、私は公教育が「日本人として適切な大人」だけでなく、「韓国人として適切な大人」や「ペルー人として適切な大人」を育てるべきだと考えています。
 教育は、「国家」のためではなく、私たちが生来そなえているであろう、さまざまな能力を開発させるためのものだと考えています。

7月15日
山田太郎様 FROM:リワキーノ

 リワキーノの論議は筋が通っていない、のご指摘の根拠、確かに拝受いたしました。
かなり山田さんの誤解があると思われますので、後日、お返事いたしますが、とりあえず、MLにこのメールを転送させていただきます。
                               元「落ちこぼれ」のリワキーノ
(私も小学校のころはひどい落ちこぼれでした。もっともそのころにそんな言い方は無かったですが)