7月17日
山田 太郎様      FROM:リワキーノ

 山田さん、お忙しい中、お返事を有り難うございます。
 拝読して、山田さんはかなり私の論議を誤読されておられると思いましたので、長くなりますが、私の真意を是非、お伝えしたく思います。
 まず、最初に、次のご指摘ですが

>私が「筋が通らない」と言ったのは、こういうことです。
>リワキーノさんは、「日本社会は歴然とした学歴重視社会」であると認識されているのもか
>かわらず、それに疑問をなげかけることを「幼児化」」であるとみなし、「間違った
>ことはハッキリとたしなめ、恥をかかせてでも知らせるべき」と、あくまで抑えつけ
>ようとしておられることです。

 私は、「日本社会は歴然とした学歴重視社会」であると認識していることは事実ですが、それへ疑問を投げかけるのが「幼児化」であるとみなしたつもりはなく、あくまで抑えつけようとしている、という気持ちはまったくございません。
 疑問を投げかける”手段”に問題がある、それを厳しくたしなめるべきであると言ったのです。

>また、「学歴重視社会」の背景が、「教育システムの問題と言うより、学歴重視社会
>の要望に沿ってこそ我が子、我が子、我が生徒の幸せになる確率は高まると、確固た
>る信念も無く信じたがたっている私達、親、教師を含む、国民一人一人の問題」であ
>ると認識されながら、私たちが責任を持ってその解決を図ろうとすることなく、現状
>を「是」として維持していこうという姿勢を持たれていることです。

 私は学歴重視社会を完全には否定しませんが、現状を「是」とし、維持していこうとは決してしておりません。私の文のどこにそのように断定される根拠を見出されたのでしょうか?私自身がこの問題にどういう風に取り組むつもりかということについては、まだ一言も発言はしておりませんよ。
 そう言った問題を一気に語り尽くすのはメールが長くなりすぎると思って、とりあえず、問題点の現状の指摘、つまり現状の教育システムへの不満を制服問題に象徴させて国連に訴える手段の不適切性を指摘し、公教育というものは国家が介入してくる必然性を持っている事実を指摘したのであり、私が国家の公教育介入を全面的に肯定しているような書き方はしていないはずです。

>問題があるなら、あるいは問題があると感じられるなら、その問題を顕在化させて、
>解決の方法を探っていくのが、本来あるべき「大人」の姿ではないですか?

 痛いお言葉です。確かに私は山田さんのように何かの問題意識を抱えたとき、それを己の信ずるやり方で顕在化し、解決していこうとする努力は怠っております。その点では一言もありません。それを継続してやってこられた山田さんを尊敬しております。
 ただ、教育の現状に強い憂慮の気持ちを持っている私は、顕在化させるところまではまだいっておりませんが、私なりにこの問題を真剣に考えており、個人的には自分の信じることを行動に移しております。
 それについては先に述べたように長くなるので別便で記します。

>それから、「国家が多大な予算を費やしてその補助と運営にあたっているのですから
>当然、国家に有益な、つまり日本人として適切な大人に育て上げることに力を注ぐの
>は当然」との考え方に対しては、私はたいへん不愉快です。

 先にも述べましたように、私は国家とはそのようなものであるという事実を指摘したのであって、完全に否定もしませんが、肯定もしておりません。当然という言葉を使ったのは不適切でした。国家というものは当然そうするだろう、という意味だったのです。

>「国家」のみに私たちが所属しているのではありません。
>私たちが町内会やアルバトロスクラブに所属しているのと同じように、「国家」に所
>属しているに過ぎません。

 この山田さんの発言に答えるのは難しいですね。
 強大な権力を持ち、いざとなったら強制力を我々に強いてき、しかも簡単にそこから離脱できない国家と、町内会やサロン的同好会を一緒にする気に私はとてもなれないのですが。

>それに、私は公教育が「日本人として適切な大人」だけでなく、「韓国人として適切
>な大人」や「ペルー人として適切な大人」を育てるべきだと考えています。

 仰有る意味がよく解らないのですが、要は、国境を越えてどこの国でも通用する人間的立派な人格に育てると言うことでしょうか。それでしたら納得できます。

>教育は、「国家」のためではなく、私たちが生来そなえているであろう、さまざまな
>能力を開発させるためのものだと考えています。

 まさに仰有るとおりだと思います。人間は誰しもがそれぞれ異なる能力を持っていると思います。私自身、そのことを信じられるゆえ、自分の知能がイマイチなことに劣等感を持つことなく、私には私の持ち味、良さがあると、己の人生を自信を持って生きていけるのです。
 その各自の能力を上手に引き出し、育て上げるのが本来の教育の重要な目的の一つだと思います。そのための基礎能力を身につけさせるために強制を伴う基礎学力の勉強が必要だと思うわけです。

 後になりましたが、このメールの前にいただいた山田さんのメールへのコメントをさせていただきます。

>ある在日韓国人の学者が「日本の最大の国際貢献は、国内改革だ」と言ってたそうで
>す。学歴偏重の幻想でこの国の大部分が動いていることの弊害を考えた場合、この問
>題は国連で取り上げる価値があると思います。

 現在、日本に国際社会が一番望み、要求していることは金融不安を取り除くことへの最大の努力ではないでしょうか。日本の金融の破綻は日本経済の破綻を意味し、それが多くの国々に与える悪影響は計り知れないものがあり、下手すると世界恐慌という戦争に次ぐ重大事態を招きかねなく、世界中が国連の強制力を期待して、国連に持ち込みたいと思っている問題ではないでしょうか。国連はこのような重要な問題を現実にいくつも抱え込んでおり、いくら日本の学歴偏重の病弊を苦々しく思ってはいても、すぐさま世界の秩序を脅かすことのない国内問題だとしか認識しないのではないでしょうか。
 少なくとも、国際紛争、各国の内戦、飢餓、などの解決という国際間の安全保障を役目とする国連へのこの問題の提訴はやはり筋違いだと私は考えます。
 それから、在日韓国人学者の仰有る国内改革とは学歴偏重の弊害を指しておられるのでしょうか。
 もし、そうだったら、韓国も日本に勝るとも劣らぬ学歴偏重の国ですよ。韓国の進学名門校への受験競争の激しさは日本を上回るものがあります。パンさんにお聞きになってごらんなさい。

>>多数派では無いかも知れませんが、制服を好み、肯定する人達だっているわ
>>けです。
>>この部類を占めるのが若者に無理解な大人達だけではないのです。
>>大阪市内のある私学女子高校は、そこの制服が女の子たちの絶大な人気を
>>集め、その制服を着たいためにそこを目指す子がたくさんおります。

>制服が強制されるから、特定の制服にあこがれる人がいるのです。

 一理あると思います。しかし、それは山田さんの見解として受け入れておくことに留めます。もちろん、私の述べたことも私個人の見解です。それらのどちらが正しいかを証明する方法はないでしょう。

>> ただ、男子生徒の大多数が制服を好まないであろうこと、また、公立高校
>>では、男女関係ない大多数が制服を好まないであろうことは私も推察してお
>>りま す。
>> しかし、これは公立高校の制服があまりにも画一的であり、ファッション
>>的に洗練されていない故であって、「個人の自由」とか「権力からの強制」
>>と自覚している生徒がどのくらいいるだろうか、と疑問に思っているのです。

>先の高校生が、もし制服に象徴された教育の問題を一般化できずに、「制服
>の問題」としてしか表現できなかったのなら、それは、問題を抽象化する能
>力を引き出す機会が無かったからです。

 どうして件の高校生が「問題を抽象化する能力を引き出す機会が無かったから」と断言できるのでしょうか。それは山田さんの推察の域を出ないのではないでしょうか。
 それとも、山田さんはこの高校生のことで、我々の知らない情報をお持ちなのでしうか。

>「個人の自由」や「権力からの強制」がわからない人も、やはり事物を抽象
>化することを学ぶ機会が無かったのでしょう。

 このお言葉にはちょっと苦言を呈したいのですが、以下述べることが、山田さんの言葉のとり違いだったらご容赦ください。
 上記の言葉は私へあてたものですか?もしそうでしたら、それはフェアな論議ではなくなります。論争というものは、異なる意見の衝突が起きたとき、議論しながらお互い正確に自分の主張を述べて相手の言葉に耳を傾け、極力誤解、曲解を取り除くことを努力しながら解決をはかるものだと思います。
 意見の衝突が起きるのですから、ときには感情的になる危険性も高いわけで、それゆえ、余計、普段の会話より強い理性と冷静さを必要とするのが論争だと思うのです。
 だからこそ、相手を皮肉ったり侮辱的と受け取られかねない言葉は極力慎むべきだと私は考えます。ユーモアは別ですよ。
 要は、お互い論理をもって語ったその主張の中に、間違ったもの、同感できないものがあったら、それを論理的に指摘することが必要なのであって、そこに感情的物言いを入れますと内容のある建設的な議論にはならないと思います。
 私達は友人であり、信頼関係の成り立っている上でこの論争を始めたと思っていたのですが。
(ここでの主張はこの後まだ続きます)