『大峯におけるある行者の死』(1)
                             
 平成7年夏、大峯山中の霊場、深仙(じんぜん)で60日間断食行にいどみ、満行目前の55日目に
して衰弱のために世を去った1人の行者がいた。名前を不吹周命(ふぶきしゅうめい)といい、○○県
△△郡の神主であり、天台宗◇◇寺所属の修験者であった。
 この修験者と私が所属する山グループ、新宮山彦ぐるーぷとはかねてから親交があり、不吹さんが
60日間の修行に入ることを決意したときから、我々山彦の仲間達は修行の支援を全面的に行うこと
を決めたのであった。
 そして、そのメンバーの1人として、修行中の不吹さんに接してきた私が観察し、仄聞したことなどを
新宮山彦ぐるーぷ向けへの報告として記したものがこのレポートである。
このレポートはアルバトロスクラブの会報にも掲載したことがあるが、大峯修験道の世界にはこのよ
うな修験者もいることを広く知って欲しく、今回、このホームページにも連載することに決めたのであ
る。
 ただネット上に公開されるため飛躍的な大勢の人の目にとまることが予測されるので、登場者に余
計な迷惑が及ばないよう、人名、組織名の大部分は匿名にした。

[断食行者の修行を見守って]                          
60日間断食行への見舞い行                     平成7年8月23日〜24日

 不吹師の前人未踏の60日断食行のことについては玉岡さんのレポートで新宮山彦ぐるーぷの人
達の間ではつとに知られていることなので、ここではその行の詳細については省略させていただく。
このレポートでは、不吹師の荒行に深く共感された不吹師の法友、園順光師(天台宗本山派正大先
達・○○院住職)とその信者である3人の小田原から遠路はるばる駆けつけてこられた方々のことを
中心に書きつづるつもりであり、24日の大日岳鎖場行その他については玉岡さんの記録文が書か
れるはずであるので24日のことについては省略させていただく。
 不吹師の断食行のサポートを何かしたいと思っていた私は20日目の区切りのときに出向くことがで
きなかったので、30日目の折りには是が非でも深仙に赴こうと考えていたところへ、玉岡さんより電
話で、長期に渡る日照りで大峯尾根上の水場がことごとく涸れてしまったことをお聞きし、水を補給す
ることが最大の急務であることを知って、当初予定していた、深仙宿での泊まりは諦め(野営すると
自分の食糧や水も必要となり十分な水を持っていけなくなる)24日に日帰りで水10リットルをかつ
ぎ上げようと予定していた。
 ところが、21日の日に、玉岡さんより再び電話があり、小田原の園師がお寺のお葬式が入ったた
め遅れて出発しなければならず、3人の信者さんたちだけで大峯入りすることになったので、初めて
大峯に来る彼らに一緒に同行してくれないかとのことで、急遽私も深仙泊の予定で大峯入りするこ
とになったのである。小田原からわざわざ来訪される方々を道案内するのはこれはこれで大いに有
意義なことであり、私が深仙に泊まれる理由付けができ、嬉しく思ったが、不吹師にも是非何かお
役に立ちたいという思いも捨て難く、あまり自信は無かったが補給の水も10リットル持っていくこと
に決めたのである。

 23日朝5時20分、寝屋川の自宅を出発し、ラッシュアワー前のほとんど車の走らない国道をとばし
て、前鬼口に着いたのが8時50分、すぐに支度して出発して前鬼小仲坊に到着したのは9時半であ
った。平日なのに小仲坊の主人、五鬼助さんがおり、「やっぱりあんたか、みんな待ちくたびれてい
るよ」と声をかけてくれる。いつも愛想もくそもないこの主人に声をかけてもらえ、炎天下重い荷物を
背負ってハーハー息をしながら登ってきた私の疲れも急速に薄れるような嬉しさを感じた。
 小田原から来た3人の人たちは離れの宿坊でうたた寝をしていたが、私の到着の気配に直ぐさま
飛び起き、寝たままお迎えして申し訳ないとしきりに詫びられるのでこちらが恐縮してしまう。男性の
方が青山さんで、女性の二人は佐田さんと末次さんというお名前であった。皆さん礼儀正しく、穏や
かな話し方をする方々で、何かほっとするような気持ちにさせられた初対面であった。

 しばらくの休憩をお願いして、色々彼等の話を聞いてみると、昨日、始発の新幹線で小田原を発ち、
前鬼口までバスできて、そこから林道を歩いて小仲坊まで来たのだが、5時間もかかり、最後のほ
うはばててしまって食欲も無く、風呂に入っただけで寝についたとのこと。園師から山慣れしていな
い人達とは伺っていたが、通常3時間もあれば来られる前鬼までのゆるやかな林道を5時間もかか
るとは、これから登る全大峯の中でも屈指の急坂で知られる稜線までの道行きを案内するのは相
当困難を伴うことを覚悟しなければならないと思った。
 それを皆さんにも伝えると、青山さんが「昨日来た林道よりもきついですか」と尋ねるので、「比較
にならないほどの急坂です。慣れた登山者でもあごを出す人はたくさんいます」と答えるとさすがに
皆さん、不安な表情を浮かべる。どんなにゆっくり歩いてごまかしても絶対に苦難は免れないので
むしろ厳しい歩行になることを肝に銘じておいてもらったほうががんばれると思い、あえて本当のこ
とを言ったのである。
 
 10時10分に小仲坊を出発。杉の大木の樹林帯の中のなだらかな道を2度目の沢渡りのところま
では普通のペースで来られたが、急登が始まると普段、車ばかりでしか行動しない皆さんにはてき
めんに疲れが出だしたようで、若い末次さんはまだ余裕が感じられたが、アマチュア写真家である
青山さんと佐田さんは水4リットルの他にカメラの重たい機材の負担があるので消耗が激しく、30
分おきの休憩だけでは持たなくなり、二つ岩手前に近づくころには15分に1回の割合で休み、10
分以上休まないと回復しないくらいの疲労ぶりで、苦しそうに一歩一歩歩んでいく姿は見てても痛
ましく感じられた。見かねて水だけでもお持ちしようと言ったにもかかわらず、佐田さんが「自力で持
っていかなければ不吹師への供養にはならないから」と断る精神力には本当に頭がさがる思いで
あった。

 ただ休憩のときに皆さんといろいろ話することができたことはとても楽しいものであった。特に、末
次さんが霊感の強い人で、今までにその霊感が敏感なゆえに精神的安定さを失いやすいことがあっ
て、色々な宗教的な団体や道場に出入りしていくなかで、園師にめぐり会って同師の指導のもとに
瞑想を続けていくうちに心の安定を得るようになったこと、その園師に大峯の霊気を浴びてくるのが
良いと進められ、こうしてやってきたという話にはたいへん興味を持たされ、手にマニキュアをしたま
だうら若い、どちらかといえばこんな鬱蒼とした大峯山中よりも桜木町か六本木あたりを歩いている
ほうが似つかわしい女性が何故やって来たのかが納得させられたのである。後で聞いたのだが、
近年、叔母を亡くし、その叔母の冥福を祈って写真を懐にして来たとかで、肉親への情愛に私は心
打たれるものがあった。

 二つ岩に着いて大休止したとき、私と末次さんがタバコをふかしているのを見て、自身タバコを吸
う青山さんがとてもタバコを吸う余裕は無いと言って、まったく手にしなかったのだからいかにお二
人の苦しさが厳しいものであったか想像できよう。 
30分休憩したあと、しばらくは道の緩やかなところが続くからと励まして出発する。途中、熊野水の
ガレ場のところで夕立がに遭い、雷も鳴りだしたので雨具に着替える。最初はパラパラ程度だった
が徐々に強く降りだし、こんな調子で降り続くと、苦労して水を持ち上げても深仙では香精水の水が
ふんだんに得られるようになっているのではないかと歩きながら複雑な気持ちになった。雨具をつ
けてから私の疲労感も急激に深まっていき、大峯の稜線上、太古ノ辻手前の急登は本当に辛い
ものがあった。

 太古ノ辻到着は午後2時40分で、稜線にたどり着いた喜びを皆さんかみしめており、またこの先、
まだ辛い登りが続くのだろうかという不安感をも漂わせながら私にこの先のコースの形状を尋ねら
れる。ここから深仙までもおおむね登りだが、今までのような急登は無く、ここまでくればもう大丈
夫です、と言うと幾分気持ちが楽になったのか、青山さんが小仲坊出発以来初めてタバコを口に
した。
 しかし、本当によくここまで来られたもので、休憩こそ多かったけれど、もう一歩も歩けないといっ
たような休憩の取り方をしたことは一度もなく、本当のバテには陥らずに頑張ったのであるから皆
さんの精神力には本当に感嘆させられた。また皆さんは、歩行の時間がかかって私のペースを乱
して余計な疲労を感じさせているのではないかとしきりに詫びていたが、それはまったくの誤解で、
私自身、最近かつぎ慣れない20キロのザックの重さはこのようなゆっくりとした歩調で行くからこ
そ何とか耐え得るのであって、こちらこそ助かっているのである。これが関東勢が山の猛者ばか
りで易々と登って行かれたりしたらたまったものじゃなかっただろう。

 30分休憩でここを出発するが、それから以降の皆さんはかなり元気を回復したようで一定の調
子で途中1回休憩を取っただけで、ついに深仙を見おろすところまで来たのは午後4時ちょっと前
であった。無人小屋の屋根を見て歓声をあげる皆さんの心境はいかばかりのことであろう。深仙
は人影もなくひっそりとしており、作家の宇江利勝氏が山仲間達と先に来ておられるはずだがと
思いながら坂道を降りていくと、やがて潅頂堂の入口のところに白装束の人影が立ってこちらの
ほうを凝視しているのに気がついた。不吹師だなと思い、歩きながら帽子を脱ぐと私だと判ったよ
うで、「おお!」と声をあげ、急いでお堂から降りて履き物を履き、迎えてくださったのである。
(続く)