十七条憲法の崇高さ      by リワキーノ

聖徳太子のことを調べる必要があって日本書紀(現代語訳)を読んでいたら憲法十七条の全文を目
にしました。
聖徳太子の事績として必ず挙げられる十七条憲法のことを知らない日本人はいないでしょうが、全文
を読まれた方はそう多くはないと思います。
一読してその内容の深さ、高潔さに驚嘆しました。
日本書紀の記述どおり、これが聖徳太子によって作られたものだったら、太子が聖人のように崇め奉ら
れるのも至極当然のように思います。
この憲法の持つ人間と社会に対する洞察力の素晴らしさを表すものとして、その中の二つの条文をこ
こに載せます。現代語訳は『全現代語訳・日本書紀』(宇治谷孟編・講談社学術文庫)より引用しました。

五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄
聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。

 第五条に曰く、食におごることをやめ、財物への欲望を捨て、訴訟を公明に裁け。百姓の訴えは一日
に千件にも及ぼう。一日でもそれなのに、年を重ねたらなおさらのことである。この頃訴訟を扱う者が、
利を得ることを常とし、賄賂をうけてから、その申し立てを聞く有様である。つまり財産のある者の訴えは、
石を水に投げこむように、必ず聞き届けられるが、乏しい者の訴えは、水を石に投げかけるようなもの
で手ごたえがない。このため貧しいものはどうしようもない。臣としての役人のなすべき道も失われるこ
とになる。

十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。
共是凡夫耳。是非之理 能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆
同擧。

 第十条に曰く、心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さぬようにし、人が自分と違うからといって怒らないよ
うにせよ。人は皆それぞれ心があり、お互いに譲れないところもある。彼が良いと思うことを自分はよく
ないと思ったり、自分が良いことだと思っても、彼の方はよくないと思ったりする。自分が聖人で、彼が
必ず愚人ということもない。共に凡人(ただひと)なのだ。是非の理(ことわり)を誰が定めることができ
よう。お互いに賢人でもあり愚人でもあることは端のない環のようなものだ。それ故相手が怒ったら、
自分が過ちをしているのではないかと反省せよ。自分一人が正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、
その行うところに従うがよい。

 同憲法ができた7世紀と言えば、ヨーロッパ東部ではビザンチン帝国とペルシャ帝国の覇権争いが続
き、ヨーロッパ西部ではまだフランク王国も生じておらず、キリスト教に改宗する前のゲルマン民族が諸
族たちの抗争の渦中にいるときであり、中東ではアラーの神の啓示を受けたマホメットがイスラム教を広
めていく聖戦(ジハード)が行われていた時代です。
 そんな時代にこの穏健にして徳の高い憲法が我が国で作られたということは日本人の誇りとしてもよい
ことと私は思います。

 十七条憲法の全文は下記のサイトで見られます。
 http://home.c07.itscom.net/sampei/17kenpou.html

 上記サイトに載ってますが、英訳文は下記のサイトで見られます。英米に知己のある方は紹介されてみ
ては如何でしょうか。
 http://www.wsu.edu:8080/~dee/ANCJAPAN/CONST.HTM