Subject: [ML:06724] ご無沙汰してます。
Date: Wed, 28 Jun 2000 04:18:59 +0900
From: タクラマカン

皆様
ご無沙汰してます。タクラマカンです。
先週ようやく学位論文の審査会が終了しました。7月はじめに論文を再提出、9月に学位
修得(予定)です。
さて、女性の性器切除のお話、ずっと気にはなっていたのですが、落ち着いて文章を書く
気力がないままずいぶん時間がたってしまいました。(リワキーノさん、テレビ番組の時間
帯についてのお知らせ、不親切ですいませんでした。でもビデオを見られたそうで、よかっ
たです。)議論を蒸し返すつもりではありませんが、ひと言だけ。

最近日本でも発展しつつある「進化心理学」という分野では、女性の性器切除は男性によ
る配偶者防衛の結果であると考えられているそうです。つまり性器の一部を切り取ること
で女性の性欲をなくし、配偶者が自分以外の男性の子供を産むことを防ぐ、というもので
す。中国で見られた纏足や、アラブの女性がかぶるベールも同様に配偶者防衛という視
点から説明されています。これらの文化は父性の強く、女性は配偶者である男性に完全
に依存している社会なのだそうです。
他の文化からは奇異に見える慣習が存在し、維持されているのは、それに従うことがその
文化のなかで生きていくには最良の選択であるためだと思います。女性の性器切除(割
礼という言葉はどうしても男性の割礼の意味に引っ張られる気がするので、ここではNHK
の番組で使われていた言葉を使います)についても、その文化に生きる女性にとっては、
反対するよりいやでも従うことがベターな(ベストではないのは明らかですが)選択だった
のでしょう。長い間大多数の女性が(女性というよりその親が)その選択をしてきたから、
そして男性がその選択を押し付けていたからこそ、性器切除という慣習がある社会のなか
で安定して存在しえたのだと思います。しかし、社会というものはどんどん変化します。そ
れがたとえ欧米の影響によるものであっても、変化は変化です。その変化のなかで、ワリ
ス・ディリーのような人が出てきたということは、もはやこれまでの選択が安定なものでなく
なってきたということを意味しているのではないかと思います。これまでは(今でも?)「性
器切除を受ける」という女性がマジョリティで反対する人はマイノリティであったため、反対
する人にとっては生きにくい文化だったでしょうが、そのうち比率は逆転するかもしれませ
ん。
「異文化の慣習にみだりに干渉すべきではない」という意見はこの「文化の安定性」の部
分を見て発言されているものであり、「文化と呼べるものではない野蛮な行為だ」という意
見は現れた「不安定性」に注目してのものだと思います。視点が歴史のどの部分に向けら
れているかの違いだけのような気もします。外圧による結果であれなんであれ、現在内部
から反対の声が上がっているのであれば、そのマイノリティを支持することが文化全体に
対する干渉になるとは、私は思いません。私自身は、性器切除という慣習は、子供に押し
付けられるものであること、その行為自体で利益を受けるのが男性だけであること(女性
もその行為を拒否しないことで、社会に受け入れられるという消極的な利益を受けていた
のでしょうが)、そしてなによりそれがイタイものであることから、これは消えていくべき慣習
だと思っています。「反対するだけで行動を起こさないのは体制を支持しているのと同じだ
」などとヒハンされると困ってしまいますが、無知・無関心でいることと、関心を持ち、考える
ことではおおいに違う、と思います。
日本の家父長制についても、封建社会のなかで生きていくにはそれが最も安定したやり
方だったのでしょう。現在その矛盾が表出してさまざまな女性問題が起こってきています
が、その批判は過去の家父長制(とそれを選択した人々)に向けられるべきものではなく、
現代の男性社会そのものに向けられるべきです。私は男性で、自覚はないにせよ何らか
のかたちでこの男性社会の恩恵を受けているのでしょうから(少なくとも女性が受けるよう
な不利益は被ってはいないから)無自覚のまま加害者になっている可能性もあり、女性問
題に関しても無知・無関心であってはいけないなあと思っています。「関心を持つだけで行
動を起こさないのは体制を支持しているのと同じだ」などとヒハンされると困ってしまいます
が。
というわけで、ひと言といいつつずいぶん長くなってしまいましたが、少しすっきりしました。
では。
タクラマカン

Subject: [ML:06729] Re: ご無沙汰してます。
Date: Wed, 28 Jun 2000 15:05:38 +0900
From: 奥深志

奥深志です。
タクラマカン さん
> 最近日本でも発展しつつある「進化心理学」という分野では、女性の性器切除は男性
> による配偶者防衛の結果であると考えられているそうです。つまり性器の一部を切り
> 取ることで女性の性欲をなくし、配偶者が自分以外の男性の子供を産むことを防ぐ、
> というものです。中国で見られた纏足や、アラブの女性がかぶるベールも同様に配偶
> 者防衛という視点から説明されています。これらの文化は父性の強く、女性は配偶者
> である男性に完全に依存している社会なのだそうです。

女性が、配偶者である男性に完全に依存している社会”というものを、ほとんど想像するこ
とが出来ません。家庭内の権力関係を詳細にみていけば、今言われているようなきわめ
て父権の強い社会でも、かならず、男性が口出しできない分野があるはずです。一方的な
男性と女性の支配・被支配関係を前提としていては、それでなくとも内外から見えたり見え
なかったりする複雑な男と女の様相は、さらにかすんでしまうと思います。

> 他の文化からは奇異に見える慣習が存在し、維持されているのは、それに従うことが
> その文化のなかで生きていくには最良の選択であるためだと思います。女性の性器切

 果たして人は、それほど効率的に選択しながら生きているいるものなのでしょうか。おそ
らく、自分が今どこにいて、どこに向かっているのか、誰も解っていないでしょう。それは、
女性性器を切り取る文化の人々と、それを行わないわれわれと、隔てるものではありえま
せん。彼らが奇異なら、われわれも奇異なのです。
 制度や慣習というものは、とても不思議な性質を持っていると思います。それを考え出
したら、眠れなくなってしまうので、ここでは、簡単な反論だけ出しておきます。
 制度や慣習が維持されているのは、”ひとが生きていく上でそれに合わせるのが最良の
選択だから”では、ありません。
 じゃ、なぜか?ふーむ、わかりません。

> しかし、
> 社会というものはどんどん変化します。それがたとえ欧米の影響によるものであって
> も、変化は変化です。その変化のなかで、ワリス・ディリーのような人が出てきたと
> いうことは、もはやこれまでの選択が安定なものでなくなってきたということを意味
> しているのではないかと思います。これまでは(今でも?)「性器切除を受ける」と
> いう女性がマジョリティで反対する人はマイノリティであったため、反対する人にと
> っては生きにくい文化だったでしょうが、そのうち比率は逆転するかもしれません。

 ここはとても頷けます。天秤が安定を求めて揺れているのだけれど、実は、その天秤の
軸とおもりが、常に変化していて、永久に安定は訪れない、つまり、平衡を求めて永久に
揺れ続けるイメージを、僕は社会や自然に対して抱いています。
 「異文化の慣習にみだりに干渉すべきではない」という僕の考えの根拠は、この変化の
方向に、価値付けは出来ないだろうと言うことです。女性性器を削除する習慣が、「なには
ともあれ、いつかは取り除かれるべき悪習である。」という論さえも、ほんとにそうなの?と
、疑っています。あのドキュメンタリーを見ていて、もちろん、ワリス・ディリーの鋭い訴えに
胸が痛くなるけれど、アメリカにやってきた西アフリカからの移民たちが、その国の刑法に
抵触する慣習を辞めようとしないのはどうしてだろう、という問いも、とても重要だと思いま
した。

Subject: [ML:06731] 性器切除
Date: Wed, 28 Jun 2000 19:21:09 +0900
From: リワキーノ

タクラマカン 様

ご無沙汰しております。
学位論文の審査会が終わり、9月には学位収得予定とのこと、まずはお疲れさまでした。
予定ではなく確定されることをお祈りしております。
「一言」メールを拝読いたしました。
示唆に富む内容を実に平明な文章で記され、私のように読解力の弱い者にもタクラマカン
さんの考えられたことが全てではありませんが、よく理解でき、とても心地良かったです。
順序を曲げて最初に引用したいタクラマカンさんの言葉。

>女性の性器切
>除(割礼という言葉はどうしても男性の割礼の意味に引っ張られる気がするので、こ
>こではNHKの番組で使われていた言葉を使います)

私自身、男子割礼にも反対しているのではと思われたことがありますので、タクラマカンさ
んに同じて以後、この論議を「女子割礼」改め「性器切除」としたく思います。

> さて、女性の性器切除のお話、ずっと気にはなっていたのですが、落ち着いて文章を
> 書く気力がないままずいぶん時間がたってしまいました。(リワキーノさん、テレビ番組の
> 時間帯についてのお知らせ、不親切ですいませんでした。でもビデオを見られたそう
> で、よかったです。)議論を蒸し返すつもりではありませんが、ひと言だけ。

番組の時間帯を間違えたのは私の不注意によるものでしてお気遣いは無用です。
「女子割礼」談義はいつのまにかに立ち消えになっておりましたが、決して終わったとは
思ってません。
女子割礼についての様々な情報や関連書籍を知ったこと、異文化介入論議がなされたこ
となど、色々な意義がありましたが、だからと言って言い出しっぺの私の疑問は解消され
ず、未だに納得がいかない状態であります。
私の関心は女性器切除の廃絶のことであり、それを実現させたく思っているのですが、そ
れを異文化への介入だと断じるのなら、それを論証して欲しく、それで私が納得できない
場合は私はやはり自分の心の命じるままに性器切除の風習廃絶を言い続けていこうと思
っておりました。
もちろん、海彦さんが鋭く指摘された下記の言葉

>私たちが異文化と接する際に最も重要なことは、そのことを十二分に認識しておく
>ことであり、己に誠意があり、愛情があり、正義があるということを意識的にも無意
>識的にも武器にしてしまわぬことだと思います。これは口で言うのは簡単ですが、
>実はなかなか難しいことなのです。

には重々気をつけるつもりです。これは大切なことで、このような武器だけで論議していた
のでは実態は解明されないと思うからです。

> 最近日本でも発展しつつある「進化心理学」という分野では、女性の性器切除は男性
> による配偶者防衛の結果であると考えられているそうです。つまり性器の一部を切り
> 取ることで女性の性欲をなくし、配偶者が自分以外の男性の子供を産むことを防ぐ、
> というものです。中国で見られた纏足や、アラブの女性がかぶるベールも同様に配偶
> 者防衛という視点から説明されています。これらの文化は父性の強く、女性は配偶者
> である男性に完全に依存している社会なのだそうです。

「進化心理学」という分野をほとんど知らないのですが、そこで論じられている配偶者防衛
という論は説得性のあるものなのでしょうか。それらの論をまとめた一般でも手にはいるよ
うな資料、書籍というものはあるのでしょうか。
海彦さんが紹介してくれたフラン・P・ホスケン著『女子割礼』は読み応えのあるものでした
が、この性器切除の風習は完全に男の都合、エゴによって作られたものという著者の主
張が全編を通じて繰り返し主張されているのですが、その主張を裏付ける論証がもう一つ
明確でなく、説得性を欠くものだったのです。

奥深志さんが言っておられた

>男と女の対立と、加害被害の関係図のなかにこの問題を位置づけると、
>人間の厚みが見えて来なくなるように思うのですが。

や、海彦さんが私の問いかけ

>> それがすべてとは言いませんが、女性の割礼には男のエゴの影響も多分に一つの要
>>素として存在するのではと思ってます。

に答えてくれた

>その可能性は否めませんが、ごく普通に考えて女性と喜びを分かち合えないセックス
>は男性にとっても苦痛ではないでしょうか? 私にはその点が引っかかりますので、
>これについては素直に頷きにくいのです。

の言葉には一理あると思いましたので、私はそれへの確かな反証を知りたいのです。

> 他の文化からは奇異に見える慣習が存在し、維持されているのは、それに従うことが
> その文化のなかで生きていくには最良の選択であるためだと思います。女性の性器切
> 除(割礼という言葉はどうしても男性の割礼の意味に引っ張られる気がするので、こ
> こではNHKの番組で使われていた言葉を使います)についても、その文化に生きる
> 女性にとっては、反対するよりいやでも従うことがベターな(ベストではないのは明
> らかですが)選択だったのでしょう。長い間大多数の女性が(女性というよりその親
> が)その選択をしてきたから、そして男性がその選択を押し付けていたからこそ、性
> 器切除という慣習がある社会のなかで安定して存在しえたのだと思います。しかし、
> 社会というものはどんどん変化します。それがたとえ欧米の影響によるものであって
> も、変化は変化です。その変化のなかで、ワリス・ディリーのような人が出てきたと
> いうことは、もはやこれまでの選択が安定なものでなくなってきたということを意味
> しているのではないかと思います。これまでは(今でも?)「性器切除を受ける」と
> いう女性がマジョリティで反対する人はマイノリティであったため、反対する人にと
> っては生きにくい文化だったでしょうが、そのうち比率は逆転するかもしれません。

非常に説得性のある論ですね。(私にとってですが)
私が上手く表現できないことをとても的確に説明してくださっております。
前述のホスケン「女子割礼」でスーダンでの様々な実態をかなり具体的に詳しく挙げてお
りますが、その文化内のスーダン女性だけでなく、医師や裁判官などもこの性器切除への
疑問を表明し、改善を目論見だしていることが記されておりました。

> 「異文化の慣習にみだりに干渉すべきではない」という意見はこの「文化の安定性」
> の部分を見て発言されているものであり、「文化と呼べるものではない野蛮な行為だ
> 」という意見は現れた「不安定性」に注目してのものだと思います。

慣習にみだりに干渉すべきではない、という意見が「文化の安定性」の部分を見て、という
のはよく解るのですが、野蛮な行為という意見が「不安定性」に注目したというご指摘は私
にはちょっと解りません。

> 視点が歴史のど
> の部分に向けられているかの違いだけのような気もします。外圧による結果であれな
> んであれ、現在内部から反対の声が上がっているのであれば、そのマイノリティを支
> 持することが文化全体に対する干渉になるとは、私は思いません。

まさに同感です。エミータさんもそのようなことを仰有っておられましたね。

> 私自身は、性器切
> 除という慣習は、子供に押し付けられるものであること、その行為自体で利益を受け
> るのが男性だけであること(女性もその行為を拒否しないことで、社会に受け入れら
> れるという消極的な利益を受けていたのでしょうが)、そしてなによりそれがイタイ
> ものであることから、これは消えていくべき慣習だと思っています。

利益を受けるのが男性だけである、というところはちょっと異議がありますが、子供たち
に苦痛と恐怖を強いること、そして何よりも女性の身体と健康を衛生的、生理的な面で何
のメリットもなくひどく痛めつけるこの風習はいつか消えていくと私も思います。

> 「反対するだけ
> で行動を起こさないのは体制を支持しているのと同じだ」などとヒハンされると困っ
> てしまいますが、無知・無関心でいることと、関心を持ち、考えることではおおいに
> 違う、と思います。

私もタクラマカンさんと同じ様な不安を感じますが、少なくともこのように話題にして考え、
友人、知人、私の場合大勢いる顧客層へこの話を伝えていくことによって一つの行動は起
こしていると思ってます。

> 日本の家父長制についても、封建社会のなかで生きていくにはそれが最も安定したや
> り方だったのでしょう。現在その矛盾が表出してさまざまな女性問題が起こってきて
> いますが、その批判は過去の家父長制(とそれを選択した人々)に向けられるべきも
> のではなく、現代の男性社会そのものに向けられるべきです。

まさに、まさに同感です!

> 私は男性で、自覚はな
> いにせよ何らかのかたちでこの男性社会の恩恵を受けているのでしょうから(少なく
> とも女性が受けるような不利益は被ってはいないから)無自覚のまま加害者になって
> いる可能性もあり、女性問題に関しても無知・無関心であってはいけないなあと思っ
> ています。

タクラマカンさんのお言葉に感動します。
女性であるがゆえの不利益だけでなく、不自由さについても男性はもっと配慮すべきだと
思ってます。
変な例をあげて恐縮なのですが、公衆トイレの男女不平等さを私はこういう時いつも思い
浮かべます。人の多く集まる所では常に女性の方は列をなし、男性は悠々とその前を通り
過ぎてすぐに用足しできるという光景を誰も不思議とも思わず、改善をはかろうとしません
。同じ生理現象なのにこの不平等さはあきらかに不当であり、混雑するところでは男子ト
イレの一部を臨時的に女性用に切り替えるべきではないでしょうか。

> というわけで、ひと言といいつつずいぶん長くなってしまいましたが、少しすっきり
> しました。

とてもためになるお話を有り難うございました。私は勇気が出てまいりました。
リワキーノ

Subject: [ML:06733] Re:ご無沙汰してます
Date: Wed, 28 Jun 2000 20:17:36 +0900
From: リワキーノ

奥深志さま

>  女性が、配偶者である男性に完全に依存している社会”というものを、ほとんど想像
> することが出来ません。家庭内の権力関係を詳細にみていけば、今言われているよう
> なきわめて父権の強い社会でも、かならず、男性が口出しできない分野があるはずで
> す。一方的な男性と女性の支配・被支配関係を前提としていては、それでなくとも内外
> から見えたり見えなかったりする複雑な男と女の様相は、さらにかすんでしまうと思い
> ます。

これはタクラマカンさんが紹介された「進化心理学」で論じられている論調へのご意見です
ね。
私の想像ですが「男性に’完全に’依存している社会」という書き方はもしかしたらタクラマ
カンさんの筆が滑ったのかも知れません。
私も、「男性に’完全’に依存している社会」は想像しにくいですが、でもその文化で社会的
に生存していく上で男性の意向に従わざるを得ない、男性優位が強い社会の存在は十分
に想像できます。
「進化心理学」で指している父権優位の文化とはそういう意味あいではないでしょうか。
また、家庭内の権力関係を詳細に見ていけば云々は、確かに我々日本のごく一般的な家
庭を想定しても男性が口出しできない分野がありますし、個々の面で見れば女房に頭が
上がらないいわゆる恐妻家の一面を持つ男性はどこの文化にも存在すると思います。
しかしそれらと性器切除を強いるような社会的文化的風習には一貫して一枚岩のように
支持する男性優位の支配的存在とが矛盾するとは私には思えません。

> > 他の文化からは奇異に見える慣習が存在し、維持されているのは、それに従うことが
> > その文化のなかで生きていくには最良の選択であるためだと思います。女性の性器切
>  果たして人は、それほど効率的に選択しながら生きているいるものなのでしょうか。
> おそらく、自分が今どこにいて、どこに向かっているのか、誰も解っていないでしょう。

これは奥深志さんのご意見ですね。それはそれで良いのですが、

> それは、女性性器を切り取る文化の人々と、それを行わないわれわれと、隔てるもので
> はありえません。

これは仰有る意味がよく解りません。

> 彼らが奇異なら、われわれも奇異なのです。

何を根拠にそのような断定をされるのですか?

>  制度や慣習というものは、とても不思議な性質を持っていると思います。それを考出
> したら、眠れなくなってしまうので、ここでは、簡単な反論だけ出しておきます。
>  制度や慣習が維持されているのは、”ひとが生きていく上でそれに合わせるのが最良の
> 選択だから”では、ありません。
>  じゃ、なぜか?ふーむ、わかりません。

これはちょっと無責任な論調ではないですか?
これでは反論になっておりませんよ。
奥深志さんのここで述べておられることはとても興味深いし、奥深志さんが直感的にでも
感じたことなのならそれなりの奥深志さんを突き動かす何か深い根拠があるはずですよ。
「ふーむ、わかりません」なんてのんきなこと言わずに必死に考えて下さい。

> > しかし、
> > 社会というものはどんどん変化します。それがたとえ欧米の影響によるものであって
> > も、変化は変化です。その変化のなかで、ワリス・ディリーのような人が出てきたと
> > いうことは、もはやこれまでの選択が安定なものでなくなってきたということを意味
> > しているのではないかと思います。これまでは(今でも?)「性器切除を受ける」と
> > いう女性がマジョリティで反対する人はマイノリティであったため、反対する人にと
> > っては生きにくい文化だったでしょうが、そのうち比率は逆転するかもしれません。
>  ここはとても頷けます。天秤が安定を求めて揺れているのだけれど、実は、その
> 天秤の軸とおもりが、常に変化していて、永久に安定は訪れない、つまり、平衡を
> 求めて永久に揺れ続けるイメージを、僕は社会や自然に対して抱いています。

いかにも奥深志さんらしい深みのあるお言葉ですね。
何か心に響くものがあります。いや、よく解るというのではないのですが・・・

>  「異文化の慣習にみだりに干渉すべきではない」という僕の考えの根拠は、この
> 変化の方向に、価値付けは出来ないだろうと言うことです。女性性器を削除する
> 習慣が、「なにはともあれ、いつかは取り除かれるべき悪習である。」という論さえ
> も、ほんとにそうなの?と、疑っています。

いつかは取り除かれる、いや、永久に取り除かれない、など誰にも断定はできないでしょうね。
でも私は取り除かれることを希望し、そのようになるよう努力したいです。
なぜなら、その風習自体が私には受け入れがたいものであり、しかもそれを廃絶すること
を妨げるべき何らの正当な理由を見出せないからです。
異文化への不当な介入というお題目だけではとても説得はされません。
性器切除への問題が異文化への不当な介入ということを論理的に説明していただき、そ
の害を具体的事例をあげて認識させてもわらなければ私だけでなく、性器切除に反対す
る人達を説得することは無理だと思います。
逆に言えば私がそのようにすることを正当化する客観的な根拠を提示できないのも事実
でして私が正しいなどと言うつもりは毛頭ありません。

> あのドキュメンタリーを見ていて、もちろ
> ん、ワリス・ディリーの鋭い訴えに胸が痛くなるけれど、アメリカにやってきた西ア
> フリカからの移民たちが、その国の刑法に抵触する慣習を辞めようとしないのは
> どうしてだろう、という問いも、とても重要だと思いました。

重要です。その問いは持ち続けます。多分何らかの理由があるはずです。
なお、秋道さんが紹介されてた『講座・人間と環境5・出産前後の環境(からだ・文化・近代
医療』の中に収録されている「女性性器切除・文化という暴力」の章は、実に客観的かつ
簡潔にこの問題について記されてあり、非常にハイレベルな内容ですので、まだのようで
したら一読をお薦めいたします。
ホスケンの「女子割礼」よりも短いのに内容は大変濃いものです。
秋道さんに頼めば8掛けで手配してくれることはご存知ですよね?
リワキーノ