Subject: [ML:06349] Re:女性の割礼
Date: Tue, 2 May 2000 18:13:07 +0900
From: リワキーノ
海彦様
> な割礼が行われているケースもあるという話を聞いたことがあります。リワキーノさんのお
> 姉さんたちが問題視しているのは多分そのことについてであり、割礼一般についてで
> はないように思うのですが、如何でしょうか?
まさにその通りです。私は割礼一般について否定するつもりは毛頭ないですし、姉も間違
いなくそうだと思います。
女性の割礼が心身をひどく傷つけるものでなく、男の皮をちょっぴりと切る程度のものだ
ったら私は何とも思わなかったでしょう。
リワキーノ
Subject: [ML:06350] Re:女性の割礼
Date: Tue, 2 May 2000 18:45:25 +0900
From: リワキーノ
エミータ様
私の知りたい「女性の割礼」のほとんどのことを教えていただきまして有り難うございました。
女性の問題に関することはエミータさんとマホさんがいらっしゃるおかげで何事もたちどこ
ろに情報が得られ、本当に有り難く思っております。
> 作った当時(もう4?5年前です)、各地の女性センターなどで、上映会を
> しましたので、菜穂子さんもどこかでそれをご覧になったのではないかと思います。
同じアルバトロス・クラブのメンバーが制作に関与していたということに菜穂子さんもさぞか
し驚かれたことでしょうね。
> このFGMは、海彦さんがおっしゃっていたように、主に中近東からアフリカ諸国
> で今も行なわれており、現在でも地球上で約1億人の女性がこれを受けていると
> 言われています。マリ、スーダンなど、女性の9割近くが受けているという国も
> あります。イスラム圏の国が多いため、「イスラムの教えだ」といってこれを
> 強制されることも多々あるようですが、もともとイスラム教とは直接関係ない
> 習慣です。
いおり爺さん、海彦さん、エミータさんが共通して記された「イスラム教とは直接関係ない
習慣」の言葉に私は大変安堵いたしました。
私はイスラム教そのものは詳しくありませんが、イスラム教徒の人には畏敬の念を抱いて
おりますので。
> FGMにはいくつか種類があり、いおり爺さんがおっしゃっていたような、性器に少し
> 傷をつける程度のものから、外性器全体をえぐり取り、それを縫合する、という
> 非常に危険なものまであります。アフリカ諸国ではこの後者が行なわれていると
> ころも多く、そのために命を落とす女性もいます。
> FGMから逃れるため、海外へ亡命する女性も少なくありません。
> 私は残念ながら読んでいませんが、去年かおととし出版された『ファウジアの
> 叫び』という本は、FGMを逃れてアメリカに亡命した女性のノンフィクション
> らしいです。
これ以下のエミータさんの記述はご自身、「思い出すだけで胸が痛くなるようなしんどい話
ですので」と述べておられるような辛いものですから、ここでの引用は省きますが、私は、
これが異文化への不当な干渉かどうかは確認できなくても女性の割礼のことは放ってお
けないと思いました。
しかし、「臭い女」の話しは悲惨ですね。
> なぜこんなことが行なわれるのか?ごくおおざっぱに言ってしまえば、FGMの目的は
> 女性の性欲を奪い、思い通りの従順な女にするためでしょう。
何でも男と女の対立という観点で見る危険性を奥深志さんが指摘しておられましたが、女
性の割礼についてはエミータさんの仰っていることもかなり当たっているのではないでしょ
うか。
> 自分の文化のものさしで他の文化を野蛮だとか残酷だと決めつけるのは傲慢だ、野蛮
> だからやめなさいというのはおせっかいだ、といういおり爺さんや奥深志さんのご意見は
> もっともですが、ことFGMに関しては、男性の割礼とは比べ物にならないほど危険な
> ことが行なわれており、これはとても「文化」というものではないと思います。
確信はできないのですが、私も「文化」と言えるものでは無いと考えます。
> 日本でもFGMに反対して活動しているグループがありますが、私の知っているグルー
>プの人たちは非常に慎重に、FGMに反対して立ち上がったアフリカの女性たちのグルー
>プを支援する、という形で活動していました。
そのバンド(集団)の人達の活動を支援する、という形でしたら、異文化への介入というこ
とにはならないと思われます。
> 『戦士の刻印』のビデオは横浜の「横浜女性フォーラム」、「フォーラムよこはま」、
> 東京の「東京ウイメンズ・プラザ」、大阪の「ドーン・センター」などの主な女性セン
> ターのライブラリで見られます。横浜市女性協会情報グループ(TEL045?224?
> 2002)に連絡していただければ、購入も可能です。
ドーン・センターは行きやすいところですので、一度訪ねてみます。
> このビデオの他の資料としては、海彦さんがあげられていた『女子割礼』や、アリス・
> ウォーカーが映像製作と同時に書き上げた小説『喜びの秘密』柳沢由実子訳(集英社)
> 、『ファウジアの叫び』(出版社はわかりません。読んでいないのでおすすめできるも
> のかどうかもわかりません。)、それにユニセフなどの国際機関が出している女性とリプ
> ロダクティブ・ライツに関する報告書などもあるはずです。
> これも女性センターのライブラリで聞いてみて下さい。
> 関連のウェブサイトもいくつもあるはずです。
姉が読んだ本は「砂漠の女・デイリ」(草思社)だそうで、かなりミーハー向けの読み物だ
そうです。
> 疑問に感じたことを納得がいくまで調べようとされるリワキーノさんの姿勢は本当に大事な
> ことだと思います。事実誤認からくる新たな偏見を生まないためにも...。
有り難うございます。
しかし、このようなデリケートな問題は、いおり爺さん、奥深志さんのようなアドバイスがあ
ってこそ、大きな偏見に捕らわれる危険性から守られて論じられていけるものだということ
も感じております。
本当に貴重なメールを有り難うございました。
リワキーノ
Subject: [ML:06350] Re:女性の割礼
Date: Tue, 2 May 2000 18:45:25 +0900
From: 奥深志
奥深志です。
[["Moriwaki <hmpiano@d1.dion.ne.jp>"]]さん
> > 女性の割礼に戻りますが、これで得をする人はいるんですか? 傷つく人がいる
> > のみです。文化の壁はありますが、たとえば捕鯨の問題より、その問題のアクタ
> > ーの関係性がとっても単純のように思います。やはり明らかに直接傷つけられる
> > 人がいる慣習は改善されるべきだと思います。誰がどのように、という段階に進
> > むときに、文化の壁が出てくるわけですが、でも、これって文化の問題かな?
> > という気がする。やはり男と女の壁でしょうか?
>
> この論議が始まる前だったら私は断然、捕鯨の問題と女性の割礼の問題は別物だ
> と言ったことでしょうが、今では確信できなくなりました。
> これについては皆さんの色々なご意見を聞きたいです。
誰かが、他者に接触する場面を見るとき、二つのありかたに分けて考える事にしていま
す。つまり、理念を持って接触しているか、欲望のままに振る舞っているかです。
理念をもって接触するとは、政治的、宗教的、人道的、その他ありとあらゆるXX的、つま
り一定集団が抱える特定の理念を背景にして、それを絶対的な善として、他者に接触する
やり方です。
「残酷なことだからやめさせなければならない。」、というとても普遍的に見えてしまう意見
も、それが普遍的どころか暴力的な介入と受け取られてしまう場面がありうるという認識
は、とても大切なことだと、僕は思っています。
割礼の慣習をやめないのは、外側からは絶対に見えない、そもそも内側からさえ見えてこない、その社会を構成し維持する関係性の根っこと関わっているからではないのでしょうか。であるならば、残酷であるといういわば理由にもならい理由でそれを禁止することは、
その社会の安定的なバランスを壊すことにつながるのではないかと思います。
逆に言うならば、その社会が割礼という慣習と密接に関わる根幹を失ってしまえば、禁
止しなくてもその慣習は廃れてゆくでしょう。日本の社会を振り返って見ただけでも、日本
が農業国家から近代国家へ変遷してゆく過程で、外部からは奇妙に見えた風習(腹切り、
お歯黒,ETC)は、跡形もなく消え去りました。
ただし、割礼の慣習を維持する社会と、割礼の慣習を必要としなくなった社会と、どちら
がすてきかの判断は、誰にも出来ないでしょうが。
奥深志
Subject: [ML:06358] 異文化への介入
Date: Wed, 3 May 2000 03:46:42 +0900
From:菜穂子
菜穂子です。
Moriwaki wrote:
> > 私たちがアジアで実施する事業の中で、ベトナムの栄養改善事業も含め、初乳に
> > 関する指導も行っています。「汚い」から飲ませないという正しくない慣習を改
> > 善するためです。
>
> これも見方によっては異文化への介入になるのでしょうか。
介入ということばのニュアンスに抵抗を感じますが、でも、確かに、私が勤めるNGOの活
動は、日本の組織が、普遍的な理念のもとに、他の文化圏、他国に入っていく側面は持っ
ていると思います。
でも、私たちの活動は決して一方的な押しつけではありません。先に紹介したベトナムの
事業でいえば、事業はベトナム政府の国家政策に則ったものです。ベトナム政府は具体
的な数値をあげての栄養不良児の削減目標を掲げており(詳細はいまわかりません)、私
たちはその目標達成のために、実務を担っています。
といっても、現場での事業はほぼ現地の人によって運営されています。私が勤める組織で
いえば、現場にいる日本人は駐在員ひとりで、残りの職員(3,4人)はみなベトナム人ですし
、やはり事業の担い手は各地のパートナー、人民組織の人たち、すなわちベトナム人です
ね。たとえば子どもの体重を量ったり、村の母親に指導をするのは人民組織の人たちで
す。運営もモニタリングも彼らが実施します。人民組織の人たち自身、自分たちが活動の
担い手であるという意識が高く、だからたとえば支援者が現地を訪問することになっても、
「支援してくれてありがとう」という意識ではなく、「これは私たちの自慢の活動です」と披露
してくれる、そんな感じです。
ネパールでは、学校に行けない子どもたちを対象にした、読み書きや計算など基礎的学
力と、基礎衛生などの知識を収得してもらう教室を村々で開いています。農業の手伝いや
家事手伝いや幼い弟妹の世話で、学校に通えないでいる子どもたちが比較的時間のある
朝の7?9時に毎日、約1年間通うものです。
読み書きや計算ができないことは、病気になって薬を買っても処方箋が読めないというこ
とであり、お店に行ってお釣りをごまかされても気づかないということです。
事業を始める前に、まず現地職員(ネパール人)がある村に行き、村人に集まってもらい
、子どもの教育の重要性を話した上で、この事業を受け入れるのかどうか話し合いをして
もらいます。この教室の先生も、村人から選んでもらいますし(後に研修参加あり)、教室
の場所も提供してもらうのが前提です。
わずかですが、参加料も徴収しています。ただし、これは教室修了後、公立学校へ編入す
るときに必要な資金の貯金みたいな位置づけで、私たがもらうものではありません。子ど
も自身、そして家族、地域社会が子どもの成長を通して、教育の重要性を認識し、子ども
が公立学校(地元にあるリソース)に編入するのが目的の事業になります。
活動の担い手ですが、やはりネパール人です。ネパールでは現地のパートナーがいない
直接事業ですが、やはり日本人はひとりだけです。現地の職員などこの道数十年という強
者がいて、私などまったく頭があがりません。
もちろん、事業を進めていく上、日本人は参加しています。でも、日本人から計画を押しつ
けるというものではなく、お互い持っているものをうまく掛け合わせて、効率よく成果を生み
出していかなくてはなりません。その効率性は、やはり現地にあるリソースを活用すること
抜きには達成しえないようになってます、やっぱり。現地の文化への配慮なしに私たちの
活動が入って行ったら徒労ばかりです。
違う側面からも少し“介入”について。
どんなに山奥深くに住んでいても、もう世界の流れから無縁でいられない時代です。私た
ちが“介入”しなくても、たとえばある日突然、北のブルトーザーが、南の森林を伐採してい
く時代です。また、インターネットが今後異文化や貧富をどのように跨いでいくのかよくわ
かりませんが、いままでの垣根を超えて新しい文化(というか文化の融合でしょうね)や関
係性を築いていくと思います。
また、どこに境界線を引いて、ひとつの文化を括るんだろう、と考えることがあります。
転勤族の子だった私は、現在大阪に住んでいるわけですが、時々、大阪人の大阪へのこ
だわりに驚くことがあります。最近読んだ『笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道』(
木村雅雄/集英社新書)の中でも、東京への吉本進出を「大阪への離別ではなく、東京
への侵略」「東京の吉本化」と書いてあるのがその典型例にも思えます。
日本という文化ももっと細分され得るし、逆をいえば、人間という文化があり得るってことに
はならないのかな?
ただし、相手が「あなたは異文化だ」と反応した場合には、やはり文化の境界線があるも
のとして行動する(あるいはしない)べきですよね。
これはもともとリワキーノさんが「女性の割礼」というタイトルのメールを受けてお答えにな
ったものへの意見表明だったのですが、話が大きくずれてしまいました。で、最後にやはり
少しだけ女性の割礼に戻りますが、女性への割礼はやはり文化ではなく、男と女の問題
だと思います。極端な言い方になりますが「異文化への介入」は隠れ蓑に過ぎないのでは
、と思っています。でも誰のなんだろう?
長くなりました。
菜穂子
Subject: [ML:06359] Re: 女性の割礼
Date: Wed, 3 May 2000 03:46:55 +0900
From: 菜穂子
菜穂子です。
奥深志 wrote:
> 理念をもって接触するとは、政治的、宗教的、人道的、その他ありと
> あらゆるXX的、つまり一定集団が,> を絶対的な善として、他者に接触するやり方です。
> 「残酷なことだからやめさせなければならない。」、というとても普
> 遍的に見えてしまう意見も、それが普遍的どころか暴力的な介入と受け
> 取られてしまう場面がありうるという認識は、とても大切なことだと、
> 僕は思っています。
最初に読んだ時に、「絶対的な善」ということばに引っかかりました。私が勤めるNGOでは
以下のような理念(vision)を持っています。
Save the Children works for:
a world which respects and values each child.
a world which listens to children and learns.
a world where all children have hope and opportunity.
確かに組織として行動するときに、組織がぶれないようにするために、限りなくエッセンス
を凝縮させて、絶対に近いものを掲げ、行動するように思います。理念とは、組織のアイ
デンティティをことばに置き換えたものですよね。
ただ、他者への関わり方は慎重であるべきというご意見はまったく反論はありません。
私たちの理念は、このメールで使われている表現を借りれば、他者との接触の中で、生ま
れてきたものです。むしろ、自分たちを他者の代弁者として位置づけています。奢っている
、という意見が噴出しそうですが。
でも、日本では強固なアイデンティティを打ち出そうとし(なかなかうまくいかず苦しい!)、
現場の活動は限りなく慎重なつもりです。
聞かれたわけでもないことをいろいろ書いてしまいました。私自身、職員として「いったい
私は何をしているんだ?」とネガティブに我に帰ったとき、理念というか、その簡潔な哲学
でもって、すごく観念的なところで自分を支えている、ということが時々あるので、つい自己
弁護的、自己分析的コメントをいろいろと。
> 割礼の慣習をやめないのは、外側からは絶対に見えない、そもそも内
> 側からさえ見えてこない、その社会を構成し維持する関係性の根っこと
> 関わっているからではないのでしょうか。
女性の割礼に限っていえば、本当に外から絶対見えない、内側さえ見えていないんでしょ
うか? 見えないとかりに断定されてしまえば、そこで反論する余地は与えられないわけで
、といっても、反論に足る裏打ちする情報をいま持ってないので、また調べてみます。慣習
がその社会の何を構成し、どんな関係性をつくっているのでしょうか、ということですよね。
しかし、結局、知的作業をするのみにはまってしまいそうで、自己嫌悪に陥ります。
菜穂子
Subject: [ML:06369] Re: 割礼
Date: Thu, 4 May 2000 08:35:29 +0900
From: いおり爺
Moriwaki wrote:
> アルバトロス・クラブの多くの女性達から「いおり爺さんって素敵、カワイ?」なんて賛辞
>を散々聞かされております。念のために断っておきますが、女性が男性に対してカワイ
>って言うのはかなりの誉め言葉なのであります。
日本語学習をやりなおさねばならないナ。正確な解釈が出来れば、遺伝子拡汎に資する
やもしれんが、間違うとセクハラだもんネ。
男を指して「カワイイ」とは腐った男すなわち軟弱、オカマ、いじめられッ子のことで差別と
偏見と蔑視だ。
男は褒められるのをあまり喜ばない。
近頃わからないことが多すぎる。その中に蔑視語がある。
儂の兄はビッコだが「足の不自由な人」とは言うな、一語で確定出来る単語があるのに使
わないのはおかしいと言っていた。
3音節ですむのになんで10音節も使うのかと。文章にならないそうだ。
なんで盲が差別用語なのかわからない。明確な回答を欲しい。
朝鮮人と言えば差別で、朝鮮の人と言えばいい言葉になる。奇妙なり。
インドネシア華人を土地ッ子はウンチ(女)ウンコ(男)という。
ドキッとしたがそれは日本語の中だけでの話しだよな。
「もの言えば、唇寒し 秋の風」
> 現在のいおり爺さんの心境はアラビアのロレンスですか!
滅び行く者は滅びる。弱肉強食。適者生存は止められない。
夜中の映画ダンシング ウイズ ウルフズを観た。
哀しい物語でも正義は勝つ。ネーテイヴはリザヴェーションで細々と酒飲んで暮らす。地主
だったのに。2百年もたっていない昨日の事。
正義の皆殺しか。合衆国が正義だと言うんでね、多分正しいのだろう。
儂は馬乗りだから、物語以上にその騎乗シーンが圧巻だった。
日本には過去も現在も儂の好きな騎乗文化と帆走文化は皆無。
> いおり爺さんは70代ですか。
そうです。一桁です。
戦争世代飢餓世代の生き残り天然記念物です。希少動物を守りましょう。老人を労りまし
ょう(価値を見出せなければ口先で終わる)老人の知恵はTVに盗られたから価値はない。
M/Lの特質は時間世代を越えられる事ですが、
時代は変えられないのがモンダイです。儂等の青春主題 戦争と飢餓を知らない知性集団
と話すのはツライ。知らぬがホトケと言うでしょ。一寸先は闇ともゆーのに。
{健康の秘訣} ストレスを溜めない事。動物的その日暮し。
幼児系いいたい放題やりたい放題、で天に唾する如しとなる。
人科は群れの動物だったのを、今気がついてももー遅い。憐れ!
いや人科は猿のテイオニイ(幼児退行)だと言っても誰も聞く耳持たない。
Subject: [ML:06373] Re:性の文化的多様性
Date: Thu, 4 May 2000 19:08:01 +0900
From: リワキーノ
菜穂子様
> 女性の割礼の議論の中で同性愛についても、話題になっていたので少しだけ。
> 免疫学者の多田富雄(スーパーシステムといったほうが「あぁ」と思ってもらえ
> るのかもしれませんが)が、こんなこと書いてます。
> 「外性器の形だけから、本当に男か女を確定できるだろうか。それは単に、男と
> して、あるいは女として育てるための条件に過ぎないので、実際には外性器が女
> の形をした男性も、その逆のケースもしばしば見られる」
> 「同性愛の成立の要因として、従来はフロイト的解釈に基づく、幼児体験や生活
> 環境を重視してきたが、どうやらそれは、もっと生物学的、解剖学的なものに規
> 定されているものらしい。そうだとすれば、同性愛を異常性欲として差別した
> り、道徳的に非難したりすることは全く根拠のないことである。同性愛はまさし
> く、人間の性の生物学的多型性のひとつの形なのである」
> 「私には間性も、間性的行動様式も、自然の営みの多様性の中で位置づけられる
> べきと思われる。性の多様性が、基本的に生物学邸に必然としたら、それを基礎
> にして生み出される性の文化的多様性も受け入れられるべきであろう。女と、そ
> の加工品である男だけという単純化された性と、それによって営まれる生殖行動
> しか存在しないよりも、さまざまな間性と間性的行動を持った人間の方が、生物
> 学的も文化的にもより豊かな種のように思われれる」
紀伊国屋ブックウエブで知ったのですが、多田富雄氏は「白洲正子を読む」の著者な
のですね。
上記のことが書かれているのは何というタイトルの本でしょうか?
読んでみたいと思っておりますので。
> 私はかつてレズビアンの友人と一緒に住んだことがあります。彼女と住み始めた
> 頃、彼女は「私は同性愛者かもしれない」と気づき、悩みはじめた頃でした。彼
> 女は自分のセクシャリティにとまどい、「自分は異常なのかもしれない」と自己
> のマイナスなイメージに苦しんでいました。でも、多くの同性愛者に告白をし、
> そのプロセスで「自分が同性を好きになってしまうのはとても自然なのだ」と、
> 自分のありのままの姿を積極的に捉えるようになりました。
私にも何人かのホモセクシュアルの友人・知人(すべて男性)がいますので、菜穂子さ
んの仰ることがよく解ります。
同性愛を否定し、拒絶することによって彼らがヘテロセクシュアリティに変わり得る
というのなら話は別ですが、それが不可能であり、その人が選択の余地が無く同性愛
者となっている以上、それを受け入れてあげ、尊重するのが正義ではないか、という
のが私の気持ちです。
> 大半のホモセクシャリティの人たちとって、自分がそうであることに気づいたと
> きに、大喜びする人はいないと思います。「自分はおかしいのではないか」とつ
> らい孤独な自己認識への扉を開いてしまったのですから。
同感です。
性欲を抱くことだけに限定しても、ヘテロの場合、それを他者に見て取られてもニヤニヤさ
れるか好意的に茶かされる程度ですみますが、それがホモセクシュアルの場合、気味悪
がられ、激しい拒絶を受けることが多く、同性愛者は性に関しては常に己の性癖を隠し続
けなければならない日陰者的道を歩み続けるのです。
若いころ、ヘテロとしての己の性欲に苦しめられた辛さを思えば、彼らの辛さ、孤独さがど
んなものであろうかと想像してしまいます。
>でも、それでもやはり、ホモセクシャリティの人たちにとって、同性の人を好き
> になるのは、ヘテロが異性を好きになるのとまったく同じでとても「自然」なこ
> とです。趣味でもなく、異常でもなく、少数派なだけなので、私は、その「自
> 然」を尊重するデリカシーは持っていたいと思います。
私のホモセクシュアルの人達への偏見を完全にぬぐい去らせたのはキューブラ・ロスの「
エイズ、死ぬ瞬間」という本でした。
この本でホモセクシュアルの人達がヘテロと変わらぬ、否、ある場合、むしろより崇高な愛
情関係で結ばれていることに深い感銘を受けたからです。
エイズが日本で大問題となったとき、テレビでインタビューを受けた専門医が「私はエイズ
患者と接しているうちに同性愛者への偏見を大きく変えさせられた」とコメントしていたこと
があります。
彼ら同士の愛情に胸を打つようなものがあることを知ったからこそ、自然の摂理に反しよ
うが、その医者は考えを変えていったのではないでしょうか。
ただし、同性愛行為を行う人の中には趣味の人もいますね、俗に言う「両刀使い」です。
私が短い間接したある男もそのような性癖でして、私もその’趣味’を勧められたことがあ
りました。このタイプに対しては私はノーコメントです。
リワキーノ
Subject: [ML:06374] Re:女性の割礼
Date: Thu, 4 May 2000 19:32:52 +0900
From: リワキーノ
奥深志様
奥深志さんの文章は難解だ、と記して本当に失礼いたしました。
エミータさんとのやりとりやこのメールはとても解りやすいです。
> 理念をもって接触するとは、政治的、宗教的、人道的、その他ありと
> あらゆるXX的、つまり一定集団が抱える特定の理念を背景にして、それ
> を絶対的な善として、他者に接触するやり方です。
これは大変多い事例ですね。
> 「残酷なことだからやめさせなければならない。」、というとても普
> 遍的に見えてしまう意見も、それが普遍的どころか暴力的な介入と受け
> 取られてしまう場面がありうるという認識は、とても大切なことだと、
> 僕は思っています。
これにはまったく反論はありません。
ただ、それが女性の割礼と捕鯨問題が同列に論じられるかという段になると私は疑問を
抱きます。今のところそれは違う、とも言いうる自信もないし、またそうである、とも思えな
いのです。
女性の割礼と捕鯨問題も同じものだと、もし、奥深志さんが思われるのなら、そのことをも
う少しお話いただけたら大変嬉しいのですが。
> 割礼の慣習をやめないのは、外側からは絶対に見えない、そもそも内
> 側からさえ見えてこない、その社会を構成し維持する関係性の根っこと
> 関わっているからではないのでしょうか。であるならば、残酷であると
> いういわば理由にもならい理由でそれを禁止することは、その社会の安
> 定的なバランスを壊すことにつながるのではないかと思います。
何度も記しましたが私は割礼についてはまったく反対しておりません。
ここでは割礼をある集団のある慣習の象徴的例として挙げておられるというのなら私は奥
野さんの見解に反論はまったくございません。
> 逆に言うならば、その社会が割礼という慣習と密接に関わる根幹を失
> ってしまえば、禁止しなくてもその慣習は廃れてゆくでしょう。日本の
> 社会を振り返って見ただけでも、日本が農業国家から近代国家へ変遷し
> てゆく過程で、外部からは奇妙に見えた風習(腹切り、お歯黒,ETC)は、
> 跡形もなく消え去りました。
農業国家から近代国家へ変遷してゆく過程でそうなったのかは私には何とも言えません
が、おっしゃることはとてもよく解ります。多分そうだろうと思います。
> ただし、割礼の慣習を維持する社会と、割礼の慣習を必要としなくな
> った社会と、どちらがすてきかの判断は、誰にも出来ないでしょうが。
誰にも出来ないでしょう。
リワキーノ