「会話体主義」に強い懸念 毎日新聞夕刊記事2004/03/10
ノーベル賞作家の大江健三郎さんが5日、東京・有楽町の外国特派員協会で「日本人の自己表現の文体」と題して講演し、現代日本の政治やメディア、出版界を席巻している「会話体主義(カンバセーショナリズム)」への強い懸念を表明した=(写真)
見せかけの調和を目指し、論理性を欠く「会話体」は、思考や書き言葉にも影響を与え、政治家のあいまいな発言を見抜く力の低下につながっているというのだ。今発言は94年のノーベル賞受賞講演のテーマ「あいまいな日本の私」の続編ともいえそうだ。
大江さんは冒頭、「私の日本語は難解で評判が悪いので」「翻訳を頼む勇気がない」とユーモラスな前置きをして、用意してきた英文原稿を読み上げた。
まず、昨年亡くなった思想家・エドワード・サイード氏や日系米人思想家、ミヨシ・マサオ氏らが約10年前に「日本の文化が国際的影響力を欠き、慢性的な衰退症状を起こしている」と指摘したことを引用し、「その傾向はより鮮明になっている」と述べた。
大江さんが深刻な問題と見なすのは、日本文化がテレビのトークショーや座談会など会話体による表現に支配され、書き言葉の比重が質量ともに落ちていること。会話体は散漫でまとまりがなく、たとて合意ができなくても、あとでいい直したり引き下げたりできるなど書き言葉の厳密さや論理性がないというのだ。
大江さんは「いま日本では、会話体主義が支配的なモードとなっている。会話体とは、合意の気分にもとづく文体であり、しっかりした証拠をもとにした反論を伴わない」と批判的だ。若手作家の文体についても「大ベストセラーを含め、話し言葉を基本的作法としている。こうした傾向は出版界全体に及ぶ」と憂慮する。
それは政治の世界での文体にも表れており、たとえば、小泉内閣の高い支持率は「中身のない構造改革という公約や発言が支え、首相を中心に、いつわりの一体感が形成されている」と述べた。
こうした日本文化の衰退を食い止めるためには、まず「仲間うちの調和を保つことだけが目的であるような会話体主義のムードを崩し、理性的な議論を復活させることが必要だ」と提案する。
また、政治指導者の実体のない発言を例に「論理性を正面に立てる発言、それを受けとめる力を育てねばならない。知識人の役割は政治的な発言のあいまいさを特定できる若い世代を育てることだ」と強調した。
「日本では言論の自由が制限されているのではないか」との質問に対し、大江さんは、「言論の自由はあるが、その権利を使うことに大人も若者も関心がない。若い人には、正確に自分の意見を表明する習慣を作ってほしい。正確に表現していれば、正確に受け取ってくれる人がいるのだから」と締めくくった。