私の好きな漢詩(1)
漢詩というと、皆さんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか。
1.いかにも堅苦しく、漢字の羅列は解説を読まなければ意味も解らないものが多い。
2.花鳥風月や男性の情誼、信義、そして憂国を歌ったものが大半を占めて恋愛ものが極端に少
なく、エロスやロマンティックさに欠ける。
3.本来、中国語の四声(しせい・中国語独特の音韻)に沿って発音する詩だから日本語の音読
み、訓読みでは本当の漢詩のニュアンスは解らない。
4.紋切り型の表現が多く、陳腐である。
1、2、3はまさに指摘されるとおりなのですが、それでも意味が解らなくても漢詩を日本語の音訓
を交えた状態で口ずさむとき、何とも言えぬ詩情を感じるのは私だけではなく、古来、多くの日本
人が共有してきたという歴史的事実があります。
4、についてはこれは大きな誤解であり、中には前衛、と言ってもいいような表現があります。
3、の指摘にしても、確かに下記の李白の七言絶句の漢詩
故人西辞黄鶴楼。煙花三月下揚州。孤帆遠影碧空尽。惟見長江天際流。
を中国語で発音すると下記のようになります。(カタカナではとても正確な発音は表現できないの
であくまでイメージとして捉えてください)
クーレン シーツー ファンフーロウ
イエンフォア サンイエー シャーヤンジョー
クーファン ユワンイエン ピークンチン
ウエンジェン チャンジャン テンジーリョウ
これを日本語の音読みでやや中国読み風にリズムをつけて詠むと
コージン セイジー コウカクロー
エンカー サンゲツ ゲーヨウシュー
コーハン エンエイ ヘキクウジン
シーケン チョウコウ テンサイリュー
各段の発音は何となく共通しているところがあるように思われませんか。
でも中国語の詠みは正確に発音されていたら中国人には意味が判り、漢字もイメージできるのに
比べ、日本語の詠みは、日本人でも発音だけでは何のことか皆目見当もつかなければ、該当する
漢字も想像もつきません。
それなら我々日本人は中国の膨大な量の漢詩を楽しむことができないのでしょうか。
では、この漢詩を国訳読み(読み下し文)で詠んでみましょう。
故人、西のかた、黄鶴楼を辞し。煙花三月、揚州に下る。
孤帆の遠影、壁空に尽き。惟(ただ)見る、長江の天際を流るるを。
どうです?意味は不明なところはあっても何となく、この漢詩の描く風景というものが見えてき、朗
詠も詩的には感じられませんか。
もう一つ、次の詩を見てください。晩唐の詩人鄭谷(ていこく)の友を送る送別の七言絶句です
揚子江頭揚柳春。楊花愁殺度江人。数聲風笛離亭晩。君向瀟湘我向秦。
揚子江頭(ようすこうとう)、揚柳(ようりゅう)の春。揚花(ようか)愁殺(しゅうさつ)す、江(こう)を
渡るの人を。数聲(すうせい)の風笛(ふうてき)、離亭(りてい)の晩。君は瀟湘に向かい、我は秦
に向かう。
音読みと訓読みとが見事にまざりあい、しかも揚子江、楊柳、楊花と同じ音の出だしの句が続いて
一種の韻を含ませており、独特の雰囲気を出しているようには思われませんでしょうか。
漢詩を中国語読みとは違った日本語読みで詠んでその雰囲気を楽しむ、と言うのも独自の詩文の
世界を作り上げている、と私は思ってます。
この漢詩を日本語で楽しむ喜びを少しでも多くの皆さんに知っていただきたく、いくつかの漢詩を、
それは私の独断と偏見で選んだものばかりですが、ご紹介していきたいと思います。
それでは最初に、例としてあげた李白の七言絶句を紹介いたしましょう。
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に行くを送る」という長い名前の題です。
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
惟見長江天際流
「春眠暁を覚えず」で有名な孟浩燃が遠くへ旅立つのを李白が送ったときの送別の詩です。
・詠み
故人、西のかた、黄鶴楼を辞し。煙下三月、揚州に下る。
孤帆の遠影、壁空に尽き。惟(ただ)見る、長江の天際を流るるを。
故人とは死んだ人のことではなく、中国では古くからの友人を指す。
黄鶴楼とは長江(揚子江)に臨む景勝の地(現在の湖北省武昌市
)にあった楼閣で漢詩によく歌われる。
碧空→紺碧の空
煙花→モヤやカスミに包まれた花
・訳
わが親しき友、孟浩然は、ここ西のかた黄鶴楼に別れをつげ、花さえもかすむうららかな三月、遠く
揚州に下ってゆく。ぽつんと、ただ一つ遠ざかる帆影は、やがて碧空(おおぞら)のかなたに消えた。
茫然と広がる視界のうちを、いまはただ長江の水だけが、遠く天空の果てへと流れつづける。
信義を重んじ、他人の窮乏を救い、出世への願望はあるのに友人と飲酒に興じてしまうと有力者と
の約束もすっぽかしてしまう、という磊落な性格の孟浩然を10歳年下の李白は深く敬愛したようで
す。
私は友人、知人などの送別会の席ではしばしばこの漢詩を詠みます。
京都府京田辺市に住むアルバトロスクラブの仲間が九州の離島の島守として赴任するときの送別
の席では、この詩を作り変えて送別の辞としました。
故人、西の方、洛南の地に別れを告げ、煙花三月、九州に下る。
孤帆の遠影、碧空に尽き、惟見る、瀬戸内海の天際を流るるを。