私の好きな漢詩(2)
中国の詩人の中で有名な酒好きは陶淵明、李白、白居易だそうです。
陶淵明は「五柳先生伝」によると、ある程度酔えれば十分という飲み方だったようであり、白居易も
何かにつけ飲酒を好んだようですが、李白ほどでは無かったようです。
「李白は一斗飲む間に詩を百編作った」と杜甫が詩に歌っているように李白の酒豪ぶりはけた外れ
でした。
しかし、「李白・詩と心象」や「中国詩選・唐詩」(いずれも社会思想社教養文庫)の著者松浦友久氏
の解説によれば「かれの飲みかたは、快活であり、豪放である。しかし、感受性の繊細さを失ってい
ない。高揚のなかに理性があり、陶酔のなかに覚醒の感覚がある」そうです。李白が酒仙、酔聖、
詩仙と呼ばれた所以でしょうね。
今日の詩は桜見客が出かけて行くこの週末にふさわしい詩か、と思います。
五言絶句や七言絶句と違い、漢の時代に始まる音楽に合わせて歌われた楽府と呼ばれている形
式の詩です。
前有樽酒行(其一)
春風東来忽相過春風、
金樽緑酒生微波
落花紛紛稍覚多
美人欲酔朱顔[酉它]
青軒桃李能幾何
流光欺人忽蹉[足它]
君起舞
日西夕
当年意気不肯傾
白髪如絲歎何益
※ [酉它]は酉偏に它という漢字だが漢字コード表にないためにこのような記述の仕方になる。
[足它]も同様。
・詠み
前に樽酒有るの歌(其の1)
春風 東より来たって たちまち相い過ぐ
金樽(きんそん)の緑酒 微波を生ず
落花紛紛(らっかふんぷん)として 稍(や)や多きを覚ゆ
美人 酔わんと欲して 朱顔くれないなり
青軒(せいけん)の桃李(とうり) 能(よ)く幾何(いくばく)ぞ
流光 人に欺(そむ)きて 忽(たちまち)に蹉[足它]たり
君 起(た)って 舞え
日 西に夕(ゆうべ)なり
当年の意気 傾くを肯(がえ)んぜず
白髪 糸の如(ごと)くんば 歎くも何の益かあらん
・訳
春風は東から吹きよせ、たちまちに吹き過ぎていく。
金樽にたたえられた澄んだ酒にも、かすかなさざなみが立つ。
はらはらと散りかかる花びらも、心なしか、ひときわ多くなったようだ。
落花のもとに酒を飲む美しい人も、次第に酔いがまわったのだろうか、紅い頬もさらにほてって、
赤みがましている。
青ぬりの軒並に咲く桃李の花も、いつまで散らずにいるだろうか。
流れゆく時間は、人間の願いも知らぬげに、たちまち過ぎ去って、人生の様々な機会や可能性を、
失わせてしまうのだ。
君よ、立って舞いたまえ
いまや日は、西に沈もうとしているのだ。
あの若き日のさかんな意気は、いまも衰えていない。
乱れた糸のような白髪の老人になってしまってからでは、どんなに嘆いても甲斐のないことなのだ
から。
優雅で気品あるご婦人を、気の置けない仲間達で囲んで落花を愛でながらの飲酒はさぞかし風
情があることでしょうね。
そこにはもちろんポータブルカセットデッキから流れるカラオケの音声もなく、半筒形状の炉にパイ
プ椅子のバーベキュー料理ではなく、漆器の容器に肴を盛って瀬戸物の酒器で酒を酌み交わす。
嗚呼、そのような花見をしたいものですなぁ。