私の好きな漢詩(4)

贈衛八処士』 杜甫

前回は別離の詩でしたが、今回は再会を喜び合う詩をご紹介しましょう。
作者の杜甫は詩聖と言われ、詩仙と言われた李白と共に唐詩だけでなく漢詩の世界における双
璧とも言える大詩人です。
杜甫は漂泊の詩人とも言われ、中国各地を放浪した人ですが、その放浪の旅先で衛八処士とい
う若き日に別れたきりの友人の家を訪ねていったときのことを歌ったものです。
再会の詩と言っても最後のほうで別離を思わせる語句があって、ほのぼのとした雰囲気の中にも
哀愁を感じさせるものがあります。杜甫の詩はこのような憂愁を感じさせるものが多く、カラッとし
て淡泊な李白の詩に比べてかなり感傷的な感じです。
形式は古体詩といって、絶句や律詩のように厳しい韻律上の規則が無い詩です。
ヴァイオリンの先生である女性と一緒に飲んだときにこの詩を紹介して意味を解説してみせたとこ
ろ、大変感銘を受けてくれ、詩の写しを渡したことがありました。

長い詩なので右横に・詠みを記します。

贈衛八処士  衛八処士に贈る

人生不相見  人生、相見ざること
動如参與商  動(やや)もすれば参(しん)と商の如し
今夕復何夕  今夕(こんせき)、復(また)何の夕べぞ
共此燈燭光  此の燈燭の光を共にする
少壮能幾時  少壮、よく幾時ぞ、
鬢髪各已蒼  鬢髪(びんばつ)、各(おのおの)、已に蒼たり
訪舊半為鬼  旧を訪(と)えば、半ば鬼(き)と為(な)る
驚呼熱中腸  驚呼して中腸が熱す
焉知二十載  焉(いずくん)ぞ、知らん、二十載
重上君子堂  重ねて君子の堂に上がらんとは
昔別君未婚  昔、別れしとき、君は婚せざるに
男女忽成行  男女、忽ち行(こう)を成す
恰然敬父執  恰然として父の執(ともがら)を敬し
問我来何方  我に問う、何れの方より来たれる、と
問答未及已  問答、未だ及ばざるに
驅児羅酒漿  児を駆りて酒漿を羅(つら)ぬ
夜雨剪春韮  夜雨、春韮を剪(き)り
新炊間黄粱  新炊に黄粱を間(ま)じう
主稱會面難  主は會面の難(かた)きを稱し
一舉累十觴  一挙に十觴を累(かさ)ぬ
十觴亦不酔  十觴も亦(また)酔わず
感子故意長  子(し)の故意の長きに感ずるなり
明日隔山岳  明日、山岳を隔たなば
世事両茫茫  世事、両(ともに)茫茫たらん

・注
参與商:星座の名で、参はオリオン座、商はサソリ座。オリオンは冬の星座であり、サソリは夏の
星座。同じ天空に同時に現れないため、参與商の如し、という場合、遠く隔てる関係を指す。
蒼:白髪まじり、ごましお頭。
鬼:中国では鬼と言えば死者、及び亡霊を指す。
驚呼:思わず驚きの声をあげる。
熱中腸:はらわたが熱くなる→日本語で言う、胸が熱くなる、の表現。
焉知:どうして知ろうか。
二十載:二十年。
君子堂:あなたの家。相手への敬称。
忽成行:目の前に大勢ぞろぞろと現れるさま。
恰然:喜ぶさま。
父執:父親の友人。
故意長:昔からの友情が長くつづく。
觴:さかずき。

・訳
人生において、一度別れた友と再会するのは難しい。
ともすれば、夜空のオリオン座とサソリ座のように、遠く隔たったきり会えないままになってしまうこ
とだってあるのだ。
それなのに、今夜は何と素晴らしい夜だろうか。
君と、この明るい燭台を挟んで相向かい合えるとは。
それにしても、青春時代は何と短いことだろうか。
お互いに髪の毛にも鬢の手にも、だいぶ白髪がまじってしまった。
旧友たちの消息を尋ねてみれば、半ばは、もう死んでしまったという。
私は驚きのあまり、嘆声が出てしまい、胸のうちが熱くなってしまった。
誰が予測することができたであろうか、二十年の歳月を経て、私が再び君の家にお邪魔すること
になるとは。
昔、別れたとき、君はまだ結婚していなかった。
それが今は、子供たちがぞろぞろと列をなして私の前にやってき、笑顔でもって父の友をもてなし
ながら尋ねてくる。
どちらからいらっしゃったのですか?と。
そのやりとりが終わらぬうちに君はお子さんたちに酒肴を並べさせた。
夜の雨のなかを、やわらかい春ニラを摘んできてくれ、炊きたてのご飯に香ばしいアワが混ぜて
あった。
君はしみじみと再会の難しさを嘆き、私は立て続けに十杯もさかずきをかさねた。
十杯かさねても私は酔えない。
なぜなら、君の変わらぬ友情の長さに感動するからだ。
明日、ここを辞してひとたび遠く山々に隔てられたなら、お互いの消息は茫々たる彼方に失われて
しまうことだろう。

・エピソード
山伏の山谷無心さんと大峯で初めて知り合った直後に、彼の自宅に招かれたときのことです。
無心殿は大時代がかったことが好きな人で、高膳に盛られた料理を間に杯を酌み交わすのに、床
の間に飾った日本刀(刃が無い模造刀)の大小をそれぞれの座布団の左横に置いて対座するの
です。豪快で熱血漢の無心殿との飲酒は楽しく、感興の高じてきた私はこの酒席にふさわしい漢
詩の句がある、と言って「今夕、また何の夕べぞ。この燈燭の光を共にする」と吟じたのでした。
すると、「おっ!『人生、ややもすれば参と商の如し』ですな」と無心殿が応えるのです。私はビック
リして、「無心さん、この漢詩をご存じなのですか?」と尋ねたところ、
「いや、映画で知ったのですわ。ワシ、『男は辛いよ』の大ファンでしてな〜。そのシリーズの映画の
中で、フーテンの寅さんが中学校時代かの恩師に巡り会って酒を一緒に飲むシーンがあるんです。
その折に、東野英治扮する恩師が「人生相見ざることややもすれば参と商の如し。今夕、また何の
夕べぞ」と吟じだすんですわ。そしたらすぐさま「先生、おいら、外国語はからっきしダメです」と寅さ
んが遮るので「馬鹿者!外国語じゃない。漢詩じゃ」と東野英治が叱りまんねん。
ワシはこのシーンが妙に心に残って、それからこの映画を何度も繰り返し観るうちにここの部分を
諳んじてしまったのですわ」

この漢詩のことを記しているとき、今は亡き、無心殿のことが懐かしく思い出されました。