文章を書いた松下千恵さんは堀池さんと私の共通の友人で、熊野修験団のメンバーでも
あります。、
その絵本がこの墨の煤の作り方をうまく表現していると思いましたので、松下さんたちの
了解を得てここに一部を掲載させてもらいます。
堀池さんが描かれてますが、実際の堀池さんはもっと気さくな感じの方です。
煤を作る部屋の扉を開けたからでしょうか、写真に煤が空中を遊離しているところが写っ
ております。
大変お世話になった堀池さんと名残を惜しみながら午前8時半、私たちは紀州松煙工房
を出発しました。
「いつかバンクーバーに遊びに行くからね」と堀池さんがハヤト君たちに言っておりました
が、きっと彼のこと、行くことでしょう。
本宮町で本宮大社にお参りします。
本宮大社は那智の那智大社、新宮の速玉大社と共に熊野三山と言われる由緒ある神社
です。
大峯修験道では靡(なびき)という霊場を75箇所設け、そこで勤行などをするのですが、
その中の第一がこの本宮大社であり、第二が那智大社、第三が速玉大社です。この三つ
だけが大峯山系以外の所に所在する別格霊地です。
本宮大社のすぐ横にレンゲ畑があり、ミホさんが凄く喜びます。レンゲ畑は彼女が幼いこ
ろ住んだ岐阜県の田舎のことを思い出させ、いつも心が躍るそうなのです。
本宮町を後にし、昨日越えてきた玉置山の山岳路をに再び登っていきます。
玉置神社は標高千メートルのところにある神社で、駐車場から神社までの道は巨木の杉
が林立する中を行くのですが、重厚な雰囲気の漂うところです。
本殿です。玉置神社は崇神天皇が創建されたと言われており、それが事実だったら何と
二千年以上の歴史を持つことになります。
崇神天皇は皇統第十代とされてますが、歴代天皇のなかで「はつくにしらすすめらみこと」
という国を開いたという意味の異称を持つのは神武天皇とこの崇神天皇だけであり、歴史
学者によっては実在した初代の天皇ではないか、と言われております。
玉置神社の巨木です。右側の神代杉は樹齢三千年と記されていました。
社務所もある宿坊です。
ここの1階が私たちが奥駈修行に出かけるときに利用する宿舎です。
2階の社務所で許可を得て、宿坊内部の襖絵のある部屋に上がらせてもらいました。
このような純然たる日本建築の室内では正座が実に似合います。
しかし、右側の画像のペットボトルは取り除いておくべきでしたな、う〜む・・・
由緒ありげな屏風絵です。
昔は、登山客をこの襖絵の座敷にも泊めて自炊なども許可していたそうですが、信じられ
ない話です。
どうです、二人の凛々しい表情。
ハヤト君が憧れるサムライの表情です。明治人の表情ですぞ。(う〜む、しびれるなぁ・・・)
近頃ピンボケが多いと取りざたされている私の腕前を見直してもらいたいような素晴らし
いショットです。
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自画自賛
ハヤト君は海外生活を送るようになって急速に自分が日本人であることを意識しだすよう
になり、日本の良き面、日本人の良き資質について強く知りたがるようになったそうでして
、その中でも日本の武士道というものに大変惹かれるようになったとのこと。彼と付き合い
、語り合っていると、その武士道に対する憧れの気持ちがそのまま彼の価値観、日常の
立ち居振る舞いにも表れてきているのが判ります。
この旅行中、彼は私が語る偉大な日本人の話に大変強い興味を示し、私は今までにこれ
ほど自分の話に熱心に聞き入る聞き手を得たことは無かった、と断言できるくらい彼は熱
心に私の話に耳を傾けてくれ、私は彼の、偉大な日本人を知りたがるその渇望の思いが
並々ならぬものであることを実感したのでした。
私が語った北条氏康、高橋紹運、小早川隆景、高山右近、細川ガラシャの名を彼は何度
も繰り返してつぶやき、いつかそれらの人達のことが載っている本を紹介してください、と
彼は頼み込むのでした。
きっと、彼はバンクーバーに行ってからでも私の歴史談義につきあってくれることでしょう。
私はまた一人の同好の志を得たようです。
社務所を退出するとき、所員の人が「どうぞ、御神酒をいただいてください」と言われ、これ
幸いとばかり、私は二人に三三九度の形式で御神酒をついでやりました。
由緒正しい玉置神社の御神酒を頂戴したのですから、二人の前途は洋々たるものです。
しかし、私もこの御神酒をいただいたのですが、冷えていて美味しかったですな。
玉置神社に別れを告げ、R168(十津川街道)を北上して笹の滝を目指します。
ここもミホさんがハヤト君に見せたかった場所でして、絶対にはずせないところだったので
す。
木の根っこがはい回る道(これがミホさんをしていたく魅了させたらしい)を歩いて上がって
いきます。
日本の滝100選にも選ばれた大峯の名瀑、笹の滝です。
この滝の一番の魅力は平たい岩盤の上を流れる滑滝(なめたき)の清らかな美しさではな
いでしょうか。
笹の滝を後にした私たちは、長さ日本一の吊り橋、谷瀬の吊り橋を渡り、後は一路大阪を
目指しました。
途中道路が混んで、予定時間よりも大幅に遅れて寝屋川に着いたのが午後7時。
香里園駅でハヤト君、ミホさんと別れましたが、私も体調が思わしくなかったにもかかわら
ず、思い出に残る旅となりました。
ハヤト君は今夜の夜行バスで神奈川県川崎市の実家に戻り、来月19日にミホさんと共に
カナダ・バンクーバーに発ちます。
二人は九月に正式な結婚式を挙げるために再び帰国しますが、その後はカナダに永住す
るのです。
お二人の幸せを願ってやみません。
(完)