家族と吉野熊野2004.08.20
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台風15号が東北に去ってしまったあと、私たち家族は急遽一泊二日の旅行に出かける
ことにしました。娘がその週に木、金と休暇を取っていたからです。

前日に思い立って行ける場所は限られており、私たちは山歩きと温泉の両方を楽しめる
吉野熊野の山間部に行くことに決め、日程も混雑する土日は避け、20日、21日の金、
土としました。
宿は私が大峯登山や奥駈サポートの折りに定宿としている和佐又山ヒュッテ。
300人収容できる山小屋ですが、夏休みは時々大規模な団体が泊まることがあるので
念の為に予約を入れておきます。
「夕食はどうします?」
ヒュッテの主人、岩本二郎さんの声に応えます。
「お願いしま〜す」

8月20日
朝7時前に自宅を出発し、吉野町で弁当おやつ類を購入して大峯山中に入ったのは9時
過ぎ。
近畿最高峰の八経ヶ岳(1914m)に至る行者還トンネル近くの登山口まで行って、時間
と娘の体力の続く限り、上の方まで目指そうということで、国道169号を和佐又山への分
岐を過ぎて天ヶ瀬まで行ったところ、何と、行者還トンネルへの道は道路崩壊のために
通行止めとなっていました。ついこの前の大雨の影響らしい。
仕方なく、和佐又山分岐まで引き返し、ヒュッテへの山岳路を登っていきます。ヒュッテから
大普賢岳までの登山路を行けるところまで行こうということにしたのです。

標高1000メートルのところにある和佐又山ヒュッテにつきました。
長時間のドライブから解放されて延び延びとする我が家族。

誰もいないところでは信じられないほどお茶目になる母娘です。
十数匹いる和佐又山ヒュッテの犬たちの中でたった一匹だけ、離れたところに繋がれてます。
よほどおいたが過ぎるのでしょう。私たちがかまうと仰向けになって狂ったように喜びます。

冬季はスキー場となる斜面を大普賢岳の登山路に向かって歩きます。
後方の遠景は大台ヶ原です。

ヤマユリが咲いてる!と家内が言いましたが、帰って図鑑で調べたところ、ヤマユリは白色
のしか図が載ってませんでした。ピンクのヤマユリもあるのでしょうか。

もうススキが咲いていました。

すぐに前方に大普賢岳の3つのピークが見えてきます。
記念碑の左側のところが登山路入り口です。

たくさんの巨大な枝を持った大木が生えています。
朴(ほお)の木に似た葉を持つこの木は何という名の木なのでしょうか


やがてブナとヒメシャラの樹林帯に入っていきます。大峯でもっとも私の好きな植生の樹
林帯です。

特に大きなブナの木を見ると私はつい抱きつきたくなります。

赤橙色の様々な色を持つヒメシャラは生えている土壌によって樹肌の色が変わるそうです。

ブナとヒメシャラのゆるやかな尾根を過ぎると巨岩の続く日本岳の山腹を行く歩行となります。
朝日の窟、シタンの窟など様々な名を持つ岩尾根です。
このあたりの山のたたずまいは奥駈尾根から見ると下記の写真のような形になります。
一番高いピークが大普賢岳、その右に小普賢岳、日本岳と続きます。
黄色の矢印で印しているところが上記の岩場があるところ。
樹林が覆っているのであまり分かりませんが、かなりの絶壁を持つ尾根なのです。
このあたりを過ぎると前方に世界遺産登録で急速に世間の注目を浴びるようになった奥駈
道の尾根が見えてきます。

笙の窟に着きました。1300年も昔から修験者たちによる山ごもり行がなされてきたという
このあたり最大の窟です
ここを過ぎると急に道は険しい登りとなります。
ガラ場とか足もとが不安定なところは極度に怯える家内は一歩一歩慎重に登っていきます。

日本岳と小普賢岳の間の鞍部が見えてきました。
鞍部は広くはありませんが、とても雰囲気のよい所です。風が通り抜けるので涼しく、休憩
していると肌寒くさえ感じます。
樹間からは奥駈の尾根が見えます。
日本岳側に立つ私。
小普賢岳側に立つ家内と娘は緊張が解けたのかまたもやお茶目な姿態をします。

ここからは極端に狭い痩せ尾根を行くのですが、樹木が生い茂っているため家内は気軽に
どんどん先に立って歩いて行きます。
「お父さん、あそこ見て!何も無いよ。あの先が絶壁なの?」と娘が尋ねます。
両側が切り立った痩せ尾根の上を行くのだよ、という私の言葉を娘は正確に理解している
ようでした。
足場が悪かろうと、落下してもせいぜいが打撲傷くらいでとどまる高度と、どんなにしっかり
した道でも万が一つまづいて転落したら絶対に助からない高度の所とでは緊張の度合いが
全然違うのですが、道がしっかりしていて足もとに木が茂っていたら恐怖感も湧かない家内
のような人が山では危ないのです。
木の繁り具合にもよりますが、滑り落ちた人間を必ずしも茂った灌木が支えきれる保証は無
いのです。

岩の鼻へのハシゴを乗り越え、岩場の横をいったん下降してもう一度ハシゴを登り、向こう側
から岩の鼻の展望台に出ます。

岩の鼻はこのコース一番の展望台です。
南には重なるようにして連なる大峯山脈、すぐ足下には水太谷が広がり、東側は日本岳、
和佐又山のピークを挟んで遠くに台高山系の山々が展望されます。
20年前にも家族でここを通過したのですが、娘はほとんど覚えておらず、ただただ「素晴
らしい眺め!」と感激しておりました。二人とも天気予報が思わしくなかったのにもかかわ
らず、やってきたのは大正解だったと言いました。

岩場の北側はワサビ谷が見下ろせるのですが、霧のために何も見えず。
西側は小普賢岳は見えますが、大普賢岳は霧で見えません。
しかし、雲と霧がしきりに上昇していく様は家内にとって大変幻想的に映ったようでした。
ここから小普賢、大普賢への急激な登りを経て約1時間ほどで頂上に着くのですが、私たち
はここで引き返します。
この先のハシゴ場は家内が相当怖がることが予測されることと、危険度も急に高くなってくる
ので安全第一を取りました。
大峯のエッセンスと言われるくらい変化に富んだこのコースは人気が高いのですが、山の初
心者はここから先は一人では入るべきではないと思います。
例年、この先で転落事故が起き、多くの人が亡くなっているのです。両側とも深い谷ですの
で遺体が見つからなかった場合もあるのです。

下りは登りよりも危険度が高く、緊張するものなのですが、一度通ったコースは結構慣れる
みたいで家内は思ったほど怖がりませんでした。
和佐又山ヒュッテに着いたのは午後3時でした。
ヒュッテにも広い風呂があるのですが、今回は娘が温泉に入りたがっていたので、ここから
車で30分のところにある北山温泉まで行きました。
施設も綺麗で、露天風呂もあり、平日でがら空きなために心ゆくまで温泉に浸かりました。
家内と娘はよほど気持ち良かったのか、何と1時間半も入ってました。
和佐又山ヒュッテに帰ってきたのは6時前。
今夜の泊まり客は大阪市のミッション系女学校の11人の高校生たちと、引率の二人の先生、
そして他に3人の家族連れだけでした。
おかげで美味しいご馳走にありつけました。(団体で大勢来ると、鍋に盛り込んシチューやカレ
ーライスになったりするのです)
肉は鹿の肉を焼いたものです。野菜の天ぷら、キノコが一杯入ったみそ汁も本当に美味し
いです。

食後は食堂の本棚に備えてある星座図鑑を持って外に出、夏の夜空の星座を家内と二人
で当てあいっこしました。
和佐又山の右肩のあたりに三日月が出ておりました。

冷えてくるので長時間は外にはおれません。
食堂で家内は読書を、娘は岩の鼻のところで浮かんだメロディーを急ごしらえの五線紙の
上に書き付けております。
絶対音感があると浮かんだメロディも和音も全部記譜できるのですから、便利なものです。

こうして第一日目の夜は更けていき、午後9時に私たちは寝につきました。
広い部屋に私たち親子三人だけ。
(続く)